そしてある日のこと、彼女はとうとう行動に移す。廊下を歩く女を目の前で待ち構え、一気に刃物を突き刺した。周りに人の影どころか気配すら無く、女に一瞬でもARMを発動させる隙を与えない。女が声を出す暇すら無く、ただただ肉の切れる音だけがその場に小さく流れていった。
そうして彼女は女を殺した。憎き女をこの世から排除し、これで漸く彼は自分を愛してくれる。自分だけを見てくれる。彼女の心は晴れ晴れとしていて、達成感に満ちていた。空は曇り空で決して気持ちのいい気候では無かったが、それでも彼女はそれさえも心地好かった。
あぁ、いつ彼に話に行こう。自分がどれだけあなたを愛しているか。今まで出会った男なんてあなたの半分の魅力も無かった。そう思う彼女はまさしく乙女で、彼女は幸福感でいっぱいだった。
その数日後、彼女が殺されるまでは。
* * * * *
男の愛は異常だった。
男が愛した女は両手で足りる程だったが、どれもが口を揃えて言う。「あの人は少しおかしかった」と。本人はそうとは思わなかった。自分の愛情は決して異常では無く正常だと。おかしくはないのだと信じて疑わなかった。
男がチェスの兵隊に入ったのは、あまりにも自分を異常だと言う女が多かったから。世界を浄化しようだなんていう組織だから、きっと自分より異常な人間が山ほどいるだろう。そしてそんな人間の中で、異常だと言われた自分は正常に見えるに違いない。否、自分は元から正常なのだから、きっと女も考え直してくれるだろうと思ってのことだった。
しかし男はそこで思わぬ出会いをする。きっとそれは何もかもが偶然だったのだろう。しかし男には必然にしか思えなかった。男の視界に入ったのは、憂えた表情がやけに似合っている女性で、少しウェーブがかった髪がよく似合っていた。恋に落ちたのだと理解するのに時間はかからず、男はすぐに彼女に思いを伝えようするが、彼女はただ一人の男性を見つめていたのだ。
その憂えた表情で見つめる先にいる男性こそ、彼女の思い人なのだと気付く。彼女の視線はとても熱く、これでは自分じゃ敵わない。同じ土俵にすら立てない。どうやら男性は彼女の気持ちどころか熱視線にも気付いていないようだ。ならばまずは彼女と親しくなることから始めよう。そう考えた男は早速行動に移した。
彼女の要望には全て応え、彼女の指示に全て従った。例えそれで自分を見失おうが、彼女が自分では無くあの男性を見ようが構わなかった。彼女が例えあの男性を思うが故に誰かを殺そうが、自分を利用しようがそんな事関係無い。彼女の為なら男は自分の命でさえ惜しくは無かったのだ。これが彼の異常とも言える愛情だった。これは自分で決めたことで、好きな人の為なら何だってする自分は間違っていない。それこそが自分なのだと。
彼女に付き従って分かったことは、彼女の愛情は本物と言える程深いものだということ。あの男性はそんな思いに気付かないどころか、ファントムや別の女を見ていることだった。
ファントムまでは許容範囲だった。男が初めて男性を見かけた時から男性はファントムに忠実だったから。それに男性だって人間なのだから女を好きになるだろう。だがどうしてそれが彼女ではないのか。あんな小娘のどこがいいのか。地味で、それでいて無愛想で、そして何も気付かない鈍感女だ。しかし男に人の心を読むことなど出来やしない。それでも自分が付き従う彼女が、あの女を酷く邪魔に思っていることだけは理解できた。
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