驟雨去りし
「あーあ……」
思わず小さな声が洩れる。外は土砂降り。まさかちょっと買い物している間に、こんなに雨が降るとは思わなかった。傘なんて持っていない。天気予報は夕方から降る可能性があるとしか言っていなかったから持ってこなかった。こんなことなら小さいなんて気にせず折り畳み傘を持ってくればよかった。
そんな風に後悔しても雨が止む気配はない。困ったものだ。通り雨ならいいけれど、暫く続くなら帰ることもできないのだから。
今日の髪の毛がやけにくるくるしているような気がしたのも気のせいではなかったのだろう。湿気が多いとくるくるするから困るんだ。でも湿気がなくてもくるくるしてることもあるし、いつものことだと思って気にしなかった。
深くため息をついて、とりあえず勢いが弱まるのを待つことにした。下手に動いて濡れても嫌だ。弱まった隙に帰ると言う手もあるが……今のところ弱まる気配もない。本当にどうしてこうなったのか。自分が水タイプのポケモンであればよかったのにと、これ程までに思うこともそうそうないだろう。
雨は別に嫌いではない。自分の出身地では場所によればよく降るところもあったくらいだ。その頃は旅をしていたから雨合羽を常備していたし、言う程困ることもなかった。それに、雨のにおいや雨の音は思ったより落ち着く。部屋の中にさえいられるのなら、雨の音を聞きながらゆっくりするのもいいだろう。今は外にいるわけだが。
「あ……そうだ」
ふと、自分が通信機器を持っていたことを思い出した。何のために携帯しているのか、どうして今まで忘れていたのか。自分の愚かさに泣きたくなるが、今はそれどころではない。タイミングさえよければ濡れずに帰ることができるかもしれないのだ。
鞄の中からそれを取り出し、アドレス帳から一人の男の名前を表示する。最悪のタイミングであれば迎えには来てくれないかもしれない。私の態度も重要だ。とにかくそいつが趣味の機械弄りの合間であることを祈りながら、私は通話開始ボタンを押した。
暫くコールが続く。これはもしかして、手が空いていないと言うことだろうか。出ないのは予想外だった。諦めて通話終了ボタンを押そうかと思った時、コールが途切れて気怠そうな声が聞こえた。
「もしもし? デンジ?」
どうしたのか、と言う言葉に、相手が思ったより普通であることが窺えた。
私は別に彼に恐怖を抱いているわけではないのだが、機械弄りに熱中するあまり周りのことなど気にしない彼に関して半分諦めていた。趣味に関して文句を言わなければ彼とはポケモンの話で気が合うし、私のことも構ってくれるのだ。それに、私にだって趣味というものがあるのだから、お互いの趣味には干渉しないと言うのが暗黙のルールみたいなものだった。
以前、彼曰く腐れ縁という彼の友人である赤いアフロの男には、お前ら変なカップルだなと言われたが、失礼な話である。
今は赤いアフロの男については置いておこう。ジムの奥に籠り、外のことに関して全く持って興味を抱いていないであろう通話相手の彼に現状を伝え、あわよくば迎えに来てほしい旨を伝えなくては。
「今大雨が降っていてね……買い物に来ているんだけど傘がなくて」
よければ傘を持ってきてくれないかと言ってから、今ジム戦の最中だったらどうしようと気付いた。よく考えれば……否、よく考えなくても彼はこの町のジムリーダーだ。挑戦者がやってきて今正にジムトレーナーを千切っては投げ千切っては投げ、と倒していたとしたら、骨のある挑戦者に彼が心躍らせていたところだったかもしれない。
これは非常に面倒なことになりかねない。最悪今日の私は泣きを見ることになるかもしれない。
「ていうか、お前、電話越しでノイズとか聞こえないわけ?」
