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あの時のいざやが、この人だった。
そうだ、臨也だったんだ。


「思い出すきっかけなんてあった?今のくだりに」
「思い出したー!」


臨也の何気ない質問を無視してひとりで嬉しがる姓は、にこにことした新羅からも見つめられている。


「あー!すごいすっきりした!」
「それはよかったね」


まあでも、案外思い出すのが早くて驚いたよ。
このペースだと多分年越すんだろうなって思ってたからね。


「ほんとに嬉しい!臨也にまた会えるなんて!」
「いや、だからもうだいぶ前から会ってるんだよ」


なんて臨也が薄く笑って言うと、ふたりの会話を聞いていた隣の新羅が口を開いた。


「知り合いだったんだね!まさか折原くんに女の子の友人が居るなんて感激だよ!」
「他人が感激する事じゃないだろ」


と呆れたように返すと、他人だと思われてるなんて瞠目結舌だよ!と言われた。


「っはぁ…」


…それで?このままひとりで帰るとか言わないよね。
と、臨也は姓に視線を移した。


「え?ひとりで帰るよ」
「思い出したってのに、また酷いねぇ」


薄く浮かべた笑みに姓も笑って返した。




…それからは、どんどん思い出す事が増えていった。
あれやこれやと細かい部分を思い出す度に伝えた。それに呆れられ、もういい分かったからと手振りをされる日々が数日程度続いた。
嬉しかった。あの時の男の子が目の前に居るという事に、感動を覚えた。幼い頃の思い出がよみがえったんだ。


「最近また多くなったよね〜…誘拐」
「え、ちゃんとニュース観てんの?」


観てるよ。昨日もやってたよ〜?


「……」
「……」


女子ふたりの会話を盗み聞きする。


「この前の監視カメラのやつ、あれ犯人捕まったって言ってたよね〜」
「なんかどっかの会社が関わってるとかって話?」


ああ、あれ噂でしょ?まじなのかな?


「すぐそこの会社だって聞いたよ?」
「まあどっちでもいいよね〜」


うちらには無関係じゃね?という軽率な言葉に、そうだねと笑い返していた。
そのまま廊下を歩いて帰っていくふたりの姿から、そっと目を離した。


「……」
「…気にする事ないよ」


隣から聞こえた突然の声に、えっ?と振り向く。
その相手は、机に両手をついて椅子から腰を上げていた。


「俺の知る限りでは…ただの無法者が餌食になってるだけだからね」
「……」


そ、そうなのかな。と、伏せた視線を自分の机へ移した。


「君の両親がそれに関係してるのかは分からない」


でも、最終的に根元で繋がるかも分からない。


「……」
「まだ暗転してる状態で行動するべきじゃない」


今の君にはなんの力もない。
やるだけ無駄だってね。


「…そんな言い方ないじゃん」
「本当の事だろ?認めなよ」


だっだから!臨也ってなんでそんな言い方しか…!と声を上げ、ガタッと椅子から腰を上げた。
その瞬間に、ところで…と、言葉を被せられた。


「俺達、いつの間にか付き合ってるって思われてるみたいだけど?」
「はっ?!」


臨也は別の場所へ視線を向けている。
そこへ流すと、廊下から垣間見えた数人の女子がこちらを見つめていたのか、さっと逸らされた。
ただの女子トークだ。いじめなんかのそんな重いものではない。


