05
「いらっしゃいませ。ご注文お決まりでしょうか?」
身内以外に向ける笑みを、彼は余所行きの笑顔と心の中で呼んでいた。
本日快晴。近代稀に見る花火日和。一週間程前から彼女は、学校で親しい彼が働くカフェで一時的に働いていた。主に接客である。学校で鍛えた愛想と、真面目で働き者な気質でお客さんへの対応は完璧に等しかった。
「抹茶フラッペ、アイスコーヒー、キャラメルチュロス、ホットドッグ、一つずつでお間違いないでしょうか? ご注文は以上でよろしいですか? 合計1500円です。丁度いただきます。ではこちらのレシートを持って隣のカウンターにお並びください。次にお待ちのお客様、どうぞ」
花火が始まるまでにまだ時間がある。明るいうちから大通りは賑やかだが、これが夕方になればもっと賑やかになると言うのだから花火大会とは恐ろしい。
いっそ恐怖さえ抱いてしまいそうな客の多さに内心うんざりしながら、これで貰えるお給料のことを考えて彼女は笑顔を作った。時折、本気の笑顔を見せられ顔を赤くするカップルが見られ、店内で働く彼は少し呆れる。
客足が途絶えた隙を狙い、休憩に入るよう言うと彼女と彼は店の奥、スタッフルームへと入っていった。
「あっつい……」
「店先だからな。そりゃあ暑いわ。今、店長が冷たいもん持ってきてくれるってよ」
「そんな、いいのかしら……」
「頼んだのはこっちだしな。遠慮すんなよ。食べ物に関しても手伝ってもらっちまったし、給料奮発するって言ってたから期待しとけ」
「今年のクリスマスプレゼントは少しでも良い物が買い与えてやれそうで嬉しいわ」
「……スイレン、お前本当に大変だな」
助っ人用のロッカーからタオルを持ってきた彼女は汗を拭いながらスポーツドリンクを飲む。昼を過ぎた今は少し落ち着いているが、またすぐ人が増えるだろう。厨房から賄いが出来たと知らせが入り、彼が取りに行くと言って彼女は一人休憩室で座っていた。
「……明日からはいつも通りのバイトか」
ほんの少し、寂しく思う自分に勢いよく首を横に振る。一つに結った髪が少し乱れて、汗のせいで肌に張り付いた。
「賄いはトマトクリームリゾットだけどいいか?」
「ここのカフェ、食べ物系も大分豊富よね」
「作ってるやつが拘ってるんだよ」
「あー、あの子……中学生くらいかと思ってたんだけど」
「まあ、実際そうだしな」
「は……?」
思わず聞き返す。彼女には、彼が冗談を言っているようにしか思えなかった。
「確かまだ中学生だったはずだぜ」
「何でバイトなんてしているのよ……高校生でもここの食べ物のクオリティは高すぎると思っていたのに」
「バイトじゃねえんだよ」
「はあ?」
ますます訳が分からない。そう表情に出しながら、目の前に出されたリゾットに手を合わせていただきますと言った。
「おいしい」
「お前もここでバイトすれば?」
「え……いや、募集してるわけじゃないのに出来ないでしょ。それに、こういうお店、私には合わないわよ」
リゾットを口に運んでいく。トマトの酸味がクリームでまろやかになり、チーズの風味と共に口の中で溶けていく。リゾットのおまけで出された鶏胸肉のピカタは、柔らかい胸肉にあっさりしたレモンソースがかけられ、さっぱりした味わいが口いっぱいに広がる。
「ところで、今日はイタリア料理かなんかのフェアでもやっているの?」
「ここのメニューは気紛れだからな。リゾットはレギュラーメニューだけどピカタは胸肉をどこまで柔らかく調理できるか挑戦するとか言って仕入れていたらしい」
「あの子、何者なのよ」
「知り合いにイタリア人のハーフがいるとか聞いたけど」
「それだけじゃないと思うんだけど」
彼らの皿が空になるのにそう時間はかからなかった。美味しい料理を平らげて、ごちそうさまと言う。食器を片付けようとする彼に、自分が持っていこうかと問うが、店内で働く自分と店の前で販売をする彼女とでは大変さが違うと言って、彼女の分の食器も持っていってしまった。再び一人、休憩室に残される。
小ぢんまりとした店内だけでは想像できない休憩室の広さ、そこに存在する自販機。男女で部屋が分けられている更衣室。客用と店員用の二つが存在するトイレ。二人で回すには広い厨房。少し不気味な笑みを浮かべ、意味深な物言いをする店長と、長すぎる髪を一つに纏めている副店長。中学生なのに働いていると言う女の子。それら全てが彼女にとって異質だった。
