グッドバイマイディア | ナノ


 あまりにも、優し過ぎる一日だった。

 出掛けたいと呟くと、柳生もそれに同意をしてくれた。
 一日かけて、柳生の車に乗って、神奈川中をゆっくり回る。それらは学生時代に行き尽くした場所ばかりで、俺達も懲りないなと笑い合いながらドライブ観光を楽しんだ。年甲斐もなくはしゃいでしまい、うっかり助手席でうたた寝もしたが、柳生はそれを咎めなかった。もったいないことをしたなとぼんやり考えたが、後悔はしていなかった。
 そうこうしているうちにあたりは暗くなり、どこかで夕食を済ませようという話になった。何が食いたいかと聞くと、学生時代に仲間と一緒に行ったラーメン屋はまだ残っているだろうかと言い出した。せっかくの休日にラーメン。柳生の思考はいつだって読めない。果たしてどのあたりにあっただろうか、と記憶を辿りながら探すのもなかなか楽しかった。

 一日の最後に訪れたのは、通っていた学校だった。
 ここからすべてが始まったのだと思い返す。俺と柳生はここで出逢った。話をした。テニスをした。時には胸倉を掴み合う激しい喧嘩もした。随分昔の出来事なのに昨日のことのように思い出せる。走馬灯というものは本当にあるのかもしれないと思った。俺も柳生も死ぬ予定もそのつもりもないけれど。

 別れを言い出してきたのは柳生で、俺は一切の迷いもなくそれを受け入れた。純粋とは言い難いが汚れているとも思わない自分達の十数年の恋愛はこうもあっさりと終わりを迎えた。
 なんだか味気ないな、とどちらが言い出したのだったかは覚えていない。きっとそれは俺の言葉であったし、柳生の想いでもあった。
 だったら丁度一週間後に別れることにしようと言って、最終日である今日、こうして柳生を独り占めしている。
 何の障害もなければ俺達は変わらず傍にいただろうとなとは思う。しかし目的もなくだらだらと現状にとどまり続けるのはおかしいと思ったし、あるはずの柳生の未来を俺の一存で潰していいわけがなかった。
 もうすぐ柳生は親御さんの勧めで見合いをする。多分その人と結婚することになるだろう。俺に出来るのは笑って送り出してやることだ。引き止めることじゃない。理解している。覚悟はできている。
 だからせめて、今日だけ。最後に柳生の誕生日を一緒に過ごしたかった。

「……プレゼント、何がええ?」

 柳生への贈り物を、俺は買わなかった。形のあるものを贈るつもりはさらさらない。何も残してはいけないと思った。柳生も俺の言葉の真意を理解している。

「……なんでも、いいですか?」
「俺にできるもんだったら」
「……でしたら、」


 ――“足枷を、外してください”。


 柳生が息を吸う音が、酷く生々しく響く。
 思ったより空気が重苦しくはならなかった。
 ここからすべてが始まった。想いを告げられたのは引退後の誰もいない教室の隅でだった。言うつもりはなかったのだと泣きそうになる柳生の姿は無礼にも笑えた。五分だけでいいからと駄々をこねて手を繋いだのは屋上、初めてキスを交わしたのは中庭の陰でだった。今でもよく覚えている。どんなところよりも思い出のあるこの場所で、すべてが終わりを迎えようとしている。
 今まで自分はどれだけ柳生を縛りつけてきたのだろうかと思った。このままでは奴は飛び立てない。
 柳生の言葉に了承の意味を込めて頷くと、柳生は哀しそうに微笑った。
 お前が、それを望んだのに。

「――『本気じゃなかった。全部遊び。お前に本気で恋なんて一瞬だってしたことがなかった』」
「……」
「だから、どこでも好きなところへ行け」
「……はい」

 たったいま放った、柳生をこの場にとどめていた足枷の鍵が偽物であることは柳生も分かっているだろう。それでも欲しがっていたから与えようと思った。ありがとう、と笑った奴の顔は痛々しい。

「……私も、」
「ん?」
「あなたなんて、『大嫌いでした』」
「――――うん、知ってる」

 その言葉に二人で笑って、手を振って別れた。
 長いようで短かった、俺達の十数年は終わった。

 今日の日を、あまりにも優し過ぎる一日を、俺は一生忘れはしない。










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元ネタは石田衣良『スローグッドバイ』。

2013.10.19.

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