04
教職に就く――そう言った友人に、お前はそれでいいのかと問えば、自分に対しては珍しく作り笑顔を浮かべて、肯定の言葉を呟いた。その声は、感情なんてこもっていない。
俺の家も決して貧しいわけでも無いが、友人はそれ以上に名家だとか旧家と呼ばれるような家柄を持っていた。俺はそんな友人とは小学校からの付き合いで、周りから言わせれば幼馴染みと呼べる域にいるのだと言う。が、お互いに深く干渉しないからか、気の合う友人だと思ってはいるが、昔馴染みと言うには浅い付き合いのような気がしていた。
そんな友人が高校生の頃、ある時を境に心なしか明るくなった様な気がした。元より社交的な友人は、その見目も相俟って女子に非常に人気だったのだが、少し明るくなった途端にますますモテていたのを覚えている。友人が教師になると言う噂が広がれば、女子の間で同じく教職に就こうとする者もいたくらいだ。それに気付かないのは本人だけ……と思われた。
奴は知っていた。学校の女子が自分に対してミーハーな気持ちを抱いていることも、それ故に生まれる諍いも。「あまり関わりたくないんだ」そう言って笑った友人は、むしろ当事者であると言うのに他人事としてそれらを見ていた。そのくらいから俺と友人は少し砕けた関係になり、友人が今楽しみにしていることを少しだけ教えてくれた。
曰く、公園で話しかけてきた小学生と、今も時々会って話をしているのだと言う。それはまずいのでは、と言ったが、公園以外では会っていないし、何より自分にそんな趣味はない、と言い切った。それに、きっとすぐに終わる関係なのだ、と。
確かに、この友人と付き合う女性は年上が多い。友人自身が年上の扱いを心得ているからなのかもしれないが、その頃別れたと言う彼女も女子大生だった。確か、初めての彼女は中学時代、二つ上の先輩だったか。しかも、その彼女のどれを見ても美人系である。そんな友人が、まだ可愛らしいと言える小学生の女の子に邪な気持ちを抱くはずがない。俺もそう思って、あまり気にしていなかった。
だが、どうだろう。俺も友人も大学生となり、今年成人を迎える。そんな時になっても尚、友人は公園の少女と逢瀬を繰り返していた。そして、約二年振りにその話をした友人が酷く困ったような、思い詰めたような顔をしていた。そりゃあ、何事かと思うだろう。俺は冷やしうどんを啜った。
「まだ付き合いがあったのか」
「ああ……夏休みは一緒に映画に行ったよ」
「マジか」
冷やし蕎麦を啜っている友人は溜息を吐く。
「中学生って成長、早いんだね」
「流石にまずいと思うぞ?」
相手は中学生。義務教育でさえ終了していない。今時の中学生の中には大学生と付き合っている人もいるのかもしれないが、この友人はそんなことあってはならないのだ。旧家で名家、祖母の言う進路を進み続ける友人には、どうせ決められた結婚相手がいるのだろうし、ここでスキャンダルなんぞしてみろ。外面が良いだけの人間だとばれてしまうぞ。
「ミナキくんはさ、僕が彼女に好意を抱いている前提で話をしていないかい?」
「違うのか?」
うどんを食べ終わり、満足した腹に水を流し込む。流石にお茶にすればよかったか、と少し後悔した。まだ暑いとは言え、こんなに冷たいものばかりでは冷えてしまうか。
「違うよ。相手は中学生だよ? ただ、僕に少し懐いてくれているから、話に付き合っているだけで、そんな感情少しも……」
「無いって、言い切れるのか?」
思えば、高校生の時から怪しかった。こいつ自身に影響を及ぼす程の存在だ。そもそも、こいつが手放すはずがない。あの時相手は小学生だったから俺は何も言わなかったが、今でも付き合いが続いているのなら話は別だろう。家の関係者でも無ければ、良家の子女と言うわけでも無い。むしろ、それならばとっくにこいつとの縁談の話くらい上がってもいいはずだ。
驚く程に何も無い。この友人と女の子との間には、公園で同じゲームが好きだからよく話すと言うこと以外に、何も無いんだ。
