04
暑い夏の日。夏休みを迎えた学生は、毎日好きに過ごしている。僕らもそれは変わらず、つい先日漸く大学が夏休みに入ったことで気が緩んでいた。そんな日のことだ。
ルーシィが福引でレジャープールの割引券を当てたと言う。嬉しそうに現物を見せながら僕ではなく彼女に一緒に行こうと話しかけていた。
彼女とは毎年一緒にプールへ行く。プールと言っても一般客が利用するようなレジャープールではなく、ハートフィリア財閥所有のプライベートプールだ。当然僕ら以外の客はいないから、一日中好きなように遊んでは、プールが付属されている宿泊施設でゆっくり休むのが毎年の恒例行事になりつつあった。今年はどうやらこのレジャープールに行くようだから、プライベートプールの予定は立てないようだけど。
ルーシィは毎年新しい水着を買う。彼女の手を引いて買い物に行くんだ。彼女はセンスが無いからと言うが、ルーシィが聞けば必ず自分の意見を言っているらしい。身内にしか見せないとは言え、出来るだけ布の多いものを選んでいるみたいだった。
それに比べて彼女は高校生の頃から変わらない。細かく言えば中学生の頃から変わらない。決まって学校でも使うようなスクール水着だった。小学生の頃は子供が良く着るようなワンピースでヒラヒラのスカートがついている水着だったが、中学に上がってスクール水着を手に入れた彼女は毎年それを着た。体が成長したからと言って、高校に上がったら新しいスクール水着を買ったと言っていたのを思い出すと、涙が溢れる。
何のために僕は彼女達と共にプールへ行くのか。それは水着が見たいからだ。特に彼女の。スク水もそれはそれで可愛いしコスプレと思えば有りだけど、プライベートなのにスク水ってどうなの? ビキニとは言わないけど、可愛くて歳に見合った水着を毎年期待してはその期待を砕かれる。
僕は学習した。今年も彼女はスク水だ。あ、涙出そう。
「プールだー!」
驚くことに、彼女はスク水では無かった。レジャープールは久しぶりに来たと言うルーシィがはしゃぐ後ろで、パーカーを羽織る彼女がこちらに気付く。
パーカーの下は海のような青緑と白のボーダー柄のタンキニで、同じ柄のビキニの上にAラインのトップス、キュロットのボトムスを着ている。ルーシィと共に選んだと言うが、恐らくルーシィは、彼女がスク水以外を選ぶよう出来るだけ布面積の多いものを選んだのだろう。彼女の身長も相俟って大人っぽいとは言い難いが、しかし普段見られない姿に僕の心臓は飛び出てしまいそうな程うるさく騒いでいた。
別料金を支払って獲得した有料席に座っている僕らに近付いてくると彼女が持っていたお弁当の包みをテーブルに置く。続いて先程膨らませた浮輪に、タオルや必需品の入ったバッグを置くとパーカーを脱いだ。僕の心臓の動きは加速した。
「ルーシィ、エルザ。それにナツとグレイも。プール入る前に準備体操するように」
今すぐにプールへ駆け出しそうな四人にそう言うと、四人は大人しく準備体操に取り掛かる。僕らも一緒に準備体操をすると、遠くでこちらを見る大学生らしき数人が笑っていた。彼らはきっとプールに入ったら足を攣って溺れかけるに違いない。ついでに言うとこういう場面で準備体操をしないと彼女は怒る。普段どんなことにも寛大――正確に言えば無関心である彼女が、プールでの準備体操を怠った時に見せる怒りは普段が普段なだけに恐ろしい。
僕らの準備体操を横目に、中心に連れて深くなっているプールへ飛び込むように入ると騒がしくなった。スタッフの注意する声が聞こえるが、別の声も聞こえる。どうやら溺れかけたらしい。まさか思った通りになるとは思わなかった。
「ああなるから準備体操はしっかりね」
彼女はちゃっかりそんなことを言って四人を納得させていた。
準備体操を終えて四人は早速プールへ向かう。ルーシィとエルザに日焼け止めを塗るよう伝える彼女は、自身に日焼け止めを塗るのを忘れる人間と同一人物が疑ってしまうが、流石の彼女も今日はきちんと塗ってきたらしい。
四人はここから一番近い波の出るプールへ行くようだ。僕と彼女は荷物番としてここに残る。四人の姿を見ながら、冷えた麦茶を紙コップに注いだ。
「ここ、僕ら以外にいないね」
「別途料金が発生するからね。払うくらいならその辺にレジャーシート敷いた方が安いって思うだろうし」
「ああ、あとあっちの流れるプールの方にもあるしね」
「うん」