「な、なんで…」
「さあ?俺は何も言ってないけどね」


ああそうだ。俺が一緒に居るからじゃないかな。
てか、むしろ一緒に居たがってるのは君の方だけど。


「…ち、ちが」
「まあいいじゃない。付き合ってるって事にしておけば」


臨也はそう言いながら姓から視線を外し、うしろを歩いて廊下へと向かいだした。


「ちょ、ちょっと…!」


待ってよ!と言ってあとを追う。


「…ほらね。何も言わなくてもついてくるじゃないか」
「ちっ違うよ!昔からのクセってやつで!」


昔ねえ… と馬鹿にしたような笑いを少し混ぜて、そのまま足を進める後ろ姿。
そして、姓のうしろから小走りしてくるもうひとりの男子。


「折原くんちょっと待ってくれよ!」
「はあ…?」


足を止めた姓と臨也がふたりして振り向くと、そこには息を上げた新羅が居た。
両膝に手を当てて、ふたりを見上げている。


「せ、生物部に来るって昨日言ってたじゃないか!すっぽかすなんて!」
「…ああ〜、そうだった」


臨也は上の空のように視線を上げ、めんどくさそうな声色をした。
隣の姓は、部活なんて入ってたの?と少し驚いている。


「あの臨也が…意外過ぎて似合わないね」
「まあ、そう言われても仕方がないか」


…これはもうだいぶ前の話だ。とっくに成人してからの今、こうやって思い出すと案外胸が締め付けられる。
そう、これは俺と新羅にあった出来事だけの話じゃない。何もこのふたりの間にあったトラブルなんてものを軸にしているわけじゃない。
正確には思い出せなかったのか、それとも思い出したくなかったのか…自分でもはっきりしていないなんて気付く瞬間は多々あった。
入学してからもずっとこのまま何かが欠け続け…小学時代みたいに1歩引いた状態で…


「姓には話してなかったね」


入学初日に、不運にも声かけられたんだよ。と臨也は新羅から姓へ視線を移した。


「入学式の日によくそんな勇気あるね…」
「でしょ?僕って結構大胆なんだよ」


まあ僕の好きな人がそうしろなんて言うもんだからさ〜
などと、新羅の言葉に姓が へえ〜〜…と返している。


「……」


…だとしても別に明確な不満があったわけでもないし、こうして再会した奇跡なんてものも…自ずと信じたくなった。
やっぱりそれでも、俺の中には別の何かが支配しつつあった。認めたくはない。でも何かに振り回されている感覚だって確かにあった。
結局、中学のその頃から…おかしくなり始めたのは間違いなかった。




今の年齢からだと、もう何年も前の事になる。まだ姓の安否なんて全く想像も出来ていなかった頃。
姓が現れるなんて、子供の頭じゃ何も情報すら掴めていなかった。
その頃は若気の至りなんて言葉が似合う、普通の男子中学生を演じたかった。