ここで働く人達はいい人ばかりだと思うが、店長も副店長も、厨房の女の子もどこか冷めた表情をする時がある。たまにやってくる女性と顔を合わせるとそれぞれが異なる表情をするのも不思議だった。しかし、賄いが美味しいことも、助っ人なのに給料が彼女にとっておいしいことも事実で、彼の言うようにここで正式に働いてみたくもなる。そういう気持ちにさせる時点で、彼女にとっては異質なのだ。
夕方からは凄まじい勢いで接客をしていった。店先での販売用の蓋付きプラコップの在庫切れ、チュロスの材料が無くなり、売り切れが相次ぐ。全てが完売になったのは、花火大会開始より一時間も前のことだった。店内も客がどんどん減っていって、人々が花火大会の会場へ向かったことが分かる。
「お疲れ様ー」
本日、接客や調理をしていたアルバイト達に労りの言葉を投げかけて、褒美だと言わんばかりに抹茶フラッペやモカフラッペが振る舞われる。彼女が貰ったのは抹茶フラッペだ。
後片付けは店長と副店長ですると言った。ほぼ一日中働いていたアルバイト達は帰り支度をして、自宅に帰るなり花火大会を楽しむなり各々好きに動き始める。彼と彼女も同じだった。
薄暗くなり始めた外に出れば、未だに花火大会の会場へ向かう人々がゾロゾロと歩いている。
「ねえ、花火大会見ていく?」
そう言ったのは彼女だった。それに彼は、彼女の方を向いて固まる。驚いたのだろう。彼女からそう誘われるとは思わなかったから。そもそも、彼女から何かに誘われることなど今まで無かったのだ。それが彼でなくても、今の彼女の発言には驚くだろう。
「嫌ならいいんだけど。別に」
「いや、珍しいと思って。金のかかることはしたくないだろうと思ってたから」
「花火大会なんてお金かからないでしょ。見るだけなんだもの」
「ああ、まあな」
「……何よ」
「いや、思ったより親しんできたのかなって思って」
彼はにやける顔を見せないよう、口元を手で覆う。その様子に少し表情をムッとさせて、彼女はそっぽを向いた。
「家は?」
「元々一日バイトに行くって言ってあるし、ご飯も作ってきてある。カレーだけど」
「じゃあ見ていくか」
「うん」
駅へ向かおうとしていた彼らは踵を返し、反対方向へ向かう。人々が向かう花火大会の会場へ行く為に。
既に人で溢れかえるそこには、有料席に座る人と後ろで立っている人、屋台で何かしら買って食べている人や、移動しながらいい場所を見つけようとしている人など様々な行動をとる人達がいて、そんな中彼らは適当な場所で立ち止まった。何と言っても高身長な彼らは、多少後ろでも見える。
「なんか食うか?」
「お金が無い」
「奢ってやる」
「いや、それは申し訳ないし、終わったらすぐ帰るよ。そしたらカレーがあるもの」
開始のアナウンスが鳴る。完全に夜となった空に、一つの花火が打ち上がると歓声が響いた。そして次々と花火は打ち上げられていく。大きな音に体の中が振動するような感覚を覚えながら、カラフルな色のそれを見れば夏の雰囲気を存分に味わうのだ。
「最近は、キャラ物の花火なんてあるのね……」
「色んなところでやってるよな」
花火の間も動いている人達の流れが出来ており、その流れに乗るように彼らは花火に背を向けた。理由は、屋台の匂いでお腹が減ったからである。アルバイト終わりの彼らは体力も消耗しており、空腹に耐えられるはずも無かった。
「今帰ればカレーライスが待ってる……」
「あー、俺どうしよう」
「カレー、食べてく?」
「……いいのか?」
「どうせ沢山作ってあるし、別にいいよ」
近頃の屋台はフレーバーの種類も増えており、中にはカレー味と言うものもある。通り過ぎる人達にもそれを購入して食べている人はいるもので、花火を見る前にも、見ている時にも、二人はその匂いにお腹を鳴らしていた。
遠ざかる花火会場、音は未だに届いており、振り返れば花火が開いたのか夜空が明るく照らされている。
「花より団子」
彼女はふと呟いた。
「まさにそれだな」
「仕方ないわ。私達は健全な高校生。高校生はすぐにお腹減るもの」
「どこの知識だよ」
「今度リゾット作ってみよう」
「昼間の、気に入ったんだな」
2016.08.28
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