今はただ穏やかなこの時を | ナノ




 ――例えば、試合に勝った時。
 こつんと拳を合わせると、仁王君はほんの一瞬だけ目を細めて微笑む。普段の詐欺を仕掛ける直前の顔や仮面を被ったような作り笑いではなく、自然な顔で。
 それを彼に話してしまうと「もうしない」と言われてしまいそうなので、内緒にしたままでいるのだけれど。

 ――例えば、彼の話し方。
 嘘を吐く時に声のトーンが下がるのだと気付いたのはどれほど前の事だったろうか。何も言わずに騙された振りを演じてきた。
 実は知っていたのだと告げた時、てっきり怒られるとばかり思っていたのに、彼はまるで肩の力が抜けたように表情を緩めてみせた。もしかしたら彼も、自分を偽り続けるのに疲れていたのかもしれない。
 自分だけは素顔の彼を見ていきたい、と思った。

 ――例えば、彼と口付けを交わして。
 キスとはこんなに幸せな気分になるものなのですねと素直に感想を述べると、煩い黙れと思い切り殴られた。背を向けたままの彼からは耳まで紅潮しているという事実だけしか知ることができなかったけれど、それで十分だった。
 とても愉快なのは、並んで歩いたり話す分には全く問題がないのに、キスをする時だけは仁王君が僅かに背伸びしなければならないのだということ。仁王君はその状況がとても面白くないらしく、苦手な牛乳をすすんで飲むようになり、事あるごとに「縮め」と私に毒を吐くようになった。
 私とてこのポジションを譲る気は到底ないのだけれど。たかが二センチ差をこれほど愛おしく想うことになるなんて誰が予想できたであろうか。

 ――例えば、はじめて身体を重ねた日。
 目の前で涙を零す仁王君の姿に戸惑い手を止めてしまった私に、続けてくれと彼は言った。大丈夫だから、と。
 結果とても下手で乱暴で、甘美なんて言葉は程遠いものになってしまったけれど。
 疲れて眠ってしまった仁王君を抱きしめた時、互いの体温が混じり合うことの心地良さを知った。



 ふと目が覚めた。
 携帯電話に目をやると間もなく九時になろうという頃。二度寝をしても良い時間帯ではあったけれど、勿体無いと思い直す。
 滅多にない、彼と二人で過ごせる休日なのだから。
 大きく伸びをして身体を起こす。
 仁王君は私に背を向けるようにして眠っていた。寒そうに背中を丸めているのにその肩は外気に晒され、身体の奥にある血管さえも透けて見えるのではと思う程に白い肌が震えている。
 あなたは風邪をひきやすいというのに。
 軽く布団を整え、彼の耳が隠れるくらいの位置にそれを掛け直す。最初こそ寝苦しそうに眉をしかめていたが、やがて彼の寝息から凍えらしきものは感じられなくなった。

 ――不眠症である仁王君が、私の隣でならよく眠る。

 彼の頬をつつく。触れた指先がひんやりとして気持ち良い。布団の上に手を置いてみる。規則正しい呼吸が感じられ、分厚い布越しにも仁王君のぬくもりが伝わってくる気がした。瞬間、たまらなくなり彼の背中に覆い被さる。

「…………重い」
「起こしてしまいましたか?」
「阿呆。これで起きん方がどうかしとる」
「ふふ、そうですね」

 銀髪に指に絡めると、まだヘアーワックスを施されていないそれはとても柔らかだった。そのまま遊び続けていると、仁王君がどんどん壁の方へと寄っていく。逃がさないようにしっかりと捕まえて頬に口付ける。身体がぴくりと動いた彼があまりにも可愛くて思わず笑みが零れた。
 一度くらい叩かれても仕方が無いと思っていたのだけれど、どうやら大きな溜め息を吐く以外にお咎めはないらしい。

 ――この部屋に存在するのは仁王君と私とベッド、あとはシャンプーの香りだけ。

 彼の頭をくしゃくしゃと撫で、再度襲ってくる睡魔を追い払うようにして起きた。
 何か温かい飲み物でも淹れて持ってこよう。
 以前の自分なら絶対ベッドの上で飲食などしようと考えたこともなかったのに、随分と行儀が悪くなったものだ。けれどこれも仁王君の影響なのだと思うと、まだしばらくは直さないままで良いかとさえ感じる。良くも悪くも、私の中に彼がすっかり染み付いてしまっているのだろう。
 そんな小さな幸せを噛み締めながら布団から出て、ゆっくりと立ち上がる。ふいに欠伸をすると、仁王君がクスリと笑った。

「どうしたんですか、いきなり」
「いや、柳生が人前で欠伸しちょるとか、相当気ィ抜いとるんかっておかしゅうて」
「……すみません」
「ええんよ、リラックスしとるって事じゃけ」

 まだ少し眠そうでうつろな、それでもしっかりと私を映す彼の瞳を見て愛おしさが込み上げてきた。もう一度キスをしたいと思ったけれど、しつこいと怒鳴られそうだったので止めておく。
 部屋を出る直前に彼の方に振り返り、コーヒーで良いですか……と聞こうとした唇がまったく別の言葉を発する。

「――仁王君、もうすぐ誕生日ですね」
「は? ……あぁ、そういやそうか」
「プレゼント、何が良いですか?」
「子供じゃなか、いらんよ」
「そう言わないでください。私が用意したいんです」
「……んー」

 彼と出逢って、交際を始めて、自分は我侭を言うようになった。それもこれも彼が散々甘やかしてくれるから――と、少しくらい責任転嫁をしてみても構わないだろうか。
 だからこそ私も精一杯、愛せる限り彼を愛していきたいと思う。

 仁王君は顎に手を当てたまましばらく黙っていたけれど、ふと何かを思い付いたように顔を上げた。

「何でもええん?」
「あまり高価なものでなければ」
「じゃあ……」

 次に彼が発した言葉に、私はドアノブに掛けていた手を引っ込め、また彼を抱きしめに戻る事となる。


「――今日みたいな、一日」



 未来がどうなるかなんて分からない。これから先、どれほどの困難が待ち受けているかなど。
 そんなことはもうどうでも良くて。

 今はただ彼と二人。


 穏やかな、この時を。










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いつもお世話になっているキミの傍まで(PCサイト)がめでたく一周年を迎えたということでお祝い(にもなっていませんが)に捧げさせて頂きます。遅くなりましてすみません!
甘いのを書こうと意識したら柳生の比喩表現がいちいち気持ち悪くなった気がする。気のせい気のせい。←

2010.11.13.

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