赤ワインに愛を込めて | ナノ
一杯だけ良いですか、というのが柳生の常套句だった。
二人で外食をする時、柳生は決まってワインを一杯頼む。そしてそれ以降は飲まない。外食なんて滅多なことでしないのだから、たまにする贅沢くらい惜しまず楽しめばいいのに、奴はけっしてそうはしない。存分に香りを楽しんだ後、その一杯を大事に飲む。そういう時の柳生は本当に幸せそうに笑っていた。
俺はワインの味の違いなんて分からなかったが、柳生が喜ぶなら年に一度の誕生日くらい好きな酒を好きなだけ飲ませてやりたいと思った。だって、特別な日じゃないか。そんな日まで俺に合わせて安い発泡酒を開ける必要はない。
柳生と会う前日、俺は一人でワイン専門の店に入った。あまりの種類の多さに目が眩み心が折れかけた。だが他の誰でもない柳生の為だと踏ん張って、可哀想になるまで店員に質問攻めしたのち一本を購入して帰った。
これまでにないくらい、柳生の誕生日が楽しみだった。
当日、俺は選んだワインを大事に鞄の中に入れて柳生の家を訪ねた。玄関で迎えてくれた柳生は昨日までとまったく変わらないはずなのに、なぜか妙に落ち着いて見える。またひとつ歳を取ったからだろうか。早く柳生に追い付きたいとなんとなく思う。
駅前の洋菓子屋で買ったケーキの箱を差し出し、奴の顔を見た。
「誕生日、おめでとうさん」
「ありがとうございます」
「それで、今年のプレゼントなんだがな」
俺は鞄からワインの瓶を取り出すと柳生にラベルを向けて掲げて見せる。名前も知らないものだが、奴には分かるだろう。
その瞬間、柳生の表情がぱっと明るくなったのが分かる。しかし、それは一瞬にして少々の困惑に変わった。
「……なんか都合悪かった?」
正直、絶対喜んでもらえる自信があった。だからこんな顔なんて予想すらしていなかったし、どうしていいのか分からなかった。
迷惑、では、ないのだと思う。きちんと嬉しそうにしてくれている。少し戸惑いが見えるだけで。
「……もしかして、値段とか気にしてる? 俺等もう社会人じゃき、そういうのは……」
「ああ、いえ、違うんです。そうじゃなくて、あの」
「うん」
「仁王君が来るからと、つまみをね、用意しておいたんですけれど、それが……」
「何?」
「……お漬物とか、さきいかとか」
「…………」
「もっと白状すると、冷蔵庫にはビールが何本か……」
あまりの事実に唖然とする。そして、そのあと二人で腹を抱えて笑った。
あまりにも馬鹿げている。逆の意味で打ち合わせでもしたのではないかと思う程によくできていると思った。
喜んでもらいたかったのだと告げると、柳生は柳生で「誕生日ですもの、仁王君の笑った顔が見たくて」と言った。このクソ紳士が本当に、悔しいが、好きだった。
結局、ビールを挟むようにして名前の読み方が分からない赤ワインを明け方近くまで飲んだ。赤ワインの間に漬物をつまむ様はあまりにもアンバランスだったが、意外なことによく合った。
これまでにないくらい楽しみだった柳生の誕生日は、これまでにないくらい馬鹿馬鹿しくて、幸せな日だった。
「……もうすぐ、ボジョレーが解禁されますね」
目がうつろになった柳生が、舌っ足らずな様子で呟いた。
「一本だけ、買う? 一緒に飲もう」
「じゃあおつまみは仁王君が用意してくださいね」
「えー、ワインのつまみとか、分からんし」
「仁王君が好きなものでいいですよ」
「……かきのたね?」
「ふふ、じゃあそれにしましょう」
すっかり頭が痛くなって、横になった俺の髪を、柳生が優しく梳いていた。
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柳生はきっとワイン派。
立海でワインの話ができるのって幸村くらいしかいなさそうな気がします。
2013.10.19.