私は買い物していた建物の出入り口から少し離れたところにいた。店内の音で相手の声が聞こえにくくなるのが嫌だったのだ。強く打ち付ける雨の音も嫌ではあるのだが、自然現象なのでそこは仕方ないだろう。だから私の後ろは壁でもなければ店内に続く出入り口でもなく、後ろに誰か立っていてもおかしくない程がら空きだった。いや、知らない誰かが立っていたらそれはそれでおかしい話なのだけれど。
「デンジ……?」
「全く。天気予報くらい見て行けよ」
後ろを振り返れば呆れたような表情で立っている通話相手の姿があった。
「いや、見てたんだけど、夕方から降る可能性があるとしか言ってなかったから、平気かなって」
驚いて普通のことしか言えなかった。ここで変なことを言っても意味はないのだが。
「え、迎えにきてくれたの……?」
驚いて自分の声が自分のものではないようにさえ聞こえた。あのデンジが自ら迎えにきてくれるなんて、明日は雪でも降るのではないだろうか。季節的に有りえない話だとは思うけれど。
「ナマエ、買い物行ってくるって言ってただろ。傘持って行ったそぶりなかったから。丁度挑戦者もいなかったしな」
趣味はどうしたんだ、と聞こうかと思ったけれど、やめておいた。
「びっくりした……」
「俺が迎えにきたのがそんなに驚くことか?」
「だってジム戦中だったらどうしようとか、機械弄りの途中で来てくれなかったらどうしようとか思った」
「お前は俺のことを何だと思っているんだ」
「ニート?」
「悪かったな。一応働いてはいるんだぞ。あと今日の夕飯なんだよ」
「うわ、この流れでそれ聞くのか。ちょっと肌寒いので肉豆腐」
「しょっぱいので」
「甘いのだめ?」
「甘すぎるのはちょっと」
「お菓子じゃないんだから甘ったるいものは作らないわよ」
すっかり私の驚きも引っ込んでしまった。デンジはさり気なく私が持っていた袋を持ってくれて、それに一瞬驚いたものの彼が「あっ」と声を洩らしたことで再び驚きは引っ込んでしまう。
「悪い、お前の傘忘れた」
「なんてことだ」
まさか傘を忘れた私を迎えに来ておいて、私の傘を忘れるとは此れ如何に。
「いや、でも最初に忘れたのはナマエの方だし、俺迎えにきてやったし、俺悪くないだろ?」
「うわあ、責任逃れ」
「まあ安心しろよ。俺はちょっと大きめの傘を持ってきたから二人で入れる」
「安心とは」
まさかの相合傘など、誰が予想できただろうか。確かにデンジは大きめの傘……いや、ちょっとどころじゃないけど。明らかに大人二人余裕で入れますよって感じの大きい傘なんだけど。
「……まさかデンジ、これ狙ってたんじゃないでしょうね?」
疑いたくはないけど、まさかわざと私の傘を持ってこなかったのではないだろうか。
「お前、俺がそんな男に見えるのか」
「だ、だよねー。折角迎えに来てくれたデンジを疑うなんて……ごめんね? 迎えにきてくれてありがとう」
「ごめん、狙ったわ」
「おい」
私の良心が痛んだから謝ってお礼を言ったと言うのに、この男。
しかし傘は一本しかないわけで、どう足掻いてもこれで相合傘して帰るしかない。新しい傘を買うなんて選択肢は私にもデンジにも無く、相合傘という一択しかなかった。
「もう……仕方ないなあ」
傘を開いて待っているデンジの隣に入り込む。傘も荷物も持たせてしまって悪いなと思って、荷物は私が持とうとしたら拒否されてしまった。本当に明日は雪が降るんじゃないだろうか。
「ナマエ、お前今日の髪、変じゃね?」
「いつもよりくるくるしてるだけだよ人のコンプレックス突いてくんな」
うん。明日雪は降らない。断言できる。
帰る途中で雨は止んで晴れてきたけれど、色々あったせいで家に着いた時点で全身濡れていたのは、どう考えてもおかしな話だ。
2015.07.03
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