プールと水着と水平線 | ナノ
「市民プールに行きたい」
仁王君が突然そう言った。泳ぐなら海に行けばいいと言っても彼は意見を曲げなかった。こうなった仁王君は誰にも止められない。はあ、と溜め息を吐きながら私も出掛ける準備を始めた。
家からそう離れていないこぢんまりとしたプールにはそれでもかなりたくさんの人がいた。仁王君ははしゃぎながら浮き輪を膨らませている。らしくもなく鼻唄なんて歌って、今日の仁王君は変だ。いつも少しばかり変わっているけれどそれにしても変だ。けれど彼の笑顔を見ていると悪い気はしなかった。
この市民プールには海のような広大さも、砂浜も、自然に起こる波もない。人工的に作られた狭い空間で彼はとても幸せそうだった。
「本当は、海でもよかったんじゃけど」
彼は照れ臭そうに笑った。
「市民プールの方が安全じゃろ。子どもがいっぱいおるんよ」
彼の視線の先には浮き輪に乗って遊んでいる小学校に上がる前くらいの男の子がいた。
「こういうの、良いと思う。夏にしか見れん風景じゃ。なんか、浄化される気分になるよな」
彼はそれだけ言ってしまうと、わざとらしい咳払いをしたあと普段通りの表情に戻ってしまった。この直射日光だ、もしかすると幻でも見たのかもしれない。そう考えてしまうほどあまりにも普通だった。
彼は本当に照れ屋だと思う。
「子ども、お好きなんですね」
「んー……まあ、嫌いじゃないよ」
あからさまに視線を逸らす彼が面白くて、そしてとても――愛おしいと思った。
「ねえ、子どもがお好きなら、将来は保育士だとか幼稚園教諭を目指してみるのはどうですか?」
「柳生、俺を誰やと思っちょる。コート上の詐欺師様ぜよ」
「わたしは詐欺師様ではなく、仁王雅治君に言ったんですよ」
「……あほらし」
彼のこんな反応はなかなか見られるものじゃない。せっかくだからこの機会に楽しんでおこう。
その時私は、市民プールにひどく愛着を持っている自分がいることに気が付いた。
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Twtterにて速筆トレーニングをした時のログ。テーマは『真夏のプールではしゃぐ』。
aiko『帽子と水着と水平線』よりタイトルのみお借りしました。
2013.8.29.
(初出 2013.8.18.)