白き蝶はオオムラサキに憧れた | ナノ


 彼の綺麗に透き通る肌が、他の誰かの目に触れるのが嫌で。










白き蝶はオオムラサキに憧れた










 一年のうちでいちばん爽やかであるはずの初夏の頃、温暖化の影響なのかそうでないのかは私の知ったことではありませんが、その日は超が付くほどの真夏日でした。それはもう、今にも蝉が鳴き始めるのではないかと思う程。クラスの誰もが口々に「暑い」と呟きますが、きっと私が口にすると「心頭滅却すれば火もまた涼しだ!」などと真田君にお小言をもらうことになりそうでしたので、心の内にとどめるだけにしました。
 その日、天井に設置されているクーラーが働きたがっているように見えたのはきっと私だけではなかったと思います。使用は六月からという妙なルールに縛られて、クーラーも哀れなものです。

 その日は定期考査の最終日でした。
 試験を無事に終えた私は、すぐにB組へと足を運びました。きっと彼は教室で私が迎えに来るのを待っていることでしょう、足早になったのが自分でも感じられます。決して解放感に浮き足立っていたのではなく、ましてや一秒でも早く恋人に会いたいという初々しい気持ちでもありません(寂しいことにそんな時期はとうに過ぎてしまったんですね)。私でもうっすらと汗をかくほどの天候ですから、仁王君が熱中症でも起こさないかと心配だったのです。彼はとても暑さに弱いから。隣のクラスまでの数メートルがこれほど長く感じたことは未だかつてなかったことでしょう。

 申し訳程度にノックし、B組のドアを開けると、いつも彼が座る席に見覚えのある銀髪の姿を見つけます。
 しかし声をかけようとして、一瞬躊躇ってしまいました。仁王君に似た全然別の誰かがそこにいるように見えたのです。

「あっついのう……」

 私が来たことに気付いた仁王君は、左手に持った下敷きを団扇代わりにしながら少しだけ振り返ります。
 違和感の原因はすぐに判明しました。というのも、彼のトレードマークとも言える銀色の尻尾のような結び目が、女性用の髪止めによって上げられていたからです。
 元より中性的な彼ですからその後ろ姿は女性と見紛うような美しさがあり、あまり大きな声では言えませんが、露になった首筋が非常に官能的でした。

「……何ジロジロ見とるん、柳生の変態」

 仁王君が発した言葉に意識を呼び戻された私は、絶対にわざとらしかったであろう咳払いと共に視線を外しました。きっと彼が声を掛けなかったら、私は飽きるまで永遠に眺めていたかもしれません。それほどまでに私を魅了して放そうとしませんでした。

「いえ、あの……その髪止めは?」
「あぁ、コレか。コンコルドっていうらしい」
「そうですか……いえ、そういうことを聞きたいのではなく」
「暑い暑い言うとったら、うるさい黙れーって女子が貸してくれたんよ。気休めじゃけど。可愛い?」
「それは、まぁ……お似合いですけれども」

 求められている受け答えである自信はありませんでしたが、どうやらお気に召したらしく仁王君は口角を僅かに上げてみせました。彼の微妙な表情の差はきっと私にしか分からないだろうと思うのです。それが私の誇りであり、ちょっとした優越感でもありました。
 しかし似合うと言った私も私ですが(嘘は良くないと思ったので)、喜ぶ仁王君もどうなのでしょうか。彼の考えていることは未だに掴めません。
 彼は流し目で私を見たかと思うと、何も言わずただ不敵な微笑みを零すのです。


 その時、甘い蜜を欲しがった蝶が、仁王君目掛けて――飛んだ。


「! 柳生!」

 蝶はひたすら彼の襟首を貪ります。
 抜けるように白い肌は、蝶にとってもこれ以上ない御馳走。さぞ甘美なことでしょう。
 だって、私はそれを知っている。この世でただ一人、私しか知らない。

「……ぁ」

 それでいいと思うのです。これから先、永久に。私一人だけが分かっていればいい。
 そして、彼も私だけを知っていれば良いと思うのです。


 蝶は甘い蜜のお礼に、彼に紫色の花を咲かせることにしました。


「っ何じゃいきなり! 阿呆か!」

 普段あまり表情豊かでない仁王君が面白い程に真っ赤になって怒るので、なんだか楽しい気持ちになりました。
 だって、こんな表情だって私にしか見せないものだと思うから。

「あなたこそ考えるべきです、どちらが阿呆かってこと」
「何言うとるん?」
「確かに、コンコルドでしたっけ、とても可愛らしいですよ。ですがそこまで無防備に首を出されると誘っているようにしか思えません」
「……この名前だけ紳士が」

 本当はもう少しお仕置きが必要かとも思ったのですが、彼があまりにも可愛いので許してあげることにしました。どうせしばらくは彼の襟足が結われることはないでしょうから。

 『そんな姿は自分以外に晒すな』、なんて言ったらあなたは笑うでしょうか。笑われても構わないんですけれどもね。


「……悪い虫には気ぃ付けんといかんの」

 どうやら、彼にとって蝶は害虫に分類されるようです。



 ――『ある白い蝶がオオムラサキに憧れて蜜を吸った話』。










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「白き蝶」はワンピクチャードラマから。
暑さでいっちゃったのは詐欺師でも紳士でもなく私の頭。

2010.5.22.

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