10周年記念 | ナノ
06

“高校に入学しました”

そんなメールが届いて早数ヶ月。小学生の頃から面識があるせいか、高校生の彼女はとても大人に見えた。

白いブラウスに水色のミディアム丈のスカート。黒いタイツに焦げ茶のパンプス。髪は後ろで緩く纏められていて、チラチラ見えるのはヘアゴムだろうか。確かシュシュと言うんだっけ。

公園で待っている僕の名前を呼んでから近付く彼女は、本当に大人になったように思う。挨拶もそこそこに、僕の隣に座るとこちらに顔を向けた。

「高校生になってから、背、伸びた?」

「あ、少しだけ。でもこれ以上は難しいかな、と思います」

「まあ、女性はヒールのある靴も履くだろうし、身長はそこそこでいいのかもしれないね」

僕の身長は成人男性の平均程度だ。それを考えると彼女はまだ女子高生の平均身長程度だろう。たまに極端に背の高い子や、低い子を見かけることもあるけれど、彼女は至って平均だ。

「教育実習、どうですか?」

「結構大変だよ。特に、僕は遅めの実習だからね……」

「でも、教育実習生とはいえ、マツバさんに教えてもらえるなんて、少し羨ましいです」

それが恋愛を含まない好意からくる言葉であるのは理解している。彼女は優しい子だから。ただ、それに僕が、とても淡い期待を抱いてしまうだけだ。

「高校生になると勉強が大変になるんですね。私、古典とかあまり自信無いです」

「そうなんだ? 僕、てっきりユキカちゃんは文系かと思っていたんだけど」

「文系ではあるんですけど、古典はやっぱり漢文が難しくて。古い言葉もいまいち理解できず……あ、でも以前マツバさんに教えてもらったところ、この間授業で出たんですけど面白かったです!」

「そうか。それならよかったよ」

勉強についての相談は、彼女が中学生の頃から稀に受けていた。僕も教職を志しているからには教える立場にならないといけないこともあり、お互いに利点があったから。本格的に教えたわけではないけれど、ちょっとしたアドバイス程度だけど、彼女はそれは嬉しそうに、感謝を述べるのだ。

「そう言えば、あのゲームの新作、発表されましたね」

「そうだね。ユキカちゃんはどちらを買うか、決めたのかい?」

「姉と相談してはいるんですけど、どちらにどんなポケモンが出るかによって変わるのでまだ決定してはいませんね。マツバさんは?」

「僕もまだだな。発表されたばかりだし、発売までに情報が出ると思うから、それを見つつ決めようと思うよ」

「マツバさんの好きなキャラクターが出るといいですね」

「ユキカちゃんの好きなキャラクターもね」

会う頻度は、彼女が小学生だった頃より減っていっている。頻繁に会っても話すことが無いからだ。でも、少しすると会いたくなるし、彼女からも会えないかと連絡が来る。高校生になった彼女は携帯電話を買ってもらい、僕とも連絡先を交換したから、彼女らしい控えめな文章でメールが届くんだ。

買ってもらった、と見せてくれた時は、まだ電話の受け取りくらいしか出来ないと苦笑いを浮かべていたけれど、最近の若者らしくネットに繋いで検索してみたり、音楽をダウンロードしてみたりと使い方を覚えていっているらしい。僕も人のことは言えないが、彼女も少し機械には弱いみたいだ。



日が暮れようかと言う頃、彼女は買い物があると言うのでスーパーまで見送ることにした。僕はその後本屋に行って参考書を見る予定だ。ベンチから腰を上げて、子供の声を聞きながら出入り口へと歩けば、「あら?」と声が聞こえた。

「ユキカじゃない」

隣にいた彼女がビクッと肩を揺らす。今まで、そんな反応をしているのは見たことが無い。ましてや、この人は彼女の名前を呼んでいる。つまり顔見知りだろうに。彼女はどこか怯えている様子だ。

「どうしたの、休日にこんなところで……もう公園で遊ぶ年齢でもないでしょう? 母さんはあなたくらいの年の頃には勉学や習い事に励んでいたはずよ?」

「ごめんなさい……」

「“ごめんなさい”……ですって? いいえ、違うわ。教えたわよね? さあ、もう一度言ってごらんなさい」

「も、申し訳ありません……」

このやり取りだけで、二人の関係が最悪であると証明していた。目の前の、壮年か或いはそれを過ぎた頃らしき女性は、少し冷たい目で彼女を見ている。そして、深く溜息を吐くと僕の方を一瞥して再び彼女に視線を戻し、そして口を開いた。

「どこの誰かも分からない男と逢引かしら? 母さんの孫だと言う自覚が無いのね……あんなに教えてあげたのに」

残念だわ。と淡々と言ってのける女性に、彼女は俯いたまま小さく震えている。それを見て僕は、漸く理解した。まだ小学生だった彼女が、子供らしからぬ態度をしていた理由も、不自然な程自然に大人びていたことも、この女性によるものだったのだ、と。だからこそ、自分が好きなゲームの話が出来る僕と、こうして今でも会っているのだ、と。

――彼女は、心が休まる場所が欲しかったんだ

「汚らわしい。卑しい子……思えば、愚弟があの女と結婚してからだわ。家が庶民的になったのは」

「失礼ですが、あなたは彼女とどういった御関係で?」

「あなたには関係のないことです」

「僕はてっきり、彼女の御親戚かと……品の良さや佇まいから、彼女と似た部分を見つけました」

「あら……」

年上の御機嫌取りは得意な方だ。実際、こんな嫌味なおばさんは僕の遠い遠い親戚にもいたような気がする。うちの場合は、母は勿論祖母も根拠のないものは嫌いだから、そう言うおばさんは親戚の集まりにも呼ばれなくなっていったのだけど。

「お姉さん……ではないですよね? 失礼しました。御若く見えるので」

「あらあら、まあ……!」

少し目を輝かせると、我に返ったのかコホン、と咳払いをして彼女に向き直る。

「とにかく、逢引などやめなさい。母さんが見たら悲しむわよ。いいわね」

そうとだけ言うと僕らの前から去っていく。買い物袋を提げていたことから、スーパーの帰りだったのだろう。魚でも買っていなければいいんだが……魚に罪は無いからね。

「ま、マツバさん、すみませんでした……! わ、私のせいで……嫌な思いを……!」

未だ震えながら頭を下げる彼女は、勿論声も震えていて、今にも泣きそうな様子だった。僕が頭を上げるよう言っても、やはり俯いたまま。ずっと、小さくごめんなさい、ごめんなさいと何度も謝っている。

「ユキカちゃん」

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

「ユキカちゃん!」

少し強く呼べば、はっとしてこちらを見る。真ん丸で潤んだ目を見開いて僕を見る彼女の顔は蒼白気味で、こちらが心配になる程だ。そっと頬に触れてみると、ビクッと肩を揺らしたのが分かった。

「ごめ、なさ……すみません……申し訳、ありません……」

「君をそうしたのは、あの人なんだよね?」

「ちが……すみません……」

今の彼女は混乱している。冷静に物事を判断できないでいる。僕の問いにすら、答えられない。

「とにかく、お家に帰ろう。送っていくよ」

「すみません……」

失礼かと思ったけれど、こんな彼女を一人で歩かせるわけにもいかないから、手を引いた。彼女に触れるのは、昨年僕が招待した大学の学園祭の時以来で、震えて指先が冷たくなっている手に触れるのは、初めてだった。


2016.0

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