「君さ、生物部に入らない?」


っていうか、つくらない?という意気揚々な声に振り向いた。


「悪いけど興味ないね」
「興味なくてもいいからさ」


そう言いながら、廊下へと歩いていく相手の背を追いかける。


「つくろうよ!生物部!」
「…」


岸谷くん、だったよね。と言うと、新羅でいいよ。なんて返ってきた。


「…えーっと、ごめん。名前なんだっけ?」
「折原臨也だよ」


あ〜そうそう!折原くんね。
僕は折原くんって呼ぶけど、君は新羅でいいよ。


「名前も知らない相手に、なんで生物部をつくろうなんて声かけたのさ」
「さっき先生が言ってたからだよ」


この学校、ふたり以上で部活がつくれるって。


「いやだから、なんで俺なの」
「君、生き物の観察とか好きなんだろ?」


そう言われ、は?と足を止めた。


「自己紹介の時言ってたよね」


色々な職業の人間を見るのが好きですって。


「なんでそれが生物部に繋がるのかな」
「人間だって生物じゃんっ」


…やっぱり、生物部には興味ないな。と、再び歩きだした。
なるほど…じゃあしょうがない… なんて新羅は落ち込んだ様子だが、すぐに笑顔へ変わった。


「また明日頼む事にするよ」
「ちょっと待て」


臨也はまたもや足を止めて振り返る。
人差し指を立てた片手とその笑顔に、明日でも答えは一緒だと思わないのか?と言ってやった。


「明後日ならどうかな?」
「同じだろ…」


視線を伏せて呆れて返してやったが、頼むよ…君が部長でいいから。と言われた。


「なんで面倒なポジションを押し付けるんだ」


そもそも俺以外の誰かを誘えばいいじゃないか。と言ってやると、新羅の表情が少し変わった。


「小学校からの友達とか」
「…僕が友達居るように見える?」


その言葉の次は、少しだけ沈黙した。横を通り過ぎていく女子のきゃっきゃとした声と足音だけが響いていった。


「…悪かった。確かに居なさそうだ」
「残念でした!」


新羅の表情や言葉があまり予測出来ない。だから、…っ?と反応をした。


「実はひとり居ます!」


それは静雄の事だ。平和島静雄。小学校の頃、彼の身体能力やその他諸々について色々と目を輝かせていた。
臨也と新羅はそのまま足を進め、正面入り口の靴箱が並ぶ横を歩いていく。
ふたりは各々の戸で立ち止まっては、それなりの小さい音を立てて戸を開いた。


「…でも、その友達は別の学校」


と、新羅は臨也へ視線を向けつつ言いながら、靴を手に取って足元へ落とした。
だから、この学校には居ないんだ。なんて続けながら、伏せた視線は下の内履きへと向く。


「これからも出来なさそうだな。ご愁傷様」


そう返した臨也も、内履きを仕舞いこんで小さい戸をパタンと閉めた。
まあでも生物が好きな奴なら、ひとりくらい居るんじゃないか。などと言いながらさっさと靴をはいて勝手に歩いていく。


「んん〜でもなあ〜」


急いであとを追う新羅は、本当に生物が好きな人で、あんまりやる気になられても困るんだよねー と続けた。


「出来る事なら、最低限の活動で済ませたいというか」
「なんだよ…生物が好きなわけじゃないのか」


ふたりは校庭の中を歩いている。
臨也の顔色は先程からずっとほとんど変わっていない。


「いや、正直部活自体やりたくないんだけどさ〜」


好きな人から… とそう言って人差し指を立てる。


「新羅は友達が少なすぎだ!部活くらいやったらどうだ、て…言われちゃって」


その立てた指で頬を掻く新羅は、困った表情で笑っている。


「……」
「…っとにかく!」


何も言わなかった臨也の前に立ち、足を止めさせる。


「君なら生物部になっても、そこそこやる気のなさそうな感じでやってくれそうだと思うんだよ」


そう言った新羅は目先で両手を合わせ、頼むよ!と目を瞑った。


「ふたりでツチノコとか探そうじゃないか!」
「…それ、生物部の活動じゃないよね」


臨也はそんな新羅を避けて歩きだした。
視線を振り向かせた新羅は、今日は諦めたのかあとを追わなかった。


「……」


人間観察なんて一言で言っても、他人が理解出来る領域なんてあるのだろうか。
簡単に受け入れた事柄が、本当は踏み入れちゃいけない場所だったとしたら?
並み大抵の人間だったら、おそらくこう言うだろうね。


「……」


…普通じゃない、ってさ。



新羅の事は何も知らないわけじゃなかった。一応、その頃の自分なりに調べていたつもりさ。
だからあの誘いにも返事をした。


「生物部、副部長でよければやってあげてもいいけど?」
「…わぁ」


頬を染めた新羅は、段々と笑顔になった。
そして、ありがとう!!と声を上げ、堂々と正面からハグをしてきた。
少し声を上げて引き離すが、あはは!と喜んでいる新羅は周りの目など全く気になっていないようだった。


「そんなに嬉しがる事なのか」
「当たり前じゃないか!」


…正直、自分の過去なんて語ったってなんの得にもならない。俺が好きなのは特定の人物ではなく人間だから…という事にしておこう。
誰とは言わない。その中に含まれているのか、それとも個別として捉えているのか…整理をつけようとしているのか分からない。
自分自身でさえ理解出来ていない状態で、その相手に対してどんな言葉をかければいい?
本心ではそう悩んでいても、皮を被った自分が更に偽善者を演じる。
…偽りと真実は時に紙一重だ。少しの差でしかない。だがそれは、本人の行い次第で目まぐるしく変化する。




