まかり間違う自覚編 | ナノ



 保健室のベッドを仕切ったカーテンを無遠慮に開けると、その人はぼんやりと空中を眺めていた。
 わざとらしい作り笑顔で声を掛けると、私の存在を認識した彼女の機嫌が目に見えて悪くなるのが分かる。

「お前な、オンナノコがおるんにその振る舞いはないじゃろ。万が一脱いでたりしたらどうするん」
「公害ですね、直ちにしまってください」
「……殴るぞ」

 彼女の目付きがますます悪くなり、私は不本意にも、その様子に少し安心した。



 今朝、彼女――仁王さんは朝礼の途中に倒れた。誰もが貧血だなんだと騒ぐだけで、手を差し伸べやしなかった。
 幸村君に肩を叩かれ、私はやれやれと溜め息を吐く。こういう損な役はいつだって私に回ってくる。
 私は彼女を保健室まで運び、ベッドに適当に転がした。脳貧血かしら、と養護教諭が首を傾げた。
 貧血などではないことを、私だけが知っていた。
 彼女は昨日、付き合っていた男性に振られたのだ。振った話は今まで飽きるほど聞かされてきたが、向こうから別れを切り出してきたのは初めてだったように思う。
 今回の人は、いけそうな気がするんよ。彼女は先日私にそう話してくれたばかりだった。『優しいし、一緒におって楽なんよ。ちぃと背は低いけどな』。好きになれそうな気がする、と彼女は笑っていたのだ。
 仁王さんを男好きだと囁く人間は少なくなかった。けれど、それは違う。彼女は必死に、自分の恋を模索していただけなのだ。

 正直、私は、彼女がそう言った人間のことを好ましく思えなかった。彼は仁王さんとは合わない。彼女のことをまったく分かっていなかった。
 たとえば何かをプレゼントするにしても、彼女の好みとはまったく正反対のものを贈るような人だった。仁王さんはそれを「予想の斜め上を突き進んでくれるから飽きん」と評していたが、そんなものではないと私は思っていた。どうしても信用できなかった。彼女が笑顔で話すたび面白くないと感じていた。
 そうしたら案の定、これだ。
 彼は外見だけなら好青年に見えるが、実は身体目当てだったらしい。しつこく家に来ないかと誘われて、用があるからと断ると「じゃあもういい、必要ない」。てんで酷い話だ。こう言っては悪いが、彼ごときに女性を選ぶ権利などないと思う。背も低いですしね。

 昨晩電話口で、普段なら人の嘘偽りを簡単に見抜けるのにどうして今回に限ってできなかったのか、と仁王さんは悔しそうに舌打ちをしていた。その理由が私にはなんとなく分かった。
 彼女はきっと、少しばかり盲目になっていた。
 私が違和感を覚えたということは、きっと彼は最初からそれなりに胡散臭かったのだろう。しかし、この人ならもしかしたら、なんて彼女が思い込んでしまったためにこのようなことが起こった。
 私は彼女を、馬鹿な人だと思う。自分と相性が良いかなど、告白されたその時に見極めることだってできるだろうに、彼女はそれをしない。『だってどんだけ合わんくても、どっかに惹かれるもんがあるかもしれんじゃろ』。今までそれで失敗しか味わっていないくせに。
 赤の他人である私が、彼女のことを理解していない人間ばかりだったと思うくらいだ。理解していないだけではない。理解しようとさえしていなかった。本当に彼女を大切にするつもりがあるのかと小一時間問い詰めてやりたかった。あなたたちのせいで、無関係であるはずの私がストレスを抱えるはめになっています、と。毎度毎度、今回の男はここが悪かったとぐちぐち聞かされる私の身にもなってほしい。



 買ってきたばかりの冷たいスポーツドリンクを差し出すと、仁王さんはきょとんとした顔でそれを眺めた。

「……なに、奢ってくれるん?」
「まさか。貸しですよ」
「なんじゃー、けち」

 不服を唱えながら彼女はそれを受け取り、まだ力の入らない指先でキャップを開けた。

「そういうのは、新しい恋人にしてもらいなさい」
「ふられたばっかりのウチにそれ言うん。お前最低じゃな」
「励ましてるんじゃないですか。あなたなら大丈夫ですよ。たいして美人でもないのに何故か男性にもてますから、相手には困らないでしょう」
「……やっぱ最低」

 俯く彼女の表情がみるみる雲っていった。
 振られた今回が初めてではない。彼女はいつだって、恋が終わるとこんな顔をする。きっと見切りをつけるのにも勇気がいるのだろう。
 泣くなら席を外しましょうかと問うと、いらないからハンカチを寄越せとごねられた。仕方無い。今回ばかりは私にも責任がある。仁王さんの気の済むまで付き合うことにする。

 静かに涙を流す彼女をぼんやりと眺めながら、いったいどうしてこんなにも彼女には男性を見る目がないのだろうと考えた。それともないのはセンスか、男運か。あれだけ大勢の人間を並べられたら、すべてが足りていないとしか言いようがない気もする。
 自由奔放で分かりにくい彼女を理解して、支えてあげられる人間はいないものか。勿論、理解だけでなくそれなりの甲斐性と包容力も持っていないといけない。彼女が泣けばもれなく私にとばっちりだ。
 こんな強がりで繊細で寂しがりな彼女を守ってあげられる、よくできた男性はいつ現れてくれるのだろう。このままだといつまでも私がその役を担わなければならない。

(……あれ?)

 今、私は、何を思った?

 未だべそべそ泣いている仁王さんをもう一度見た。
 ……そういえば、今まで私は、「今度の彼氏より私の方がよっぽど彼女を理解している」と思った場面が何度あっただろうか。いや、しかし、それはあくまでも。

(――『友情』?)

 本当に?
 けれど、もしそれが嘘だった場合、私は彼女にどんな想いを抱いていることになるのだ。ありえない。考えたくもない。
 いったい私は、頭がどうなってしまったのだ。



 私は今日、初めて自分の感情に疑問を覚えた。
 何をどう道を踏み外してしまったのか、私は、気付いてしまったのだ。










まかり間違う自覚編










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『仕方がないのであなたの隣』前日談的なもの。
お互い自覚していないだけで、既にラブラブだと思うんだ……。

2012.4.22.

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