10周年記念 | ナノ


午前7時過ぎ、薄ら目を開けて寝転がったままカーテンを軽く捲る。温かい朝の陽射しが眩しくて目を閉じた。ぽかぽかした陽気は私を再び眠りの中へ誘い、そのまま意識を手放しそうになる。その直前、画面もろくに見ないまま彼へメールを送った。隣家に住む幼馴染みで、恋人の彼。送信画面は確認しない。二つ折りの携帯電話――彼がガラケーと呼んだそれを閉じることもしないで枕に顔を埋めた。真っ直ぐ眠りの中へ落ちていく。

次の瞬間、扉の前でノックをしながら私を起こす彼の声で目が覚めた。「ルーシィやエルザ達ががっかりするだろうなあ?」なんて言葉に漸く体を起こす。伸びをしてから一時的に脱力。重い瞼を擦りながらベッドを出て、部屋の戸を開く。そこには少し困ったように笑う彼がいて、そんな彼の横を通って一階の洗面所へ向かった。

ダイニングへ行けば、私が顔を洗っている間に用意された紅茶が出てくる。ふわりといい香りが鼻腔を擽った。

「おはよう、ロキ」

「おはよう、リディア」

くすり、と笑う彼を見る。そう言えば朝の挨拶は二度目のような気もするが、覚えていない。顔を洗うまであまり記憶が定かではないのだけど、まあいいか。カップを手に取り、少し息を吹きかけて冷ましてから一口。私の好きな味が口の中に広がっていく。この瞬間がとても好きだ。

「今日はお花見だけど、ルーシィもエルザも、ついでにナツとグレイもいないよ」

「……ああ、そうだった」

皆とのお花見――基、桜の下での未成年による酒無し宴会は先週行われたんだっけ。まあ、私もロキももう未成年ではないのだけれど。今日はロキと二人で桜並木の下デートをする予定だった、はず。どこに行こうかと話し合って結局決まらなかったから曖昧だ。

「リディア、去年と同じメール送ってきたけど、これどういう意味なのさ?」

「んー」

自分の携帯の送信メールを確認する。意味不明な文字が並び、全くもって意味が分からない。寝ぼけながら私は何を思ったんだっけ。確かカーテンを捲って、あまりに春らしい陽気に眠気が再度襲ってきて――……ああ、ダメだ。どう考えても私が何を思って彼にこのメールを送ったのか、本来はどんな一文だったのか分からない。

「……分かんない」

「えっ」

「……眠い」

「お家デートにする?」

「んー……いや、出掛ける。桜の下を歩きたい」

「そうだね」

何やらキッチンで作っていたらしいそれが出てきた。トーストにベーコンエッグ、レタスとトマトの付け合わせとコーンスープ。思ったより豪華だ。

「ロキは?」

「僕は食べたからいいよ」

椅子に座ると「召し上がれ」と言われた。そう言われるのは何年振りだろうか。手を合わせて「いただきます」と言う。目の前でニコニコしながら食べるのを見られるのは少し恥ずかしいが、こうしてご飯を食べるのは前にも何度かあったし、気にせずスープから頂いた。



出掛ける準備を整えて、私はロキと一緒に家を出た。春の陽気が温かくて、ふわりと吹く風は花の香りを運んでくる。今日の髪型はロキがやってくれた。いつもの緩い三つ編みじゃなくて、編み込みだとか言うものらしい。それをサイドポニーだかなんだかでロキが持ってきたシュシュとやらに括られた。私にはさっぱり分からなかった。服装も彼が選んでくれたものだ。春らしく白いブラウスに薄い緑色――ロキがパステル調だと言っていたカーディガン、下はミディアム丈の紺のスカート。裾に薄桃色のラインが入っている。いつ買ったっけ……なんて思ったけれど、ルーシィと買い物に行く時にロキが着いて来たら大体何かしら買わされたり買ってくれたりしてたな。このカーディガンは誕生日にくれたものだっけ。

「戸締りちゃんとした?」

「した」

「日傘は……今日はいいか」

「うん」

「一人暮らしやめる?」

「やめない」

ロキはチッ、と舌打ちする。最近の彼は大体こんな感じだ。私が一人暮らしすることを嫌がっている。彼は大学卒業後、住み込みと言う形でハートフィリア家に正式に雇われる予定だから、一人暮らしなんて経験出来ないものね。

「おかしくない? 付き合えないだろうと思っていた僕から逃げたくて一人暮らしを考えていたんだろ? こうして僕と付き合い始めたのに一人暮らしするっておかしくない?」

「おかしくない。叔父さんのお世話になり続けるのが嫌だし、一人暮らしを経験するのも大事だから」

「リディアが一人暮らしして危険なことに巻き込まれたら僕発狂すると思う」

「そう」

ギュ、と手を握る。この間知ったけれど、指を交互に絡める手の繋ぎ方は恋人繋ぎとか言うらしい。付き合い始めて彼はよくそうやって手を握る。何だか恋人なんだと主張しているみたいで面白い。

「発狂するよ? 誰彼構わず殴るかもしれないよ? いいの?」

それは脅しているのだろうか。

「ロキは誰彼構わず殴らないでしょ? 殴るなら私に何かした張本人だけだよ」

そう言ったら悔しそうに口を噤んだ。まあ、彼を発狂させない為に私は何か危険に巻き込まれないようにしなくてはいけないのだけどね。

「僕と離れるんだよ?」

「そうだね」

「ルーシィとも離れるよ?」

「うん」

「それでも一人暮らしするの?」

捨てられた犬のように見てくる。捨てるつもりはないのだけれど。不安になるものだろうか。むしろ、私達は今までが近過ぎたから少しくらい離れてもいいと思うのだけど。

「遊びに来ればいいよ。合鍵もあげるし。休みの日には私もこっち戻ってくるよ。それに、離れても好きなことに変わりないでしょう?」

そう言ったら彼は嬉しそうに笑った。太陽のように笑うから、私の心も温かくなる。奥の方が幸福感で満たされていく。握った手から伝わる体温が心地良くて、今更ながらに人一人分の距離が縮まっていたことに気付いた。

気付けば桜並木の下を歩いている。降り注ぐ花弁はまるでぽつぽつと降る雨のようで、日差しを浴びてキラキラと輝いていた。不意に吹く風がどこかの花弁を運んできて、目の前を過る。私と彼が出会った頃と同じ桜の花弁は、ひらりひらりと風に舞って落ちていった。ふと隣を見上げれば、雨のように降り注ぐ花弁を浴びる彼がいた。まるでヒーローのように見えたあの雨の日のことを思い出す。もうあの時と同じ場面を見ることはないだろう。ホッとすると同時に、少し寂しくもあった。

彼の頭にいくつか花弁がついている。少し伸びた彼の髪は風に揺れていた。夏頃にはまた切ると言っていたけれど、卒業する頃には伸ばすのだろう。

「帰りに買い物していこうか」

「お昼ご飯用の?」

「うん。食べていくでしょ?」

「勿論」

何が食べたいか聞けば、彼は少し悩んで「何でもいいよ」と言った。何でもが一番困るのに。それでも彼は何でもいいと言う。私が作るものは何でもおいしいから、と。嬉しい褒め言葉だ。今日は彼の好きな食べ物にしよう。今日は春の陽射しが温かい。少し暑いくらいだし、一緒にアイスを買ってデザートにするのもいいかもしれない。クレープ生地を作ってコーンフレークとチョコレートソースを使ってアイスクレープにでもしよう。うん、楽しみだ。


fin

2016.11.03

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