そう、変化する。その年の夏休み中に機転はあった。
待ち続けていたような感覚に苛立ちを覚えても…この俺にもありきたりな物語を、壮絶をと。
あの記憶をもう1度具現化してほしいと願い、人間を愛そうとして正当化してもその事実から遠ざけようと自分を誤魔化していた。


「…いやぁ、君には期待してるよ副部長」


と言って臨也の肩に手をポンと置く新羅。
臨也は椅子に座って、作業台に置かれた数枚のプリントを見つめている。


「要するに自分は何もする気はない…って事だろ」


臨也は指を立てた新羅の、そんな事はないよ。応援くらいはするさ。という言葉に顔を向けた。


「それに部員がふたりって事は、実質君がひとりで決めてOKだよ」


やったね!と手を向けられたが、そうだな。と返して目を伏せた。


「君がこの場で死んだら、その腐敗の過程を観察して、文化祭で発表するよ」
「ああ、アメリカの大学の研究施設でやってるよね、その実験」


死体牧場って呼ばれてるところでしょ?と言われ、よく知ってるね。と返した。


「父さんが向こうの製薬会社の研究員でさ」


そういう知識をよく聞かされたんだ。でもさ、もしも… と、新羅は臨也のうしろを歩いていく。
腐らなかったらどうするんだろう。という発言に、臨也は無表情を向けた。


「え?」
「心臓の鼓動が止まってる…すごく綺麗な女の人の死体があったとするよ」


その死体はずっと腐らないんだ。ただ綺麗だなって思う死体がある。
そう続けた新羅は、棚に保存されている生物の標本を見つめているようだった。
臨也からの視点だと、硝子が反射していて中身はよく見えなかった。


「…でも、心を通わせる事が出来ない」


それに手を当てた新羅の表情。反射している自分の顔がよく見える。


「好きになったとしても、相手は答えてくれないだろ?」


死体なんだから。という言葉に臨也は、まあ…妄想力があれば、ひとりで腹話術みたいにやりくり出来るだろうけど。と返した。


「もし…腐ってないまま、その死体が動いたとしたら」


つまり、ただの腐るだけの死体から、腐らないゾンビになったとしたら。


「心を通わせる…つまり、好きになる事が出来るのかな?」


亀の置物なのか、本物の標本なのかは分からない。
先端に指先をそっと置いて言う新羅にただひとつ、疑問しか浮かばなかった。


「何を言ってるんだ?」
「そのゾンビが、ただ心臓が止まっているだけで…」


普通に会話したり、冗談を言い合えるゾンビだったとしたらどうだろう。


「それは単に、心臓が動かない…特異体質の人って感じじゃないかな」
「じゃあ、そのゾンビに恋をする事は異常かな」


人間を愛する事が正常で、それ以外が異常って言うなら…その境目は…
と言って、新羅は臨也に顔を向けた。外からの光で、眼鏡は白く反射した。


「どこにあるんだろうね」
「…まあいんじゃないかな」


それで他人を傷付ける事がなければ、どんな相手を愛しても。


「いや、他人を傷付けてでも愛したいんだよ」
「……」


新羅のその言葉は、当時の自分からすれば狂気。その一言に尽きた。
今考えれば大人としての意見として色々と浮かんでくる。だがその瞬間は、呆気に取られたや…自分の先を行っている存在のような…
もう少し言えば、似ているものを追っていた人物として片付いた。


「……」


それは本当に片付いたってだけで、こいつの言う事を全て理解したわけではなかった。
新羅の言う異種への愛、俺が言う同族への愛。相反するこのふたつの根元は、隣接している。
別に誰が誰を愛そうと関係ない。俺が人間を愛しても、新羅がそれを邪魔する理由はない。
…それが、あの時からずっとどこかに在った姓に対してなのか、なんなのか。
その日からふと…俺の帰る場所、という言葉が浮かぶ事に気が付いた。




…それからひと月程経った頃だった。
相変わらず俺の中には他人にも知人にも明かせない…不安が形になっていた。
それをいつものように、そう…日常として、片付けようとしていた。


