泣き虫な彼女との誕生日の過ごし方 | ナノ
変わるから、と彼女は言った。
そのままで傍にいてほしいと私は告げて、そうしてあの日、彼女は私の大切な“恋人”になった。
幻想的な色をした髪を風がなびかせる。ヘアワックスの匂いがしなくなったそれは彼女にとてもよく似合っていた。
付き合い始めてすぐ、彼女に真っ先に聞かれたのは誕生日の日付だった。ちょうど過ぎてしまったばかりなのだと伝えると、彼女は目に見えて落胆する。どうやら一緒に祝ってくれるつもりだったらしい。
それだけにはとどまらず、彼女は私に左手を差し出した。“ペン貸して”。彼女と初めて会話を交わした日のことがリフレインする。
今回は手の甲ではなく、生徒手帳に申し訳程度に付いたカレンダーのページを開く。十月半ば、私の誕生日である日付を丸で囲むと満足そうにそれを見ていた。
来年は、誰よりも盛大に祝うから。
この一言で私は、今年どころか来年分のプレゼントももう頂いてしまったなと思った。
彼女のいる生活はあまりにも楽しく、季節が流れるのも早い。
気が付けばあっという間に一年が経とうとしている。
記録的な暖冬になろうとしていた。
去年のこの季節は既に身体を小さく折り畳んでぷるぷる震えていた彼女が、今年はまだセーターを身につけていない。寒がりな彼女にとってはいい年になるかもしれないな、と考えていたら、彼女はどこか寂しげな顔をしていた。それでも私の隣で笑っていたが、無理をしているのは考えなくても分かることで。
そして。
あれだけ楽しみだと言っていた私の誕生日当日。
彼女――仁王さんとの連絡が、一切取れない。
携帯電話は、何度掛けても電源の入っていない旨を知らせるアナウンスが流れるだけだった。気の向いた時に連絡をくれたらいいとメールも何件か送ってみたが返事はない。
今日は自由参加の集中講義があり、私も仁王さんもそれに参加したあと一緒に帰宅する予定だった。
休憩時間に仁王さんのクラスを訪ねたが、講義自体には来ているらしい。体調が悪いわけではないのだと知り胸をなで下ろすが、状況が変わったわけではない。
こんなことは今まで交際を続けてきて一度もなかった。
もしかしたら私は、なにか彼女に無神経なことでも言ってしまったのだろうか。無理をして笑っている様子は何度も窺えた。私はなぜその時に理由を聞かなかったのだろう。
後悔をしても仕方がない。そんな時間があるなら彼女を探さなければ。
会って言わなければいけないことがある。
難航を示すと思われた彼女の捜索は思ったよりも早く終結した。
屋上の扉を開けると、太陽の光を浴びてちかちかと光るものがある。人工的に光るそれは、紛うことなく彼女の髪の色だ。
「……仁王さん、」
びくりと肩を震わせた彼女がおもむろにこちらを見た。
――瞳が、揺れている。
彼女はとても寒がりで、少し面倒くさがりで、素直で、そしてえらく泣き虫なのだ。一年も傍にいれば知っている。
二人で見た映画に感動して泣いているところを何度も見たことがある。些細なことで喧嘩をして泣かせてしまったこともある(あの時は確実に私の方に非があった)。眉ひとつ動かさず涙だけを流すその様はそれはそれは綺麗だったけれど、あまり見たいものではない。
彼女に一歩ずつ近付く。そっと手を握ると、彼女はようやく私と目を合わせた。
「ごめんなさい」
「……えっ?」
「不満があったら何でも言ってください。直す努力をしますから。だから……」
離れていかないでください。
そこまで一気に言ってしまうと、目を瞑って思いきり息をした。ようやくまともに呼吸をした気がする。
次に瞼を開けた時――彼女は目を丸くして、首を傾げこちらを見ていた。涙はすっかり止まったらしい。
……どうやら、私は何かを大いに誤解しているようだ。
「なんで?」
「……えっ、あの、最近なんだか元気がありませんでしたし。今日も連絡が取れなかったので、てっきり愛想を尽かされたのかと……」
「……ウチが柳生のこと、嫌いになるわけなかろ」
「あ、有難うございます……?」
噛み合わない会話とはまさにこのことだ。
緊張の糸が途切れたように脱力した仁王さんは、馬鹿みたいだと呟いて口元を綻ばせた。不器用な笑顔。彼女の見せる顔の中でいちばん好きな表情かもしれない。
「はい」
しばらく二人で笑ったあと、思い出したかのように彼女が紙袋を渡してきた。中には落ち着いた色のマフラーがリボンだけを掛けられて入っている。手作りであることは明白で、あまりの出来事に心臓が跳ねた。
今年は、暖冬だから。彼女がゆっくり口を開く。
「柳生の誕生日くらいになったらちょうど寒くなるって信じて頑張ったんじゃけど、今日もこんな気候の良い日で。それでなんとなく、顔合わせづらかった」
「そんなの関係ないです」
「うん。柳生ならそう言うてくれるって、思ってたけど。よくよく考えたら、手編みって重いかなって」
面倒くさい女にはなりたくないから、と仁王さんは笑った。
渡されたマフラーを紙袋から取り出す。手芸なんて初めての試みだったのだろう。途中から慣れたのか、始めと終わりで編み目の細やかさが随分違った。
どれだけ時間を掛けたのだろう。その間、どんなことを考えていたのだろう。ずっと私のことだけを想ってくれていたのだろうか。
――重いなんて、ふざけている。
そんなの嬉しくないはずがない。
掛けられたリボンをほどくと、一気に広げたそれを巻いてみせた。
寒がりの彼女が作ったマフラーは想像していた以上にあたたかい。冬も安心ですねと笑うと、彼女がまた泣きそうな顔をする。
「……キスをしてもいいですか?」
「…………えっ」
「大丈夫、目を閉じてください」
「いや、あの、ちょっとだけまって」
「待ちません」
有無を言わさぬように彼女の頬に触れる。
その瞬間、屋上に冷たい風が吹いて、一足先に訪れた冬を感じた。
******
もうちょっと泣かせる予定だったんだけどな。
2013.10.19.