MAR短編 | ナノ
まるで少女は番犬のよう

「あ……」

ナマエさんだ。

私はそう思うと、窓の外を眺める彼女を見た。優しげな風に揺れる髪に、物憂げな表情。まるでドラマのワンシーンのようで思わず見惚れてしまう。

このチェスの兵隊の中でも、ナマエさんは少し特殊だと思う。チェスの兵隊はメルヘヴンの人間の中でも異質な者が多い気がするけれど、基本的には人を殺したいだとか、女や金が欲しいだとかそんな連中ばかりだ。自分の欲望ばかり考えて、仲間意識は殆ど無いだろう。

ファントムと親しいナイトクラスはどうやら違うらしいけれど、ナマエさんは実力があると言うのにナイトでは無くビショップだ。ファントムとは親しいみたいだけど、自らナイトになることを拒んだらしい。

その話を聞いた時、変な人だと思った。階級が上がるチャンスを自分から手放すなんて、馬鹿なのだろうか、と。だから気になって、どうしてナイトにならないのか聞いてみたことがある。その時彼女はこう言った。

「階級なんてどうでもいいし、上がることが目的じゃないから」

じゃあ何故彼女はチェスの兵隊にいるのだろうか。人を殺したいから? それとも男にモテたい? はたまたお金が欲しい? 思わず問えば、全てに首を振る。ますます分からなかった。正直に言ってしまえば、私はモテるもんならモテたいし、お金も貰えるなら欲しい。人を殺すことも別に構わない。この世が腐ってると言うファントムの思想は正しいとも思う。

だから私には分からなかった。彼女がチェスの兵隊にいることも、チェスの兵隊の中で強さを持っていることも。理解できなかった。

「別に、殺せと言われれば殺すし、殺すことに躊躇いは無いけれどそれが全てってわけでもないし。他の男は興味無いし、お金だって別に足りているし」

強いて言うなら……、そう続けたナマエさんを見れば、穏やかな顔をして言葉を紡いだ。

「好きな人がいるからかなぁ」

その言葉を聞いて、私は彼女が特殊な人間だと思った。彼女は人を殺せる。おそらく、何の躊躇いも無しに。だけど殺さない。多分殺す理由が無いから。でもきっと、その好きな人に殺せと言われたらそれこそ躊躇いも無く殺すのだろう。

そういえば前にこんなことがあった。ファントムが一番信頼しているであろう作戦参謀のペタさんに手を出そうとした輩がいた。どちらの意味だとか、その輩の性別だとか詳しいことは知らないけれど。その輩はいつの間にか消えていたらしい。

有名な話だ。ナマエさんとペタさんが付き合っている事や、ナマエさんがペタさんを大切に思っていること、ペタさんもまたナマエさんを大事にしていること。女子の間ではかなりの頻度で話題に上がる。大体がナマエさんへの悪口ばかりだけれど。

そんな女子達の中で、悪質な嫌がらせをする者もいるらしい。ナマエさん本人を傷つけることもあれば、大人の魅力でペタさんに迫ることもあるのだそうだ。

だからペタさんに手を出そうとした輩は何となく、女だったんじゃないだろうかと私は思う。そうだとして、その輩が消えたのはどうして? と考えていたら、一つの疑惑が浮上してきた。

あぁ、もしかしたらナマエさんが……。

そう思ったら途端に全身に悪寒がして、ナマエさんを直視してはいけないような気がした。だけど彼女はそんな私に小首を傾げて、不思議そうな表情を浮かべて問うたのだ。

「どうしたの?」

その声音はとても優しく、その表情はとても柔らかかった。優しい人だ、と感じたのだけれど、それと同時にとても怖い人だとも感じた。彼女を怒らせてはいけない、そんなことが頭の中を巡る。こうして優しいからこそ、彼女の逆鱗に触れた者は全て消されてしまうんじゃないだろうか。

それからは出来るだけ関わらないようにしようと思ったのだけれど、そう思わずともルークな私と、ビショップ上位のナマエさんが関わることの方が少ない。今だって遠くに見かけたからつい見惚れてしまっただけだ。

