10周年記念 | ナノ
03

梅雨の時期、暗い雲が空を覆い、強い雨が降っている日は夢を見る。

「……日曜日」

起きてカーテンを開けば土砂降りの雨。窓に打ち付けるそれは無情な音を奏でた。すっかり気分が沈んでしまい、重くなった体に鞭を打つように気合を入れてベッドから出る。じめじめとした感覚が猶更気分を落とすものだから、そんな日は一日ベッドの上で過ごしていたいと思ってしまうが、私は朝ご飯を作らなくてはならないのだ。

「おはよう。今日は気分が良く無さそうだな」

「おはよう」

珍しく私より先に起きている叔父に挨拶をする。叔父は私の最悪な気分を悟ってくれると、座っていた椅子から立ち上がって額に触れた。別に熱があるわけじゃない。夢見が悪かっただけだ。

「まあ、今は体調崩しやすい季節だしな。気を付けろよ?」

「うん」

「朝食はパン焼くだけでいいからな」

「大丈夫」

人の心配をするわりに、料理は全くできない人だから、結局食事は私が作るしかない。早くこの人と結婚してくれる優しい女性が現れないかと願ってもう数年だ。忙しい人だから仕方ないだろうけれど、悪い人ではないからいい人なんてすぐ見つかると思っていたが、私が大学生になっても女っ気一つ無いのだから心配になる。

「もうそろそろか?」

「そうだね」

「その日は午前中休みにしてある。一緒に墓参りに行こう」

「うん。私もその日は四限からだから大丈夫」

ああ、そう言えばロキにも言っておかなくちゃいけないな。何でか朝の時間が合う時、彼はいつも私のことを待っているから。

高校時代、気紛れで早く学校に行ってしまった時、気付かないうちに何度も電話が来て、出てみると「なんでっ!?」と開口一番言ってきたことがある。約束していたわけじゃなかったから驚いたものだ。それ以来、ロキは時間を見計らって私より先に外に出て待っていることが増えた。ロキがいない時は彼に用事があるか寝坊した時だ。

「そう言えば……就職はどうするんだ?」

「んー……まあ、ある程度は考えてる、かな」

「そうか。まあ、お前さえ良ければうちにでも、と思ったが……」

「それは最終手段にしておく」

「そうだな」

トースターに入れたパンが焼け終わった音がして、それを皿に盛りつける。簡単に作ったスクランブルエッグとウインナー、レタスとプチトマトを一緒に盛り付けて、バターと一緒に食卓へ出せば新聞を読んでいた叔父が顔を上げた。叔父にはコーヒー、私には紅茶を淹れて朝食の完成だ。

私と叔父の「いただきます」と言う声が重なり、各々好きなものから手を付けていく。

「一人暮らしの件だが、もしうちで採用されたとしても一人暮らしするつもりか?」

「うん」

「そうか」

基本的に叔父は私の両親と似たような思考をしている。私の決めたことには口を出さない。勿論、私が間違っていたら流石に口をはさんでくるけれど。進路に関しても何か言われたことはない。ルーシィのことを知っているからなのかもしれないが、私が決めたところならそれでいいと言う。叔父は母に似てとても優しい人だ。

叔父に関して心配なのは、料理が出来なくて自分でまともな食事すら出来ないと言うことだ。私が家を出て行ったら、私が来る前に戻って栄養の偏った食事ばかりしてしまうんじゃないだろうか。

本当に、叔父には優しくて料理の得意な女性が嫁ぎに来てくれたらいいのに。

「ルーシィちゃん達には言ったのか?」

「まだ。決まってからでいいと思って」

「そうか? あの子はリディアに懐いているから早く言った方がいいと思うが」

「もうそんなに子供じゃないんだし、大丈夫だよ」

酷く驚いてしまうのだろうけれど。きっとあの子のことだから、絶対ダメなんてことは言わないと思う。

それは生まれた時から一緒にいるからこそ、ずっと見てきたからこそ……あの子はきっと気付いているから。私が逃げたくて仕方ないことを。あの子からじゃない。彼から逃げたかった。

「やっぱり気分が悪いのか?」

「ううん。大丈夫」

こんな雨の日は思い出す。夢に見る程、鮮明に。事故だと聞いたあの時の声も、受話器越しに聞こえたサイレンの音も、強く打ち付ける雨のにおいも。初めは実感なんて湧かなくて、悲しくて辛くて、何で自分は生きているんだろうとさえ思えてくる程に、その現実を受け入れたくなかった。

あの日と同じ、雨のにおいに包まれる日が、私は嫌いだ。けれど、私が彼を好きになったのも、こんな雨の日だったから。どんなに嫌いでも憎めなくて、勝手にまた彼が来てくれるような気になってしまう。そんな淡い期待は無駄だと何度も思ってきたと言うのに。


叔父が出掛けても雨は止む気配を見せず、その勢いを見せつける。幸い休日だった私は、昼食と夕食をどうするか悩むくらいで困ることは殆どない。今が梅雨なければ尚更のことだろう。

ストレートパーマを当てているらしい女子が、湿気は敵だと言っていたのを思い出した。知り合いかと問われれば首を傾げる程度の間柄ではあったが、その女子の声は大きくてよく耳に入る。私も生まれつきうねった癖のある髪質だから、気持ちは分からなくもない。いつも以上に髪の毛は癖を強めて丸みを帯びていた。

時計の針はあと少しで12時を示す。買い物に行く間も無く昼食の時間になってしまう。お昼の準備は全く持って出来ていない。困った。お腹が空いて動きたくなくなってしまう。非常に困った。紅茶だけではお腹は満たされない。否、膨れるだけなら充分だが、食べ物を食べると言う満足感を得られないのだ。

「……んー」

静かなリビングに自分の声が響く。流しているだけのテレビを消して、髪の毛を軽く纏めた。彼がやってくれる時程綺麗ではないけれど、ちょっと出掛けるくらいなら問題ないだろう。小さな鞄に財布と携帯電話を入れて、鍵を持って靴を履く。傘を手に取り玄関を開ければ強い雨とご対面……と言うわけにもいかず。

「や、やあ……」

玄関が開いたことで驚いたらしい彼がそこにはいた。

彼は丁度インターホンを鳴らそうとしていたところだったらしい。私がどうしたのか問うと少し口ごもりながらも答えてくれた。

「いや……どうしてるかなあって思って。ほら、僕さっきまでバイトだったからさ。今日は雨だし」

ああ、気を遣ってくれているのか。瞬時に分かってしまった。泣き疲れて、何をするにも面倒で、学校だけは行っていたけれどそれ以外では外に出ようとしなかった私を心配してくれたあの時と同じように。

「梅雨だし、さ」

言葉尻が小さくなっていく。何を気遣う必要があるのか。いや、確かに私はこの雨で鬱々とした気分ではあったけれど。でも、彼の顔を見た途端に心が晴れやかになるのだから、彼が困ったように笑う必要なんてどこにもない。

「これからご飯の買い物に行こうと思っていたの」

「そうなの? 手伝おうか?」

「うん」

夢を見たの。あの時のことを鮮明に描いたその光景は、いつもこの時期になると見る夢。そして決まってその後はいつも、彼がドアを開けてくれる。あの時も今もドアを開けたのは私の方なのに。暗闇の中で蹲っていた私に声をかけて、自分が泣きそうになりながら私に言葉を放って、手を引っ張ってくれるんだ。

ああ、少し稚拙な表現かもしれないけどね。


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