11
寒い屋外。隣にいる彼女が絶対零度のオーラを放っているような気がする今日この頃。好きで好きで仕方ない幼馴染みの彼女から告白をされたとはとてもじゃないが思えない。
「何でロキが私の気持ちを決めるの」
彼女の語尾から疑問符が除かれる。そんな時の彼女は普段より一際冷たくて、淡々とした口調になるものだ。怒っている、と一目でわかる。今は自分の口や喉が憎いよ……。
「どんなに考えても言い方なんて見つからなくて、私なりに違和感のない伝え方をしたつもりなんだけど」
「ごめん……そうだよね。ただ、信じられないんだ……リディアが僕のことを好きだなんて、まるで夢みたいで……」
彼女はこれ以上伝えるべきことが無いのか、僕のことを横目で一瞥するとすぐに手元のペットボトルに視線を戻した。そうか、次は僕が話す番なのか。先程の話を聞いた上で、僕がどういう答えを出すのか、彼女は待っているのか。そう理解しても、僕の口からうまく言葉が出てこなかった。何度か開閉を繰り返して、ぬるく……否、最早冷たくなってきたコーヒーを飲んで喉を潤す。
グダグダ考えても意味が無い。どんなにコテコテの口説き文句を放ったところで彼女には伝わらない。それは十年も共に過ごしていれば分かることだ。シンプルに伝えた方がいい。僕がどれ程彼女を好きか、きっと口にしてしまえば止まることなんて難しいだろう。それでも彼女は聞いてくれるはずだ。
「小学校の頃から好きだった」
彼女がこちらを向いた。視界の隅に見える彼女の目が見開いている。少しの間凝視していると瞬きを数回した。
「ずっと……好きだったんだ」
情けなくも声が震える。つい最近まで言うつもりなんて無かったのに、言うと決めたのにも関わらず不安感が押し寄せる。バクバクと鼓動が速まって、呼吸すら真面に出来ない。それでも彼女が言ってくれたから、僕も言わなければならない。
「好きでっ……好きで、堪らなくてっ……」
目頭が熱い。鼻の奥がツンとする。目に薄い膜が張って、気を緩めれば雫となって落ちてしまいそう。失恋はしない確信があるのに、僕の心は臆病で情けない。今まで溜めこんだ彼女への感情が溢れ出てしまいそうで、うまく言葉が纏まらない。今まで彼女と過ごした日々で、彼女に感じた愛しさは、きっと言葉にはならないから。
「でも、リディアは恋愛なんて興味が無いと思っていたんだ。そんな話をすることも無かったし、彼氏とかできるそぶりもなかったから。だから安心していたし、同時に僕の恋は叶わないんだって思った」
「……諦めたの?」
「諦めてたよ。言うつもりも無かったんだ。でも、一か月前のあの時のことがあって、リディアに話がしたいと言われて、きっともう今までのような関係にはなれないんだろうなって……それなら言ってしまおうって思った。先を越されちゃったけど」
どこまでも僕は彼女の前で男らしくいられない。いつだって彼女はそこらの男より男前で、頼もしいのに。僕ときたら情けなくて女々しい奴だ。告白だって、本当は彼女の話を聞いたら僕からするはずだった。それがどうだろう。予定が狂ってしまった。どんなに考えても、事前に言葉を用意しても、彼女の前では全てが無意味だ。
僕の言葉を聞いて、彼女は少し黙った後、落ち着いた声で話し始めた。
「私も、好きだなって思った時、同時に諦めたの」
今度は僕が黙る番だった。彼女の諦めたと言う言葉は、僕の胸に深く突き刺さる。僕も同じように諦めた。諦める必要なんてどこにも無かったのに、進もうとしなかった。
「だってロキはいつも可愛い女の子と遊んでいて、本気の子の告白は断っていたから。私は無理なんだって……本気の私じゃ、ロキとどうにかなることは無いんだなって思ってたの」
彼女は言葉を終えて再び口を閉じる。二人して黙り込んで、お互い手元の飲み物を見つめていた。先に溜息を吐いたのは僕だった。
「はあっ…………僕ら、お互いに諦めていたのか……」
「そりゃあ気付かないよね。相手は自分に対してアピールしてこないんだから」
「え……これでも僕はアピールしてたよ……?」
「え? いつ?」
「小学生の頃とか、中学の時も……そもそも女遊びもリディアに嫉妬してほしくて……あっ」
余計なこと言った……彼女は自分も女の子だと言うのに女の子を愛でるから。チラリと彼女を見れば何か考えているようなそぶりで、すぐに僕を見る。
「……でもロキ、元々女の子好きだったでしょう?」
「そりゃあ……でも、リディアと付き合えるなら今の女の子達との関係きっぱり止めるつもりだったし」