あんまり見ていると気付かれてしまうから、私はそっとその場を後にしようと視線を移した時だ。

「この間話した人だよね?」

ナマエさんに話しかけられてしまった。私は思わず硬直してしまう。

「よかった。この間これを落としていったでしょう?」

そう言って差し出したのは、私がARMとは別にアクセサリーとして持っているブレスレットだった。どうやらこの間知らないうちに落としたらしい。ゆっくりと手を出せば、ナマエさんはにこりと笑って私の手の中にそれを置いた。

「ありがとうございました」

「いいえ」

とても優しい人だと思う。人を気遣うことが出来て、気配りも出来る人だろう。周りをよく見ているのだと思う。でもどうしてか、その笑顔はどこか感情が無いように見えるのも事実だ。

そう思っていれば、視界に黒いものが見えた。ナマエさんの後ろで彼女を見ると口を開く。

「ナマエ」

そう呼ぶと、ナマエさんは少し反応して目を見開いた。それに私が思わず驚いてしまう。

「いい加減そろそろ機嫌を直せ。私が悪かった」

「本当に悪いって思ってるの?」

「あぁ……」

喧嘩でもしていたのだろうか。ナマエさんは感情的になるようには見えないから、多分かなり重要なことなのだろう。

「謝る。それと、同じものも用意してやる。だからそろそろ部屋に戻って来い」

ペタさんがそう言うと、ナマエさんは振り返った。

「あの村特製のとれたて卵で作ったとろけるプリン生クリーム乗せは数がかなり限られてて朝早く店に行かないと手に入らないような品だけど、倍返しじゃないと許さないよ?」

「……」

ナマエさんはぷく、と頬を膨らませる。可愛い……だなんて思ったら失礼だろうか。少し――否、かなり可愛い。どうやらペタさんも同じことを思ったらしく口元に手を当てている。

いや、それよりも、喧嘩の原因がどうやら特製とろけるプリン生クリーム乗せだったと言うのが驚きだ。くだらないなんて思ったらそれこそ失礼なんだろうけれど、先程窓の外を物憂げな表情で眺めていたのもそれが理由なのだと思うと、やはりくだらないと思ってしまう。

「分かった。倍返しでも三倍返しでもしてやるから」

「約束よ? 男に二言は無いでしょうね?」

「無い」

ペタさんの言葉を聞くと満足気な雰囲気を出し始めた。そしてペタさんの元へと歩み寄る。二人の距離は近くて、私はなぜ間近でカップルのイチャイチャを見なければいけないのだろうか。

二人はそのまま私に背を向けた。そして歩き出すのと同時にナマエさんが私を振り返る。その目は鋭く、まるで彼は自分のものとでも言うような表情で私を見てきた。口角は上がっているのに、その目は笑っていない。

ゾクッと悪寒がする。今度はこの前みたいな生易しいものじゃない。心臓を射抜かれたのかと思う程に一度大きな音を立てたかと思えば、いつもより心臓の音がうるさい。早くこの場から去れと警告しているかのようだった。

身体は思うように動かせないのに、なぜか首は動かすことが出来て私はブンブンと頭を横に振る。勢い良過ぎて髪の毛がボサボサになったけれど気にしてられない。

もう一度ナマエさんを見れば、その顔は微笑を浮かべていた。ホッと胸を撫で下ろす。

彼女は簡単に人を殺せる人だ。だけど理由がなければ殺すことはしない。彼女が人を殺す一番の理由は、ペタさんに関することだろうと私は確信した。

私より強くて実力のある人だけど、私より年下のはずなのになんて目付きをする子なのだろう。束縛はしてないようだけど、独占欲と執着心が強すぎる。私は私自身が、ペタさんを好きな女子じゃなくて良かったと心底思った。



まるで少女は番犬のよう

(いつだって彼を守り、誰も近寄らせない)(そして彼にとても従順である)(否、番犬なんて生易しいかもしれない)


end


あとがき

第三者視点が楽しくて、つい。
ふっと降りてくるネタを勢いに任せて書いただけなんですけどね。


2012.12.26

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