そうして僕らの世界は完結する
人は人に対し、異常な程の愛情を持つ者もいれば、酷いくらいに冷徹になる者もいる。
自分が愛する人に優しくするのは当然のことだろう。自分とその人以外、どうでもいいと思うのも自然なことだ。自分の好きな人間だけで世界を構成できれば、どれ程幸せなことだろうか。
僕の身近な人で、同性だけれど友人に異常な程の愛情を持つ人がいる。
それが恋愛感情なのか、ただの友愛なのか、それとも家族愛に似たものなのか、僕には判断できないけれど。相手もそれを受け入れているところを見ると、昔からそうだったんだと思う。
僕はそれが羨ましい。相手の女の子――つまりは友人であるその子は僕の好きな人であり、もう少しで落ちるところだというのに、いつも彼女の邪魔が入ってしまうんだ。
前にそれとなく言ってみたことがある。すると彼女は、
「あなたのような男にナマエのことを任せるなんて、できないでしょう」
冷たい視線を受けながら放たれた言葉が胸に突き刺さった。
あの子だって同じチェスの兵隊だ。僕らと少し思考は違うかもしれないが、ここにいることを選んだのだ。少なからず、僕に好意を持っていても不思議じゃないと思う。
それでも彼女はあの子を過保護なまでに守っていた。
僕は前の彼女と別れてから、誰かを愛することなんてないと思っていたけれど、それでも出会ってしまった以上、僕が彼女を好きになってしまった以上、愛さないわけにはいかない。
彼女が、クイーンの最愛の友人だとしても、チェスの兵隊に同意できないでいるとしても、僕が彼女を好きなことに変わりはなかった。
それを伝えてみても彼女がいい顔をしないのも分かっていたし、だからと言って僕が諦めると言うことも無かった。
「分からないわ。ファントムが私を好きなんて、意味が分からない」
「人を好きになるのに理由なんていらないと思うなあ。意味だって、それこそ考える意味がないだろう?」
「生ける屍なのに?」
「元は人間だからね。人を好きになることもあるさ」
聞けば、彼女は恋をしたことがないらしい。異性と付き合ったことはあっても、本当に人を好きになったことがないんだそうだ。
その理由として、彼女が最も愛する人間がいるからだった。それは家族だけれど、それでも彼女が一番愛しているのはその子だった。
だから彼女は、本気で人を好きにならない。
「ナマエは結構、頭が固いよね」
「ファントムは自分の頭が柔らかいとでも言うの?」
彼女の視線が突き刺さる。
「まあ僕は、少なくとも自分の考えを信じているけどね」
「それなら、自分を信じる人は皆、頭が固いことになるじゃない」
そういうところが固いんだと思うんだけど、彼女は気付いていないんだろう。
「今日もクイーンのところへ?」
「ええ」
「本当に仲が良いね」
「昔からの知り合いだから。ディアナは、あれで友達思いなのよ」
それは知らなかったな。彼女限定だと思っていた。
「いつだって私のことを心配してくれてる。でも、やっぱり私はこのチェスの兵隊が、好きではないわ」
「君のように、嫌悪感を抱きながらここにいる人間は珍しいよ」
「仕方ないことだもの。ディアナがどうしてもと言うから」
本当に、異常なまでに仲が良い。
ただの友達と言うだけなら、わざわざ探し出して連れて来たりしないだろうに。それを彼女は分かっていないのだろう。
クイーンはきっと、表向きには彼女を友人として愛しているけれど、心の奥底では何を思っているか分からない。僕から見てみれば、恋愛感情のそれにしか見えないけれど、気のせいという可能性もある。
「ファントム」
「なんだい?」
「私はいつも思うの。ファントムに愛を伝えられる度に、それを嬉しく思う自分がいて、ここが嫌いなのにどうしてそう思うのか、自分自身に嫌悪するの」
「うん」