「言い訳だ」
「……うん」
空を見上げると青が雲に覆われている。ああ、雨でも降るのかな。
「きっとね……女の子にだらしないロキでも、本気で自分を好きな子にはきちんと断るところが好きなんだろうなって、思っていたんだろうね。だから許せてたんだと思うんだ」
「僕が誰彼構わず遊んでたら許せなかった?」
「引っ叩いてたと思う」
よかった。その辺ちゃんとしてて。本当によかった。インドア派だけど彼女思ったより腕力あるから……。
「でもね、どんな時でも、誰といても、私が困って呼んだらすぐ来てくれるところ。そこが一番好き」
穏やかに笑って言うものだから、一瞬呼吸が、心臓が止まったような気がした。すぐに肺が酸素を求めて息を吸う。心臓はドクドクと動いていた。
「好きよ、ロキ」
彼女に迷いはなくて、僕の中の迷いも消え去っていた。彼女の言葉に「好きだよ、リディア」と返せば、擽ったそうに笑って僕の肩に頭を乗せてくる。付き合っていなくても、ソファーで並ぶとたまにこうしてくることがあった。大抵すぐに彼女は眠ってしまうのだけど、今日は違う。目を開けたまま、どこを見るでもなく、ただ前を見ていた。
愛しい――ただその一言が僕の胸の中で膨らんでいく。ずっと思っていた。いつも真っ直ぐで迷いの無い瞳も、健康的でそれでいて色白な肌も、くるくるとした癖毛の髪の毛も、ふわりと香るシャンプーのにおいも、小さくて細い体も、それなのに体育は苦手じゃないのも、マイペースなのも、彼女の全部が愛しくて仕方ない。全てに触れられたら、どんなに幸せだろうか、と。でも、一番好きなのは、僕の名前を呼ぶ桃色の小さな唇だ。その声でもって僕を虜にしてしまうなんて、きっと彼女は知らないのだろう。
彼女の頭にそっと自分の頭を乗せてみる。体重はかけない。こつん、と軽くぶつかる程度。彼女は嫌がらない。きっとこんなに距離を縮めたのは、あの梅雨時の、雨の日以来だろう。あの時僕は彼女に抱え切れないほどの愛情を抱いたけれど、満たされることなんて無かった。それなのに今は、信じられないくらいに心が満たされている。それこそ溢れそうな程に。
僕らはもう何も話はしなかった。話す必要が無いと思ったから。きっと全て伝わっているわけではないんだろうけど、それでもどうしようも無く愚かだった僕らが、漸くスタート地点に立てたような気がした。
同じ体勢で数分、流石に疲れて体を起こす。彼女が一言「寒い」と呟いた。そうだよね。日中とは言え寒いよね。飲み物は冷え切ってしまったし、僕も彼女も手袋はしていないし。
「帰ろうか」
先に立ち上がってからそう言うとこくりと頷いた。鞄の中に冷えたペットボトルをしまって立ち上がる。
「ああ、そうだ。忘れてた」
「ん? 忘れ物?」
振り返り気味に問えば、彼女は僕を真っ直ぐ見ていた。だからきちんと向き合えばいつもの顔で言う。
「私と付き合ってください」
思わず黙る。数回瞬きをした。多分今僕は、間抜けな顔をしていると思う。
「恋人になるには、こう言うのが通例なんでしょう?」
こてん、と首を傾げる。彼女の一挙一動が愛しいと思う反面、困った。遊び半分でもなく、気合の入った告白でもなく、付き合ってと言われたのが初めてで何を言えばいいのか一瞬分からなかったのだ。でもすぐに理解する。答えは至極簡単だ。
「はい。よろしくお願いします」
そう言ったら、見たことも無い笑みを湛えて彼女は僕の隣に並んだ。幸せってこういうことを言うんだろう。どちらかとも無く手を繋ぐ。手袋はしていない。思ったより温かい彼女の手は柔らかくて、強く握ったら折れてしまいそうだった。優しく包むと離さないようにキュッと力を込めてくる。可愛い。
「あーあ、また先越されちゃった」
「正直言うと、予定が狂ってしまったんだけどね」
「僕もだよ」
でも、と彼女は続ける。
「……壊れたね」
それは小さく呟かれて、風の音で掻き消えてしまいそうな程の音だった。すぐ隣にいた僕の耳にはしっかり届いている。僕は返事をしなかった。言葉の意味は何となく分かっていたから。クリスマスプレゼントだったマフラーに口元を少し埋めてふふ、と笑う。こんなに笑っている彼女を見るのは初めてだ。僕らは雨が降りそうな中家路を辿った。近道も遠回りもしない。散歩のコースとでも言うように、ゆっくり歩いて帰った。
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