「だからさぁ…」


ひとつラジオのスイッチを押して音声を消しながら、野球賭博とかそういう事するのはやめてほしんだよ。
…という発言が後方から聞こえた。


「まだ言うのか」


君の知った事じゃないだろ。と、作業台の上に座って手元を見つめている。
…俺に存在している闇なんてものは、誰にも解りやしない。誰にも、絶対に理解出来やしない。
言いたくもないしこれからも真実を告げる者は現われやしない。


「一応僕は君の事を友達だって家族に話してるんだ」


…ただひとつ。こんな俺にも、愛している人間の中に最も近付きたい存在が…居るなんて。


「それで?」


めんどくさそうに言ってやったが、新羅は発言をやめなかった。


「その手前、友達がそういう事をしてるのに止めないっていうのは、その…」


困るんだ。と続けられたが、新羅に背を向けているからどんな表情なのかは分からない。


「新羅、君は馬鹿か」


そう言いながら、やっと顔を振り向かせた。
案の定少し暗そうな顔をしていた。


「それじゃあまるで君は、自分の意思すらない。家族にいい顔するだけの操り人形みたいだ」
「大事な人と糸が繋がるなら、僕は操り人形でもいいんだ」


半ば被せられた発言で、臨也は少しムッと口を閉ざした。
だが正面へ顔を戻しつつ、話にならないな。と言い返してやった。
…その時。


「折原ぁ…」


引戸がガララッと開いて…ふたりして振り向いた。


「よぉ、奈倉くんじゃないか」


そこには、開けた戸に片手を置いて…少し汗を浮かべた男子が居た。


「もう賭けは締め切ってるよ」
「なあ、頼むよ…」


男子は臨也の言葉を無視し、そそくさと歩み寄ってきた。


「昨日まで賭けた金…あれ…」


臨也は台から離れ、無言でその男子へ歩いていく。


「返してくれよっ…まずいんだよ…」


このままじゃ、親父の財布から金を抜いたのがバレちまうんだよっ…!
新羅の目の前で男子に目を合わせたまま立ち止まった臨也は、自業自得だろ。俺は賭けを強制した事は1度もないんだからね。と言った。
すると、男子は突然手元からひと振りの小型ナイフを…切っ先を、ふたりへ向けた。


「えぇっ…」
「…本気かい?」


奈倉くん。と聞き返す。
だがその奈倉は全く聞く耳をもたなかった。


「出せって…!出せっつってんだよっ…!」
「正直な話…」


そう返しながら、臨也はそばにあった丸椅子のベースへ片手をのばして芯を握った。
奈倉は、返せよっ!と声を上げるが、臨也は発言をやめなかった。


「君にその金を返す価値があると思えないな」
「えっ…」


新羅は臨也の身構えに気付き、小さく声を出した。
俺個人としては…新羅の事もそうだが、非日常って本当はなんなんだろうなと思い返す瞬間だった。
まあぶっちゃけ、俺の非日常ってのは…姓が失踪した事が1番だったかもしれないけど。
今じゃそれも笑い話かな。こんな過去の事を引きずり出したって、姓はもう…