波の出るプールは、時間によって人工的な波が発生する。海のように穏やかだと思えばいつの間にか波に流されることもあって、子供には人気なようだ。小さな子供は浅いところでパパと思われる男性と楽しげに遊んでいる。
ルーシィ達四人はと言えば、波が一番高くなる前面へ真っ先に進んでいって波に揺られていた。浮輪に乗ったルーシィを手放さないでくれよ、と思っていたらアーチ状に噴射されたシャワーの真ん中を進み始めている。
「そう言えば、リディアって海が苦手だったよね」
ふと思い出した。小学生の頃、どうして毎年プールなのかと疑問に思ったことがある。プライベートプールがあるならプライベートビーチがあってもおかしくないだろう、と。聞いてみれば、確かにプライベートビーチはあるらしいが、彼女を誘っていく時は必ずプールの方なんだとか。理由は、彼女が海を苦手としているから。
どうして苦手なのかそれとなく聞いたことはあるけど、彼女は「んー……苦手なんだよね」と言ってはぐらかした。それから何となく聞いてはいけないような気がして、この話題は口にされることがなくなったんだけど。
「どうしてか、聞いてもいい?」
「んー」
またはぐらかされてしまうだろうか。緊張したように心臓がドキドキする。喉が渇くのが早くて何度も麦茶を飲んでしまう。暫しの間があって、彼女は口を開いた。
「どうしても、知りたい?」
「……言いたくなかったら、無理にとは言わない。でも、詳しいことじゃなくて、苦手になったきっかけが何だったのかくらいは聞きたい、かな」
「そっか」
そう言うと、また何かを考えるそぶりを見せる。このまま沈黙を続けるか、話してくれるのか。大体の女の子なら何となく分かるけど、彼女に関しては全く分からない。
「溺れたことが、あるんだよね」
言ってはくれないのかな、なんて思った時だ。彼女は世間話でも始めるかのように言った。
「ロキと会う前……多分小学校に上がる前だったと思う。家族で海に行ったことがあって、その時に溺れちゃったんだよ。私は水泳教室に通っていたから泳げたけど、浮輪に乗るのが好きだったから輪っかに体を通してぷかぷか浮いてた」
今のルーシィとは違う使い方だったね。なんて言いながら話を続ける。
「そしたら高い波が来て、浮輪がひっくり返ったの。吃驚したし、何も見えなくて息も出来なくて、浮輪からすっぽ抜けたらしく、浮きあがるのに時間がかかってね。父が助けてくれなかったら気を失っていただろうなあって、今でも思う。だから海は苦手。泳げなくなるの」
どうして彼女がその話を僕にしてくれたのか、聞いた身でありながら分からなくて。ただ、波が治まったプールを見ながら彼女は尚も言葉を紡いだ。
「家族で行った最初で最後の海だった。苦手になったけれど、早いうちに行って慣れたら克服できるって、だからまた行こうねって話してたんだけど、親の仕事が忙しくなってきてね。なかなか機会が無くて先延ばしになって、気付いたら中学生になってた」
そこまで聞いて僕は彼女を止める。思わずごめん、と口走った。中学生、両親、その二つが結びつく先にあるのは、彼女の両親の死だから。彼女は僕に謝らせたかったわけじゃない。そんなことは分かっているけれど、聞き出したのは僕だ。
「別にいいよ。あんまり言いたくないのも事実だけど、そう言えばロキには言ってなかったなあって思ったから言ったんだし」
「そう言えばって……」
「言うのを避けていたとかじゃなくて、単純に、両親との大切な思い出だったから。あんまり言いふらしたくなかったの。私ね、海は泳げなくて苦手だけど、嫌いじゃないから」
ふわりと笑う。懐かしくて愛しい記憶だと言うように。彼女のことだから、言葉通りなんだろう。苦手だけど嫌いじゃない。好きかと聞かれたらそうでもないと答えるんだ。
「今、僕やルーシィが海に行こうって言ったら、どうする?」
ちょっとした好奇心で聞いた。彼女はきょとんとした顔をこちらに向けて、そして言葉を放つ。
「多分、断らないよ。海には入らないけどね」
「そっか……うん」
今度、ルーシィに教えてあげようか――否、まだ僕だけの秘密にしておこう。
波の出るプールから出てきてこちらに戻ってくる四人を見て、タオルとスポーツドリンクを用意する彼女に真っ先に甘えるのはルーシィだから。たまには僕だけの特別があったって、罰は当たらないよね。
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