お伽噺なんてほど遠く | ナノ










 ――古くからの言い伝え

 月のきれいに見える夜は
 窓を開けてはいけないよ
 甘い匂いに誘われて
 血を飲む悪魔がやってくる
 あなたを求めてやってくる
 決して開けてはいけないよ
 心を許しちゃいけないよ――





「すっかり寒うなったの」

 自室の大きな窓を開け夜空を見上げるのは今や“彼女”の日課になっていた。ふう、と溜め息をひとつ吐くと白く舞い上がって消えた。紅く染まった指先は微かに震えている。とても冷える日だというのに、彼女は薄手の寝間着の上に何も羽織ることなく寝台の上に座っている。


 ――月の光が、彼女の透けるような白い肌を際立たせる夜だった。


 窓枠に片膝を立てて座る男は肩にある黄金色のボタンに手をかける。間もなくしてそれを外すと、マントを広げ彼女に被せる。男の顔はとても優しく、彼女もまた心持ち表情が柔らかで。

「……いらん。なかったらお前さん、飛べんじゃろ」
「しばらくは戻りませんし大丈夫ですよ」
「いや、早よ帰りんしゃいよ」

 しばしの間見つめ合っていた二人だが、どちらからともなく目を反らす。
 彼女は寒さが苦手だったが冬は嫌いではなかった。暑い季節よりも空気が澄んで、浮かぶ雲や月や星がより美しく見えるからだ。


 ――沈黙が妙に心地良い、ただただ静かな夜だった。


 どれほどの時間そうしていたのだろうか。静寂を破ったのは彼女だった。

「……ウチはな、こんな夜に何も考えんと空を眺めるんが好きなん」

 男はちらりと横目で彼女を見たが、すぐに上空へと視線を戻す。茶灰色の瞳が果たして何を映しているのかは分からない。
 彼女は気にせず言葉を続ける。

「それで、な」



 こんな夜に限って逢いに来るお前さんが、大嫌いだったんよ。


 そうぽつりと漏らした彼女を、今度は真っ直ぐ、見た。







 吸血鬼であるその男が初めて彼女の部屋を訪れたのも、今日のように寒い日だった。鼻をくすぐる良い香りに誘われるがまま此処に辿り着いた。
 窓際で気だるげに頬杖をつく彼女にそっと近付き声をかけた。

『感心しませんね。年頃の娘がこの時間にそのような薄着で窓を開けているなど』

 驚いて辺りを見回す彼女に気まぐれで姿を見せた。
 彼女の血を求めていた訳ではない、ただ悪戯心でほんの少し揶揄うつもりだった。街中の女性を騒がせ怯えさせる存在がまさに目の前にいる、そんな状況で彼女はどう反応してくれるのだろう。
 男の姿を認めた彼女は目を見開き、そして……次に見せた表情は、恐怖に歪んだものでも絶望に震えるものでもなく。


『……ウチを殺しに来てくれたん?』


 何かを諦めたような……とても穏やかな顔だった。







 冷たい風が肌をかすめ、傍にある重苦しい色のカーテンを揺らす。
 くしゅん、という音ののち彼女が大きく身震いするのを男は見た。男は彼女の身体を覆うマントをより暖を取れるように巻き直すと、そのままそっと彼女の肩を抱く。彼女は俯いたまま男の顔を見ようとしない。

「……もう、ウチんとこ来るんやめんしゃい」
「難しい相談、ですね。あなたは貴重な」
「『純潔の女の血』持っちょるから?」
「……少しくらい恥じらいを持ったらどうなんですか」
「今更じゃき」

 男は慈しむように彼女の髪に触れた。肌触りはとても滑らかで、梳くように撫でるとするりと掌から抜けてゆく。

 彼女の左目に何かが光った。

「ホンマもう、やめぇ」
「……すみません」
「嫌いなんよ……お前さんなんか、顔も見とうないんよ」
「……知っています」
「…………だから」

 彼女は身体を離し、睨むように男を見た。頬を伝い落ちる哀しみは未だ止まる気配がない。
 男は唇を寄せその一滴を口にした。血液とはまるで違う、甘美など微塵もない味。だが何故か嫌いだと思えなかった。
 男の右手にそっと手を添えた彼女が、あの時と同じように微笑ったように見えた。


「もう……逢わんといかん理由を、失くそう」


 男は悲しそうに笑うと、彼女を強く抱き寄せた。
 ふたつの影がひとつに重なる。
 流れるように寝具に身を任せ、軋むような音が微かにした時、二人はもう迷いなど捨て去っていた。


 ――白くなりつつある空が、夜の終わりを告げていた。







 次の朝、彼女は大量の灰を抱き、静かに息を引き取っていた。










 ――古くからの言い伝え

 月のきれいに見える夜は
 窓を開けてはいけないよ
 甘い匂いに誘われて
 血を飲む悪魔がやってくる
 あなたを求めてやってくる
 決して開けてはいけないよ
 心を許しちゃいけないよ――





 そんな、
 死んだ姉の代わりに、親の決めた相手と婚姻を交わすはずであった若い娘と、
 彼女の姉の命を奪った、心優しき吸血鬼の、

 むかしむかしの、お話。










お伽噺なんてほど遠く










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ハロウィン作品のはずだったのにただの厨二になってた。
仁王は何重もの意味で柳生のことを恨んでいるのだと思います。

2010.10.31.

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