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「そろそろ帰るか?」
「え、あ、なん、で?」
「いや、だってお前、妹達残してきてんだろ? 早く帰んないといけないんじゃねえの?」
「あ、ああ、うん。そうなんだけど……」
色恋に興味は無いはずだった彼女は、隣を見て自身の心臓が跳ねるのを感じる。それは約十年振りの感覚で、初恋をした時と同じだった。一気に彼女の顔に熱がこもる。思わず両頬に手を当てれば、食後だからか指先も熱い。そんな熱い指先でも、彼女の頬の熱は伝わる。
「あのさあ……」
「な、なによ」
「意識してんだろ? バレバレだっつの」
驚いて目を見開く。ほんの少し距離を取る。暗い中ばれないと思っていた彼女は、予想外の言葉でさらに心臓が激しく動く。壊れそうな程に自分の感情を素直に表現する心臓を恨めしく思いながら、視線だけは彼に向けていた。
「ていうか……反応が可愛すぎなんだよ」
「いや、なん、いしき……」
口元を手で覆った彼は前のめりになるように膝に肘をついた。
「いや、まさかここまで意識してくれるとは思わなかった」
「だ、だって破天荒、今日はやけに可愛いとか言うから……!」
「夏休みだし、毎日会えるわけじゃねえだろ? 言える時に言ってんだよ」
「そんな言われたって私は別に自分を可愛いと思ったことないし!」
「お前は忘れてるかもしれないけどな、俺はお前に告白してんだぞ!? 好きなんだから可愛いと思うに決まってんだろうが!」
そうはっきり言われてしまえば、彼女は黙る他ない。自分の感情を否定することは簡単だが、自分以外の感情を否定することは出来ないから。
「……なんか、おかしいのよ」
「おかしいって?」
「好きだ何だ言われても、別に気にならないはずだったのに……破天荒に好きとか、可愛いとか、そんなこと言われると自分が変になる」
必死に言葉を選びながら、彼女は話をしていく。
「今までそんなに言ってもらったことないからだとは思うけど、でも、クラスメイトや関吉に告白された時は何とも思わなかった。破天荒の時だって初めは大して気にならなかったのに、放課後に話をしていくうちに、一緒に帰っていくうちに、なんか……なんか、この辺がきゅって、する……」
言葉尻を小さくしながら、自分の言葉に恥ずかしくなって俯く。手は彼女の胸辺りに握られていて、彼女の「この辺」を示していた。俯いていても、暗くても分かる程に赤面しているのか彼女の耳まで赤くなっていて、それを見た彼も思わず顔を赤くする。
彼女の言葉を聞いて、彼女の内面的な異変が何なのか、彼は気付いている。そして、初めてではないのだから彼女も気付いている。しかし、彼女は悩んでしまうのだ。彼女にとって今大切なのは家族を養って生きていくこと。給料の少ない父だけではあと三人も養うのは厳しい。彼女は高校卒業後、就職する予定だったし、今から対策を考えていかなくてはならなかった。恋に現を抜かしていられる程の余裕など、最初から無いのだ。元々、初恋終了後は誰かを好きになるつもりなど無かったのだが。
でも、彼と親しくなって知ってしまった。自分への好意を真っ直ぐにぶつけられることも、その好意が明確に自分へ届くのも。
決して多くは望まないけれど、自分が断らない限り諦めない。話を聞いて、意見を述べて、時には助けてくれる。自分が唯一、本当の姿を曝け出せる相手。
「……ああ、好きなんだ」
ストン、と腑に落ちてしまう。いつ、どのタイミングだったのかも分からない。けれど、確かに彼を好きになっていた。本当に疎ましいならいつでも切り捨てることは出来たのに、彼女はそれが出来なかった。学校で唯一が欲しかったのかもしれないし、単に自分の学校生活を守る為だったのかもしれない。しかし、切り捨てるタイミングはいつでもあった。それをせずにここまで親しくなっていて、相手に好意をぶつけられて、心が揺らがないわけがない。
「なんだ、そうか……」
納得してしまえば、彼女は冷静になる。
「それ、今俺が聞いてもいいの?」
「え、あ、えっ?」
「ずっと聞こえてんだけど……」
「……ごめん。どうやら私、好きになっていたらしい。破天荒のこと」
溜息を吐く。彼は漸く、念願叶ったのだ。自分にだけ本心を明かしてくれる彼女が、自分にだけ本当の姿を見せてくれる彼女が、好きで好きで仕方ない。それを伝えたのも今と違って寒い冬のことだが、彼の気持ちは衰えるどころか増していくばかりだった。ああ、やっとだ、と彼は思う。
祭り囃子はもう聞こえない。小さく吹いている風の音がやけに響くが、彼は気にしない。思いが通じて晴れて両想いとなった今、彼がするのはお付き合いの申し込みだ。
* * *
「うわ、なにこれ。どうなってんの、これ。」
「俺は時々お前が実はタイムトリップしてきた過去の人間じゃねえかなって思うわ」
「え、前髪を三つ編みにするって誰が考えたの? 後ろ髪どうなってんの? 首寒い」
「あんまり首出してると風邪ひくから気を付けろよ」
「何であんた、こんな女子力高い髪型出来るのよ」
長い髪を結いあげた彼女は鏡に映る自分の髪を見ながら感心するように言う。そんな彼女の髪を結った本人は少し呆れながらも、鞄の中にヘアセット用の道具をしまう。
「専門学生は伊達じゃないわね」
「ていうか、お前から結んでほしいって言うの珍しいよな」
「いや、折角の旅行だし、たまには気分を変えようかと思って」
お互い暇なのかと問われれば首を横に振るのだが、このタイミングを逃すと更に忙しくなる為、彼らは今日から旅行に出掛ける。準備は整っており、後は駅に向かい旅先で楽しむだけだった。
「で、いつ俺にその髪切らせてくれるわけ?」
「私が試験受かったら」
「俺は別に切らなくてもいいと思ってるんだけど?」
「切るの。もう、だいぶ伸ばしてきたからね。毛先は切ってるけど」
「俺がな」
「うっさい」
玄関で靴を履いて戸を開ければ道場にいた彼女の妹達に見つかる。声を揃えて「いってらっしゃい」と言われ、笑みを浮かべながら彼女は「いってきます」と返した。
「破天荒、姉さまに危険が及ぶことがないように」
「スイレンは何かに狙われてるのか?」
「変な事したら許しませんよ」
「恋人同士なのに?」
「でも、旅を楽しませなかったらそれはそれで許しません」
「理不尽」
門扉と開いて漸く妹達から解放される。
「なんか、最近目に見えて過保護って言うか。何でかしらね」
「お前が最近危機感無いからだろ。あいつらから聞いたぞ。また変な男に言い寄られたんだってな」
「昔から変な男しか寄ってこない。辛い」
「おい、おい」
車の中に荷物を入れて、彼が運転席に、彼女が助手席に座る。そして操作が出来ないはずの彼女がカーナビを弄り画面が切り替わるまでがお約束。
fin
2016.11.03
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