「知ってるんだよ。何度か勝った人のあとをつけたりしただろ」


苦情が来てるんだよ。と続けたが、奈倉は返せ返せと言い続けた。
ついには勢いをつけて刃物を構えたまま…向かってきた。


「返せよぉおっ!!」
「馬鹿な奴だね」


余裕な表情だった。
だがそれは…一瞬で、また変化した。


「まっ…ぅぐっ…」
「…っ」


奈倉も、臨也も、状況の整理をつけられなかった。
ただ目の前に立ちはだかった目撃者が、被害者へと変わる…その瞬間が。


「ぁっ…ぐ、…」
「…っ」


苦痛の声がそばで聞こえた。
血がひとつふたつと落ち、奈倉は後退りをした。


「ち、ちが…ちがっ…」


ちがっ…お、俺っ…脅かすつもりでっ… と、そう言いながら目の前で倒れた新羅から目を逸らさずに…
そして臨也も、ひとつ汗を浮かべて見つめるしか出来なかった。


「折原をっ…俺じゃないっ…俺じゃ…悪くないっ…」


悲惨な光景を見つめながら散々な態度で、ナイフから手を離した。
落ちたナイフは音を立てて床へと静寂する。


「俺っ…う、うわぁぁあああ…!!」


叫びながらこの室内を走り去っていく奈倉より、目の前の新羅の方が重要だ。
臨也はすぐに駆け寄り、新羅へと腰を落としながら携帯をとりだした。


「待ってろ、今救急車を」


そう言ったが、その前に… と新羅が口を挟んだ。


「ガムテープ…」


とりあえずっ…止血するから…


「…」


当たり前だが、この時の新羅の表情や声はかなり必死なものだった。
だが父が医師という事もあり、何かあった時の応急的な知識はあったようだった。
まあ、それがガムテープかとも思うが、この時は…そういう思考だった。


「…、っ」


臨也がガムテープを探している最中、新羅は自力で起き上がって作業台の側面へ背を預けた。
見つけたあとすぐに戻って手渡すと、テープは背中からくるくると腹回りをまわった。


「え、えへへ…やっぱり…ヒーローとか柄じゃないね…」


そう言いながらガムテープを千切った。
その次に出てきた声は…


「好きな人に褒めてもらえると思って…っぅ…」


…と、小さくあげた悲鳴だった。
発言の振動で傷に響いたのか、耐えるような声だ。


「おい…!」
「っ大丈夫…内臓は無事みたいだし…」


そう笑いかけられても、こちらとしては笑い返せる事ではない。


「うっ…ぐ…っ」
「なあ新羅…」


臨也は血が付いたナイフを手に取り、その傷さ… と続けた。


「俺がナイフで刺した…って事にしていいか」
「え…?」


そっと立ち上がった臨也は、その代わりに… と言葉を続ける。
視線は新羅ではなく、正面のどこかへと向けられていた。


「俺が一生をかけて…奈倉の奴に後悔させてやるからさ」
「…じゃあ、それで」


…心とは不思議なもので…頭で理解していても、全く逆の立場に立っている場合がある。
こうしなきゃ、ああしなきゃ。そう考えていても、心の声がまるで言う事を聞かない。
他所を傍観している俺は、今どっちに立っているのか?俺の意思はどっちにあるのか?
一瞬考えてはみるが…あの神話が俺に似合うわけでもない。同じ土俵に立っているようで気に入らない。
でも、本当にどっちなのか…本気で考え込む瞬間はひとりの時ならいくらでもあった。
まあこれに関しては、弱みにされても仕方がないって自分でも思ってるよ。




…そういう事もあったけど、姓がまた目の前に現れるんじゃないかって事は頭にも心にもずっとあった。
何も調べていないわけではなかった。あの頃の自分なりに出来る事はやっていたしね。
中2で再会し、その再会したあとも…俺達の間柄がどういうものだったのかも、全て思い出しても。
何も変わらない。それを意識した。言った通り姓が俺と同じ高校に上がっても、このまま同じ日が続くんじゃないかと錯覚していた。


「……」
「……」


鳴り響く拍手。
無残に広がった怪我人…なのか、死人なのか。
その中心に居る人物に高々しく手を叩き続けると、その中心の人物が…振り返った。


「…中学で一緒だった、折原臨也」


まあ…いい奴ではないけどね。


「っていうか、かなりやな奴?」
「酷いなぁ、新羅」


いやいや、悪い意味じゃなくって。と、新羅は軽い言い方をする。
ひとりにこやかムードで空気を読めていなかったのか、あの人物は低い声で感情を露わにした。


「気に入らねぇ」
「えっ?」


新羅の声の次に、おや?と片目で問いかける。
するとその人物は黙っていた。不機嫌な表情だ。


「…残念。君となら、楽しめると思うんだけどな〜」
「うるせぇ」


そんな事言わないでさ、静雄くん?
そうわざとらしく言った時、静雄は勢いよく駆けて臨也が座っていたところへ拳を振った。
バラバラと飛び散った破片や他の諸々を慌てて避ける新羅は、余裕な表情の臨也や怒気を浮かべた静雄に驚きを隠せなかった。