「まあ、お前の家柄や今後のことを考えれば、それは諦めろとしか言えないし、自覚するなとしか言えないがな」
腕時計を見て時間を確認する。まだ時間には余裕がある。
「俺はそんなことどうでもいいし、いつも笑顔が嘘くさいだとか、家が厳しすぎて碌に遊べないだとか、完璧に近くて気持ち悪いだとかでフラれるお前を見るよりかは、お前が自分を偽らずにいられる相手か、偽ることになろうとも安心できる相手と一緒になった方がいいとは思うな」
「ミナキくんってたまに格好いいこと言うよね」
「“たまに”は余計だろ」
そもそも、そんなに悩んでおいて好意が無いと言うのなら、お前は今まで何をしてきたんだと問い詰めてやりたいくらいだ。
「まあ……自覚しないでいる方が、自覚しても気付かないフリをしている方が、よっぽど平和的で世間体を気にしないで済むんだろうな。お前が良ければ、の話だけどな」
元より、誰かと付き合ったことがあると言っても、この友人が恋愛感情を抱いているそぶりを見たことがない。初めての彼女の時だって、相手が年上で扱いやすそうだったから、と言っていたのを覚えている。いやはや、我が友人ながら最低な一言だと思うが、事実、別れるまではうまくやれていたのだから不思議な話だ。
友人にとってはそこに恋愛感情があるかどうかは関係ないのだろう。自分から告白して付き合い始めたと言う彼女がどれ程いるか……否、数える必要はない。何せ、そんな子は一人としていないのだから。
「お前……結構最低な奴だったんだな」
「何だい、いきなり。人聞きの悪いこと言わないでほしいな」
ここで平然としているあたり、自覚があると見た。
「君は僕に最低だと言うけれど、君だって付き合うのは年上ばかりじゃないか」
「お前の彼女の連れと付き合うことになるだけで、俺はお前程最低ではないと思うんだが? 付き合ったことあるのも二人だけだしな」
「僕だって…………ふた、り……だけじゃない、けど」
「ほらみろ」
「いや、今は元カノの話は関係ないだろう?」
思わず溜息を吐く。確かに元カノの話は関係ない。どの人とも既に縁は切れているし、連絡先も残っていないようだからな。しかし、そもそも友人が逢瀬を繰り返す少女のことで悩まなければこんな話にもならなかったはずだ。俺が見る限り、こいつは、この男はその中学生の少女に惹かれている。所謂恋バナと言うやつなのだから、元カノの話にもなるだろう。
「元カノのことはもういい。マツバ、お前は結局どうしたいんだ?」
「どうしたいって……僕はそれを悩んでいるんだけど」
「どうしようもない奴だな、お前は」
「君に言われたくない」
何気に酷いことを言うしな。いや、俺もよくここまで友人として長く付き合えているものだと思う。
「俺に言ってほしいなら言ってやろう」
「え……」
「お前は多分、もう戻れないところにいるんだよ」
今までの彼女と別れる時は大抵、彼女にフラれるのが定番であるこいつは、別れ話の時にも笑みを絶やさずあっさり頷く。初めから好きではなかったんだ、と後にその元カノは俺に連絡を寄越すが、それもそのはずだ。友人は未だかつて恋愛感情を持ってして恋人と接していたわけではない。ただ、恐らくこの先に定められた結婚があって、その前のお遊びでしかないのだから。
だから、きっともう遅い。約二年に渡って、単なる話し相手として接していたとしても、公園の少女は友人の中に深く根付いてしまった。
朝起きて夜寝るまで、一日たりとも考えない日は無いと言える程に、簡単に縁を切ることが出来ない程に、友人は少女に惹かれているのだろう。その感情は中学生が抱くような、それでいて本人の執着心さえ増幅させるような、俺にさえ計り知れないものだ。
「マツバ、初恋って知ってるか?」
2016.08.17
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