05
夕暮れ時、少し濡れた髪をそのままに、施設を出てすぐのところにある自販機でアイスを買う。私はバニラ。シンプルなものが一番おいしい。後ろで私の髪を拭き始めたロキはグレープ。汗もかいたし、さっぱりしたものが良かったのだろう。彼は「ちゃんと髪の毛拭かないと」と言ってアイスを咥えたまま私の頭をガシガシ拭いていく。
「なんでロキ、すげえ自然な流れでリディアの髪を拭き始めるんだよ。おかしいだろ」
「だって、これじゃあリディアが風邪ひいちゃうだろう?」
「こいつ、当然と言わんばかりに……」
「リディアもリディアで、どうしてされるがままなんだ」
「だって面倒くさい」
先程、ハートフィリア家のメイドであるバルゴに連絡をしたところ、車を出してくれるそうで全員でアイスを食べながら待機中だ。次は夏祭り、それに花火大会もあると話に花を咲かせる。暫くされるがままとなっていると、ロキの手が止まるのが分かって、私は振り返りお礼を言うと彼にアイスを差し出した。
「ありがとう。はい、一口」
一瞬きょとんとした表情をしたが、そのまま気にせず私のアイスを口にする。
「ん。ありがと。僕のも一口あげるよ」
「うん」
お互いのアイスを一口だけ交換し合う。
「なんでお前ら、普通に交換してんの!? カップルかよ!!」
「え、しない?」
「そんなことするのはカップルか女子のどっちかだ!」
それは偏見ではなかろうか。
「さっきからグレイ、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもねえよ!」
ロキが少しうんうん頷いているように見えるけれど、ロキも違和感を覚えていたのだろうか。いつも普通に交換していたから気付かなかった。
「さっきから何なんだよ! 髪の毛拭いたり、アイス食べあいっこしたり! お前らカップルか! 女子かっ!!」
「え、髪の毛は拭くでしょ?」
「アイスも食べあいっこするよ。ルーシィ」
「はい、あたしのストロベリーチーズ!」
「ね?」
「いや、「ね?」じゃねえから!」
普通じゃないのか。ルーシィがいつも一口、一口って言うからするものだと思ってた。
「リディア、私の白桃ヨーグルトもどうだ? うまいぞ?」
「貰う」
でも、くれるなら貰うし、欲しいなら上げるよね。一口くらい。
意味が分からん、と腑に落ちないらしいグレイは、バルゴが手配した車が到着する頃にはいつも通りナツとちょっとした言い合いをしていて、エルザとルーシィはどこの店の服が可愛いだとか、あそこのたこ焼き屋が美味しそうだとか話していた。私はと言えば、横にいたロキと話そうにも話題が無く、ただ黙ってアイスを食べていた。
車が到着するとバルゴが現れ、私とエルザ、ルーシィは一番後ろ、三列目に乗せられた。ナツとグレイ、ロキは真ん中の二列目。バルゴは来た時と同じ助手席。運転手はハートフィリア家の専属運転手であるサジタリウス。彼は話し方こそ個性的だが案外繊細な運転をする。今日は人数が多いからか、最大で8人乗りになると言う車でやってきた。車種には疎い私だけれど、この車は何度か乗ったことがある。
発進後、車の揺れで眠気が襲ってきた。プールでは体中を動かすから、終わった後の疲労感はいつも凄まじいし、エルザとルーシィに挟まれたことでその窮屈感と二人の体温が逆に安心感を与え、今なら目を閉じてすぐに眠りの中で落ちてしまうだろう。何とか起きていようと思ったけれど、ゆりかごとも言えない、けれど絶妙な車体の揺れは私に眠るよう耳元で囁いているかのようだった。
ルーシィが車内で眠るのはいつも事だし、エルザまで寝てしまっては最後列の私はやることが無い。二列目を見れば揺れに抗わず頭を揺らすのが見えたから、きっと二列目のグレイとナツも眠ってしまっているのだろう。そう思うと私の瞼は尚更重くなってきた。絶妙に設定された、これまた絶妙な風を送り出すエアコンがいっそのこと恨めしい。ああ、眠ってしまう。
気が付けば自宅の前。私の家とルーシィの家は隣だから、降ろされるのはいつもルーシィの家の前だ。他の皆は家に送られたらしく私達だけだった。
「ありがとうございました」
サジタリウスにお礼を言ってから車を降りる。バルゴもサジタリウスもそうだけれど、ハートフィリア家の使用人は星座の名前がコードネームのようなものになっていてとても綺麗だと思う。私に続いて車から降りた彼もまた、その名を貰っているのだけれど。
ルーシィに私を送ってくると言って車を降りたロキが、私の荷物を持って隣に立つ。荷物くらい持てるのに、少しの距離くらい送らなくてもいいのに。流石に日は沈んで暗いけれど、街灯もあるしほんの少し歩くだけだ。でも、いつもロキは私を送っていく。そして私もそれを受ける。