「…っ」


辺りを見渡す静雄に背後から近寄る鋭い光。気付いた瞬間には、正面から向けられていた。
キンと光ったナイフの先端。波打つ切っ先の反射。横へ飛び散った血の線。


「…ほら、楽しいだろ?」
「……」




…コントロールしているようで野放しにしている状況に、その人は居る。それが今のところ確実に言える事実。
まだ蚊帳の外に居る人物が勝手に深部へ動こうもんなら…はたして俺はどうするべきなのか。
もっと他に言うべき事があったんじゃないのかって後悔しても遅いし、大体もう何を言っても届かないんじゃ派手に探る事も出来ない。
とりあえず高校時代の俺は、シズちゃんに追われて喧嘩を永遠と繰り返していたし。
むしろ小さかった頃の考え方が歪に反映して、姓との約束を疎かにしていた部分もある。
人間を愛している俺にしては、これはイエローカードかな。いや、もうだいぶ前から…退場をくらっていたのかも。


「…ね、ねえ臨也」
「ん?」


し、静雄くんって…どんな人なの?
その質問が俺の中で1番の引き金だったのかもしれない。
愛している人間の中で最も嫌いな奴。その相手の名前が姓の口から出てくるなんて、予想していたのにも関わらず…


「…なんで?」
「い、いや…なんとなく気になって」


気になって。なんて言い訳は俺には通用しない。
高校生でも、姓にどういう気持ちがあったのかなんて既に汲んでいた。


「…あいつの事なんて気にする事ないよ」


それよりももっと気にする事が、君にはあるんじゃないの?


「もっと大事な事をさ」
「…親の話?」


そうだよ。っていうかそれしかないだろ。
そう言っても姓の表情は変わらなかった。
あれだけ気にしてあれだけ不安な顔をしていたというのに、まるで何かに支配されて忘れてしまったような感じだった。


「…本当に見つかるのかな」
「俺が居るんだから、何も心配する事はないよ」


最も…君がシズちゃんなんかに魅入っているのなら別だけど。


「みっ魅入ってなんか…!」
「冗談だよ」


そうやってすぐムキになるところは変わらないねえ…相変わらず。


「……」
「……」


沈黙したふたり。夕焼けの色が濃く…姓の家にふたりで居るこの雰囲気が少し悪い。
下校したあとのこの時間はもうふたりにとって当たり前になっていた。


「…姓はどうしたいわけ?」
「え…」


日常からの脱却なんて…自分が何もしていなかったらそれはなんの変哲もない日々に過ぎない。
何かを変えたいのなら、自分が進化し続けなければそれは非日常とは言えない。
俺は一体、どちらを望んでいるのか。俺は日常の中にある何かを求めているのか、非日常の中で人間を…愛し続けたいのか。


「姓がしたいようにすればいい」


その答えがどうであろうと、俺は好き勝手にやらせてもらうけどね。
シズちゃんから逃れる為にここを使わせてもらってるってのもあるし、君の為に俺の何かを犠牲にしてもいい。


「したいようにって…去年はあれだけ何もするなだのなんだのって引き止めてたくせに」
「そりゃそうだろ?高校生にもなったんだ」


ガキだなんて言われても、ガキらしくやってみせようじゃないか。


「なんでそんな強気なの…」
「全く君って子は…」


ふたりはあれからずっと椅子に座っている。隣同士でもなく、対面でもない。
テーブルの角で姓はぽつんの小さく座っている。そんな姓に臨也は薄く笑みを浮かべ、そっと腰を上げた。


