奴の秘密と俺の見た幻 | ナノ


 夏休み恒例の強化合宿最終日前夜、真夜中に何かしらの違和感を覚えて目が覚めた。確かに今年は例年以上にハードスケジュールではあったけれども、それにしてもおかしい。身体が重いのだ。といっても決してだるい訳ではない。例えて言うなら、何かに押さえつけられているような。
 そこまで考えてはっとした。なるほど、これが俗にいう『金縛り』ってやつですか。今まで体験したことはなかったけれど、確か相当疲れている時には金縛りにかかりやすいと聞いたことがある。あの程度のメニューでへこたれるなんて、俺、思った以上にヤワなのかも。自分の実力を自負していただけにショックだ。もっとちゃんと鍛え直さないと。
 ああ、しんどいな。なんとかならないかな。せめて指の一本でも動かせたらいいのに。

 ふと、視線を感じた。誰だよ、こんな時間に起きた奴。確かめようにも閉じられた瞼は目に光を与える気はないらしく、ただ時計の秒針の音が聞こえるだけ。
 視線の主はてっきりトイレにでも行くのかと思っていたのに、部屋から出ていくどころか動く気配すらない。だったらいっそ助けてくれ、と声を掛けたくともかけられない。非常に面倒くさい状況である。
 こういうのって放っておいたら治るものなんだろうか。ならこの際違和感なんて忘れて寝てしまおう。羊が一匹羊が二匹、駄目だ、ジンギスカンが食いたくなってきた。

 と。

『――――』

 突然、息が詰まるような感覚に陥った。首のあたりが異様に冷たい。

『――、て……』

 全身に怖気が走った。誰かが俺の耳元でボソボソと呟いている。何を言っているのだかさっぱり分からないのだけれど、さすがに今の状況がヤバイことくらいは理解していた。
 落ち着けこれは夢だ、寝てしまおうそうしよう。そんな風に思っても息ができないんじゃ話にならない。俺って無呼吸症候群だったっけ、いや今は馬鹿なことをノンキに考えている暇などないのだ。そろそろ本気でまずいと思う。


「その辺にしときんしゃい」


 部屋の隅から聞き慣れた声がした。恐怖と息苦しいのとが綯い交ぜになって誰の声かまで特定できないほどに頭が働いていなかったが、こんな独特の言葉遣いの奴なんて一人しかいない。

「それ俺の友達じゃき、乱暴したら許さんぜよ」

 それってなんだそれって。とツッコみたいのは山々だったのだが、そんな心の余裕など持ち合わせていなかった。足音がそっと近付いて、奴は俺の傍らで腰を下ろす。

「お前さんは、それで虚しくないんか?」

 俺に話しかけているのではないのは明白だ。
 だったら一体誰と……『何』と、会話をしているというのだろうか。なんとなく予想はついたが、俺は必死でその可能性を否定した。否定しなければどうにかなってしまいそうな精神状態だったのかもしれない。

 そんな俺の心境など一ミリも知りもしない奴――仁王は、ほんの少し体勢を変えたらしい、畳の鳴る音がした。



「お前さん、綺麗な顔しとるんじゃなあ……」



 果たして、奴は本当に仁王なんだろうか。実は仁王に化けた柳生なのかもしれない。そう思ってしまったのは、奴が普段からは到底想像もつかない優しい口調だったから。純粋に微笑みかけるような、何かをとても慈しむような。
 でも、放たれた声は間違いなく奴のもので。

 途端、今までのことが全部幻であったかのように身体が軽くなる。求めていた酸素は一気に肺へと流れていき、先程逃がしてしまった睡魔がもう一度俺の元へとやってきた。

 眠りの世界に旅立つ直前、奴が俺の頭を撫でた気がしたのだが、もしかしたら気のせいだったのかもしれない。







「おいコラ、仁王」

 次の日、朝食を終えて着替えに戻ろうとする奴を速攻で呼びとめた。

「なんじゃーブンちゃん。眠いけえ、短く済まして」
「何じゃねえよまったく。俺の枕の下にこれ潜ませたの、お前だろ?」

 俺は奴の目の前に、今朝布団を畳むときに落ちてきたそれ――糸切りバサミを突き付けた。仁王はそれを確認すると、おお、とだけ声をあげる。
 悪戯にしては度を超えすぎだ。何もなかったからよかったようなものの、万が一首の動脈でも切ってしまっていたらどうなったか……なんて想像もしたくない。

「おまんは寝相ええ方じゃき、大丈夫かと思ったんよ」
「寝相いいとか悪いとかの問題じゃねえだろ!」
「そんな怒りなさんな。実際あれから何もなかったじゃろ」

 奴の思いもよらない言葉に、言い返すのさえ忘れた。

 あれからって、どれからだ。考えるまでもなく答えは一つしかない。
 朝起きた時にあまりにも仁王が普通なので、てっきり夢だったのかと思っていた。

「……仁王、お前」

 確かめるのは恐ろしいはずなのに、気付いた時には好奇心が勝っていた。けれども奴は俺にそうさせることを許さず、静かに、とでも言うように口元で人差し指を立てて微笑う。


「多分これ知ってるのは参謀だけ。じゃけえ、内緒な」


 それだけ言い残して、奴はそそくさと部屋に戻ってしまった。





 やっぱり幻ではなかったのか。奴がその目で見て、話したものは一体何だったのか。俺や他の人間には理解し得ない何かを、奴は感じていたのだろうか。
 考えたところで疑問は増えるばかりで、分かったことといえば、とんでもない秘密を共有させられたという事実だけだった。










奴の秘密と俺の見た幻











******
自分の頭の下(枕の下、もしくは更に下の床と敷布団の間)に刃物を置くと金縛りがなくなるそうです。
仁王君がブン太の枕の下に糸切りバサミを置いたのはそのため。

2010.6.3.

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