アンバランスに魅せられて | ナノ
「え?」
その言葉は俺にとって、あまりにも衝撃的なものだった。ある種のカルチャーショックと呼んでも良いかもしれない。とにかく俺の知らない世界だったのだ。
「マジで、お前、買い食いしたことねーの?」
「はい」
俺は目の前の男、柳生比呂士の顔をじっと見た。伸びすぎない前髪は綺麗に七対三の位置で分けられており、制服は入学して半年経った今でも下ろしたばかりに見えるほど綺麗なままだ。育ちが良いのは一目で分かる。
想像をしてみた。お馴染みのファーストフードでバーガーとポテトを食べている柳生。……なるほど、確かにありえないくらい似合わない。
そういう俗世間から離れたところで生まれ育ってきたのだろうなとなんとなく思った。今、奴は俺と同じ世界にいるというのに。
「……あの、」
「ん?」
「丸井君は……よく、なさるんですか? その……」
「買い食い? まあちょくちょく。放課後になると腹減ってるじゃん」
「そうですか」
そこまで言って口を噤んだ柳生はなぜだかどこか沈んだ表情をしていて、そういえばこういう奴だったなと思った。
奴は自分が一般的に“普通”じゃないことをよく知っているのだ。だからたかが買い食いを経験したことがないというだけで目を伏せる。
まったく馬鹿みたいだな、と思う。どこまでもまっすぐで真摯な奴だ。それを鼻にかけてお高く留まっている訳ではないのだから、普通だとか普通じゃないだとかは友達でいることに一切の関係もない。イメージだけで人を判断して除け者にしたがる人間も中にはいたが、勿体ないことをするなあと笑ってやりたいくらいに柳生は良い奴だった。
そんな良い奴を放っておく選択肢は俺にはなかった。
俺は奴のことを普通じゃないとか思ったことは一度もないが、柳生がこちら側の世界により近付きたいというなら出来る限り協力してやりたい。自分から踏み込める奴じゃないだろうから。
放課後、まっすぐ帰宅しようとする柳生をひっ捕まえてコンビニに付き合わせた。おそらく買い食いどころか、寄り道をするのも初めてだったのだろう。目に見えて落ち着きがない。
普段からはかけ離れたその姿を笑いながら、肉まんを二つ買った。
「これ、お前の分」
「ありがとうございま……あっ、おいくらですか?」
「いいよ、肉まん一個くらい。柳生の買い食いデビュー記念」
「ですが……」
「あのな、友達に奢ったり奢ってもらったりすることだって、普通のことなんだぜ?」
そう言うと、柳生は照れ臭そうに笑いながらようやくそれを受け取った。きっと、肉まんは少し冷めてしまっていたと思う。
その日がたまたま誕生日だったのだと知らされたのはそれから一週間くらい経ってからだった。水臭いと文句を言いながら、偶然とはいえ柳生の誕生日を部員でただ一人祝えたことが嬉しかった。
また付き合わせて構わないかと問うと、柳生は「こちらこそよろしくお願いします」と頭を下げた。
「…………なんてこともありましたね」
思い出に浸りながらやや暴走しつつある比呂士を呆れ気味に眺めながら、フライドポテトを複数本つまむ。
あれから何度も買い食いをした。時々別の人間が混ざることもあった。この二年で比呂士は驚くほど“普通”に馴染んだ。俺はそれが嬉しいようななんとなく寂しいような複雑な気分で、でも嬉しい気持ちの方が大きかった。
あの日から丁度二年経った今日、比呂士にプレゼントは何が良いかと聞くと、答えは「晩御飯を奢ってください」だった。恋人になって初めての誕生日なのだ。もっと盛大に祝ってやりたかったが、それが比呂士の希望なら仕方がない。「馴れ初めみたいなものでしょ?」と笑顔で言われ、それを無下にできるほど俺は手慣れちゃいなかった。また後日追加でプレゼントを渡すとしようと心に決める。
――柳生比呂士と、バーガーとポテト。
思わず口許が緩む。
すっかり馴染んでしまったくせに、やっぱりどこかアンバランスな風景を眺めながら、ポテトと一緒に幸せを噛み締めた。
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肉まんを“はふはふ”しながら食べている柳生を想像したらどう考えても可愛かった。
2013.10.19.