「チェスの兵隊なんて嫌い。ディアナは友人だし、アッシュはいい人だし、ペタには世話になってる。それでもディアナやあなた達の思考に同意できない」
「僕には何も思ってないの?」
そう言ったらまた表情を歪めた。
僕は知っている。僕が意地悪な質問をしたり、愛を伝える度にするその顔は、彼女自身が自分に苛立ちを覚えている証拠だと。
チェスの兵隊に嫌悪を抱いているはずなのに、僕に好意を抱き始めている自分に訳が分からなくなっているんだ。
「僕はね、いっそ君が僕を好きじゃなくてもいいと思っているんだ」
「は?」
「僕のことを好きじゃなくても、むしろ嫌悪を抱いていても、君はもうここから離れられないだろう?」
「そんなはずないでしょ。私が本気になれば、こんなところすぐに逃げ出せるもの」
思わず笑ってしまう。
それにムッとした表情を見せる彼女が、可愛くてますます笑ってしまった。
「クイーンにとってナマエは特別な友人だからね。簡単に逃がすはずないよ」
「そう言われると、そんな気がしてくる」
クイーンと同じように、彼女だってクイーンを特別な友人だと思っているはずだ。そうでなければ嫌悪を抱くチェスの兵隊にいる意味がない。
多分そんなこと、彼女自身は気付いていないんだろうけれど。
彼女と共にクイーンの部屋へやってくれば、いつも通り美しい佇まいでクイーンが彼女を待っていた。
共にやってきた僕を見ると、眉を顰めてしまったけれど、何も言わずにいることを許してくれた。
「今日は町で有名なお茶を用意したのよ。それに合うお菓子もあるから、食べていってちょうだい」
「ありがとう、ディアナ」
清楚なテーブルクロスの上に、上品なティーカップとティーポットが用意されていて、テーブルの中央に色とりどりの可愛らしいお菓子が並べられていた。
「ナマエ、最近眠れてる? 肌の調子があまりよくないようだけど」
「ここの人、夜の方が騒がしいからあまり眠れないだけ」
「ファントム、何とかしてちょうだい」
彼女が眠れないのなら問題だ。僕は「はい」と即答して、通信ピアスでペタに夜は静かにするよう伝えた。
「夜更かしはお肌の敵よ。ナマエ、あなたの綺麗な肌が荒れてしまっては困るわ」
「この歳になると手入れも大変だものね。何もしなくてよかったあの頃に戻りたい」
どうしてクイーンが困るのかは聞かないんだね。
「でも、どんなに願っても、時を戻すことなんてできはしないのだけどね」
「そうね。それに、私は戻さなくてもいいと思っているわ」
「それは、チェスの兵隊があるから?」
クイーンは持っていたティーカップを置いてから、意味深な笑みを浮かべた。
僕には、その意味が何となく分かるけれど、何も言わないでおこう。
「もし時が戻せるのなら、ディアナがチェスを作る前に戻って思い止まらせるのに」
「私の意志は固いわ。いくらナマエでも止められない。でも、それでもいいじゃない。こうして今、昔みたいに二人でお茶をしていられるのだから」
「三人ですよ。クイーン」
「そうね。一人邪魔者がいたわね」
彼女に向けられる目とは正反対の鋭い目が僕に向けられる。
クイーン程整った顔立ちをしている人に睨まれると迫力があって、なかなか恐ろしい。
「やっぱり、私はここが好きになれないわ」
どんなにチェスの兵隊に、そして僕らの思考に嫌悪を抱こうとも、僕とクイーンが彼女を愛することに変わりない。
クイーンは慈愛に満ちた視線を彼女に送っているし、僕も持てる限りの愛情を彼女に注いでいる。
他の人から見れば、僕らは異常なまでに彼女を愛する人なのだろう。彼女自身はそれにちっとも気が付かないし、彼女は彼女で僕らとは違う人間を異常なまでに愛している。
それでも僕はこれから先、彼女に愛していると伝えるんだ。僕が生きている限り。
そうして僕らの世界は完結する2013.11.29
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