わたしだけのひみつ | ナノ
ホットコーヒーを口にして、遠くに聞こえる水の音に耳を澄ませた。
一緒に住むようになって初めて、奴は私より先に風呂に入った。
普段は嫁である私にさえ「レディーファーストは当然です」などと言って引かないフェミニストだが、さすがに愛娘たっての希望とあってはこだわりも塵と化すらしい。まあそりゃ、あの子は私に似て美人だから(ちょっと、調子に乗った)、「ぱぱ、いっしょにおふろはいろ!」なんて言われたら骨抜きになるのも無理はない。実里が「一緒にお風呂」なんて言い出すのは初めてで、奴はそれに感動して涙ぐみ、そして「いつまでそう言ってくれるのでしょう」と今度は随分先のいらぬ心配をして泣いていた。
他の家庭なんて知らないが、奴ほどの親馬鹿(あんなの、それを通り越してバカ親だ)が他に存在するというなら是非お目にかかりたい。
奴――比呂士は本当に子どもが好きだ。
私達がまだ中学生だった頃、いつも同じことをしていては張り合いがないから、と一度だけ小さな遊園地に遊びに行ったことがある。その時たまたま母親とはぐれて泣いている小さな男の子と居合わせたのだが、奴はそれを放っておかなかった。男の子が泣きやむまで話をし、童謡を歌い、手を繋いで迷子センターまで連れて行った。その子が無事に母親に会えた頃にはすっかり陽も傾いていた。
何もデートらしいことができなくてごめんなさい。当時“柳生”は私に帰り道の電車でそう言ったけれど、そんなのどうだってよかった。とても充実した一日だった。彼がそういう人間であることを知ることができて私はとても嬉しかった。
だから再会して、教師をしていると聞いた時は、きっと彼にとってこれ以上の天職は存在しないだろうと思った。
何とはなしにテーブルに置きっぱなしだった携帯電話を手に取った。
データフォルダの一番上には、一昨日こっそり撮った写真がある。
朝、目を覚ましてみると、隣には愛しい旦那と可愛い我が子がいた。そこまでは、ふつう。普通じゃない(少なくとも、私にとって)のはその後だ。
まったくおんなじ寝相。
比呂士と、実里が。
向きだけではなく、細かい表情や手足のだいたいの角度まで。違うのは大きさだけだ。
それを見た時は思わず笑ってしまった。そしてそのあとすぐ、泣けてきた。
どれだけ努力したって、私にはこの二人の間に血の繋がりを作ってやることはできない。血の繋がりがないから愛せないんですか。そんなこと誰が決めたのですか。そう奴は私に訴えたけれど、心のどこかでその言葉を信じられない自分がいた。実里も随分長いこと、奴をパパとは呼ばなかった。
それがどうだ。
今じゃすっかりそこいらの家族以上じゃないか。
私はどうしてこんなに幸せなのだろうか。比呂士が来たから? 実里がいるから? ――きっと、両方だ。
この幸せをどうにか形に残しておきたくて、私は滅多に使わないちゃちなカメラのシャッターを切った。
しばらく眺めたあと、ふと思い出してロックフォルダを開いてみた。
今より少し若い私が年甲斐もなく撮ったプリクラ。
私の隣に映るのは比呂士じゃない。
あの日、私を置いて消えやがったクソ野郎だ。
比呂士と再び出会うまで、私は、実里とふたりで生きていくのだとずっと思っていた。片親なんてそう珍しいことでもないし、実里の将来のための貯金も多少できるくらいのそこそこな収入もあった。親子の時間は少なかったけれど実里は私を好いてくれていた。それでじゅうぶんだった。
けれど、どれだけ人として最低なクズでも、実里にとって父親であることに変わりはないのだ。いつか実里が成長して、たくさんのことを知って、悟って、「お父さんってどんな人だったの」と聞くかもしれない。そのときはきちんと話すつもりだった。まともな写真が見つからなかったからこうしてプリクラを一枚だけ残して隠しておいた。
……のだけれど、どうやら必要なくなったみたいだ。
パパと娘のねぼすけ写真はまだ誰にも見せていない。
今はこんなにも仲の良い二人。けれど実里が思春期を迎える頃、ちょっとばかり風変わりな家庭環境ゆえに、衝突することもあるのかもしれない。その来てしまうかもしれないいつかの日まで、この写真は切り札に取っておこうと思う。
それまでは、秘密。
SDカードにコピーした小さな幸せのことも、たった今断ち切って削除した過去も、全部全部。
私だけの、ひみつ。
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『わたしのはなし』別サイド。
絶対雅さんの方が色々と考えることが多かったはずですから。
2012.2.6.