「じゃあね、リディア。おやすみ」
「おやすみ、ルーシィ」
ルーシィを乗せた車は彼女の家に入っていく。大きな門は車が通り終えるのを見計らったかのように閉じていった。
それを見てから私達は歩き出す。会話らしい会話はやはり殆どない。気になることは、一つあるけれど。飲み物を買った時、ロキは女性に声をかけられていた。何故か私達は男性に声をかけられて、どう切り抜けようか考えているうちにロキに助けられたのだけれど。でも、ロキはそれだけではない。ウォータースライダーの列で順番待ちをしている時や流れるプールにいる時にロキと、それにグレイも声をかけられていた。この二人の見た目は良いと言ったのはルーシィだっただろうか。私にはあまりよく分からないけれど、まあとにかく見た目が良いらしい二人が、女性に声をかけられていたのだ。私と同じ大学生くらいの女性や、高校生らしい女の子だったと思う。
グレイはあまりそう言うことに興味が無いのか、対応はロキに任せていた。ロキは慣れているらしく愛想よく対応していて、女の子達なんかは「きゃー!」と語尾にハートマークでもつきそうな声を上げていた。私、知ってる。こう言うのミーハーって言うんでしょう? なんて言ったらグレイは肩を震わせて笑っていた。面白いこと言っただろうか。
対応を終えたロキは私の方を見なかった。いつもそうだ。他の女の子と話した後、ロキは暫く私を見ない。前は比べられているのかと思ったけれど、最近は違うような気もするし……どっちにしてもロキの考えていることなんて私には分からないから、考えたところで意味はないのだけれど。でも、少し悲しい。
ウォータースライダーの後にもう一度みんなで波のプールへ行った時、ナツに海が苦手なのかと問われた時、やっとロキがこちらを見た。どういう意味合いで見たのか、今でも分からない。私は詳しいことは言わずに肯定の言葉だけ返して後は何も言わなかった。
別に隠すことでもないけれど。でも、私の中で海が苦手になった記憶でも、大事な思い出であることに変わりはないから。何となく、あまり大っぴらに言いたくなかった。ルーシィは知っているし、彼女の判断で彼らに話すのは構わないのだけれどね。
あっという間に私の家の前に着いて、ロキは荷物を玄関の傍に置いてくれた。中に持っていこうとしないのが彼だ。
「ねえ、リディア。今日、楽しかった?」
「うん」
ロキの問いにすぐ答えると、彼は満足そうな笑みを浮かべる。そっと、彼がいつもかけているサングラスを取った。それに驚いた表情を浮かべて「どうしたの?」と問うてくる。
プールの時は、プール内では外していて、プールから出ると着けていたけれど、プール外で外したのが飲み物を買いに行く時とウォータースライダーの列に並んでいる時だ。スタッフさんに怒られると分かっていたから外して席で荷物番をしていたグレイとエルザに預けていた。彼は、自分の目付きが少し鋭いことを気にしているのか、それとも表情を読ませたくないのか、理由は分からないけれど、サングラスを手放すことはあまりない。かけ始めたのは中学生……確か3年の頃だったと思う。
でも、私がこうして外しても、彼が怒ることは無かった。
「ロキは、楽しかった?」
「え、ああ。うん。楽しかったよ」
笑みを浮かべて答えてくれる。もう乾いたらしい髪の毛は少しボサボサで、普段整えているのに比べれば大分かっこ悪く見えた。けれど、整っていない髪型も、サングラスを外した時の目も、私は好きだ。
「荷物、ありがとう。あと、ナンパ男から助けてくれたことも」
「ううん。当然のことさ」
ロキにサングラスを返す。彼は「どうしたんだい?」と聞きながらそれを再びかけ直した。それを見てから、私は玄関の鍵を開けて荷物を持った。少し戸を開けて、動きを止めて、少しだけ振り返り口を開く。
「何となく、ね」
誤魔化したかったのかもしれない。私に笑みを向けるロキに対して、確かに感じる愛しさで心臓が忙しくなるのを。どう足掻いたって、逃げようとしたって、付き纏うこの感情が憎らしくて、恨めしくて……愛おしくて堪らない。
ロキに「おやすみ」とだけ言って家の中に入った。ドアが閉まる間際、一瞬見えたロキが少し切ない表情をしていたのは、気のせいだったのだろうか。もう確認することはできないけれど、少ししてロキは自分の家に戻ったらしく人の気配は消えていた。
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