雨色 | ナノ
34

ローレライは言葉を持たない。口を開く時は歌をうたい、相手の動きを鈍らせる。攻撃方法は“水を操ること”だけれど、歌よりこちらの方が得意らしい。私がカルデアで聞いた説明だ。

「そのローレライの力を最大限に活かせるガーディアンがあることは、御存知?」

アオイの表情が動揺する前に戻っていく。こちらの方が鋭い目をしているようにさえ見える。

「ローレライと同時期に造られ、二つあることで互いの力をより強くさせるARM――セイレーン」

アオイは、つくづく運がないと言った。それは自分自身に言ったことだったのだと思う。深い意味は特になかったのだろう。けれど、今になってみれば、運がなかったのは私の方だ。

出現したガーディアンは、彼女が言う「セイレーン」だろう。美しい容姿を持った女の精だ。こちらは目を開けてはおらず、閉じたまま口を開いた。

「ローレライ!」

咄嗟にローレライに攻撃を指示する。ローレライは歌うのをやめて両手を広げ、無数の水の柱を作り出した。アオイを取り囲むように柱は地面から噴き出す。

けれど、セイレーンの歌が水の柱を吹き飛ばし、声量か或いは歌そのものの力か、水の柱は全て消え去ってしまった。

「動きを止めるローレライの歌と、破滅を歌うセイレーンなら、どちらが上だと思う?」

歌を聞いただけなのに苦しい。ローレライの歌はこんな感じなのだろうか。それとも、それより上なのだろうか。

「まさかあなたが、ローレライを使うとは思わなかった。もしかしてこれが貰ったARM?」

ああ、やっぱり、使い慣れないARMで彼女に勝つのは難しいみたいだ。かといって、使い慣れているガーディアンはもういない。フローズは弾き飛ばされたまま、ジャックフロストは使えない。

「本当は、使うつもりなんてなかったのに……」

もうこの子しかいない。

ローレライを戻した私が何かすることを察したのだろう。セイレーンの歌を強めると、アオイ自身が何かを呟くように言った。

「……ばれたのはあなたが初めてだったよ」

やっぱり彼女は、殺されたいんだ。

「カルト!!」

ずっと持っていたけれど、うまく使いこなせなくて使うつもりはなかった。私の切り札。

「全員離れろ!!」

アルヴィスの声が響く。これで安心してカルトを使える。

「今度は一体どんなガーディアンかしら? 私も知らないガーディアンだけれど」

「絶対零度」

何かを感じ取ったのか、急いでセイレーンを戻すアオイは距離を取ろうとする。けれど遅かったらしい。彼女の脚は既に凍らされていて動こうにも動けないようだった。

「カルトは相手を凍らせることしかできない。けれど、私がうまくコントロール出来なくて、周りを巻き込みすぎて氷使いも耐えられるかどうか分からないの」

「そんなARMを隠し持っていたなんて……」

「使うつもりはなかった。アオイ、あなたが約束してくれるならカルトをARMに戻す」

「もう人は殺すなってこと? それとも世界を壊すな? 或いはチェスを辞めろとか言うんじゃないでしょうね……」

「殺されたいなんて思わないで! 生きていたら世界の美しさも、人間の優しさも分かるから!!」

私の声は、彼女の心に届いてくれるだろうか。

「……ふざけないで!!」

アオイの声が力強く響く。強い拒絶だ。

「初めに殺したのも壊したのもそっちのくせに、今度はいいところがあると言って悪いことを許せと言うの!? 善があれば悪を許してもいいわけ!? 罪を犯しても善行を積めばなかったことに出来るの!? そんなはずないでしょ!!」

アオイの感情が溢れている。自分でさえ分からない程に、彼女は今叫んでいる。

「あんたは人の悪いところを見ていない! 無かったことにしている! そんなことじゃ本当に世界を、人間を好きだなんて言えないじゃない!!」

カルトの絶対零度がアオイを包んでいく。飲み込むようにアオイを覆い尽くしてしまった。

彼女が言っていることはもっともだ。私は綺麗な部分しか見ていなかった。悪いこともあったはずなのに。見て見ぬふりをしていたのだ。

「カルト、戻って」

カルトを戻しても暫くは氷が解けない。けれど、ピキッと音がして氷が崩れていく。

「うそでしょ……」

氷の中から傷だらけのアオイが出てきて、私はもうその姿に圧倒された。あんなに激昂していたのに、一度氷漬けにされたから冷静になったとでも言うのか。彼女はまた冷たい目をしている。冷たくて、鋭い目。

アオイが近付いてくるのに、それを見ているのに、その場から動けなくて、アオイから目が逸らせない

「自分の理想を押し付けないで。あんたが言っているのは、誰かの犠牲の上に成り立つ幸せばかりだ。あの村人達と同じだよ」

腹部を殴られる。魔力も体力もかなり消耗していた私にガードできるはずもなく、情けなくその場に倒れた。遠くからアルヴィスやギンタ達の声が聞こえる。立ち上がる気力すらなくて、ただ目だけでアオイを見てみれば、酷く辛そうな顔をしていた。


圧倒的実力差と言うものを、私は体験したことがなかった。

いつも戦う時は無我夢中で、もしかしたら気付かなかっただけなのかもしれないけれど、自身が戦った中で相手が強過ぎて心が折れそうになることはなかった。

それは、私自身が唯一自信を持てることだったし、これからもそうでありたいと思っていたのだ。

「ラプンツェルを倒した実力は認めるけど、それまでだったな……」

私は今、人生初めて、心が折れる音を聞いた気がする。

アルヴィスに抱えられて、皆の元へと戻れば心配そうな顔で皆が寄ってきてくれた。情けない戦いを見せてしまったことや、結果敗北してしまったことが申し訳なくて、なんて言ったらいいか分からない。きっとそれは、皆も同じだと思う。

アオイが最後に呟いた言葉に、私は彼女と同じ土俵に立てたわけではないのだと思った。凍らせたはずの彼女は氷を簡単に崩して出てきて、魔力や体力を消耗していたとは言え最後の一撃はARMを使わずに私を倒したのだ。それに、今見ても彼女はスタスタと歩いていて、元気いっぱいとは言えなくても、私よりずっと元気だった。

じわりと浮かんできた涙に気付いて思わず俯く。ギンタとジャックがどこか痛いのか聞いてくるけれど、答えられなくてただただ黙ったままでいた。

理解したいなんて言っておいて、彼女に勝つことさえ出来なくて、体に傷をつけても動きを完全に止めることはできなくて、それで負けてしまうなんて……本当に私は足手纏いだ。


2014.11.20

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