「…俺が居るんだから、君は何も心配する事はない」


そう言って1歩踏み出した片足。
その次にもう1歩出した時には、座ったまま視線を伏せている姓の真隣に突っ立っていた。
片手で姓の横髪を耳に引っ掛けるように流し、そのまま指で軽く頬を撫でる。
そういう仕草は昔から大人びていた。あの小さかった頃、無邪気に笑っていた雰囲気でも何も動じずに頬をつんとつついていた。
それが今、単につつくのではなく優しいひと撫でとして…


「い、臨也…」


顔を少し動かした。
それはそっぽを向くように、視線を逸らして遠ざけるように。
一言で表すなら、恥ずかしかった。


「っはぁ…俺達はさ」


そう言いながら、臨也は片方の手をテーブルへついた。
姓の顔を覗き込む角度ですっと止まる。


「付き合ってるって言える?」
「…」


…分からない。


「……」
「……」


意外だった。そんな中立な状態だったのかと肩を落としそうだった。
逆に両極端な事を言われそうだと予想していたのに。


「分からないってどういう意味?」
「わ、分からないは分からないだよ」


昔のままでもあるし、むしろその延長線上っていうか…
姓のその言葉に少し苛立ちを覚えたのは確かだった。いや本当に少しの、ほんの少しの。


「君の言う延長線上って、どこなわけ?」
「……」


俺が思ってる延長っていうのは、まあ複雑かもしれないけど。
姓の延長線上に、まさかシズちゃんが居るわけないよね。


「ああ、別に嫉妬じゃないよ」


強いて言うなら、負けず嫌い…かな。


「…っ」


あの小さかった頃の映像と重なる。そして、消えていく。
両親の失踪に人生を賭けようとしていた自分の、この変化。
昔に在ったものが薄れ、それが突然ぽんと現われ…こうなるなんて思いもせず。


「…ねえ姓」
「……」


何もかもから逃げようとしていた。高校に上がっていざ直面しようもんなら…
足が竦んだんだ。単純に怖いから。真実を知るのが怖いから。
新羅との過去、静雄との出会い。臨也は小学生の頃やもっとその前から色々とわたし以上に経験していたのだ。
のうのうと生きてただいつも通りに息をしていただけのわたしを置いて、先を行っていた。


「…なんで泣いてんの?」


そう言われて目元が滲んでいる事に気が付いた。
泣きたくて泣こうとしていたわけではない。勝手に流れようとしているだけだ。
これはわたしの意思ではない。


「俺に女の子を泣かせる趣味はないよ」


笑って小馬鹿にする言い方が気に入らない。
でもそんな性格だと知っておきながら、好きなんだとだいぶ前から気付いていた。これは恋か、愛か。
わたしの隣を歩いているようで先を歩いていたこの人は、わたしに対してどちらを向けているのか。


「…っごめん、気にしないで」


そそくさと片袖で拭った姓に、気にしないなんて無理でしょ。と簡単な言い方で返す。
それは呆れているわけでもなく、ただいつもの調子で。


「どうやったら泣きやんでくれるのかな?」
「もう泣いてない」


まだ泣いてるでしょ〜?心の方が。などと薄く笑う。


「……」
「…俺はさ、だいぶ前から覚悟はしていたんだけどね」


君の覚悟と俺の覚悟が、はたして同じスタートラインにあるのか分からなかったからさ。


「どういう意味…?」


顔を上げた姓に視線を伏せた。


「俺は歩幅を合わせていたつもりなんだけどね」
「え?」


君は勝手に新羅やシズちゃんを巻き込もうとしたみたいだけど…


「まっ巻き込もうなんてそんな事思ってない!」
「じゃあなんでさっきシズちゃんの事聞いてきたのさ」


間違っても俺に聞く事じゃあなかったね。
まあ俺も、シズちゃんと喧嘩続きな事を君にずっと黙ってたのは悪かったけど。


「け、喧嘩って…」
「この話はいずれするよ」


気が向いたらだけど。それより、俺は君のそれに理解が出来ない。
俺が協力するって言い続けてもなんの糧にもなってなかったみたいじゃない。


「…そんなつもりは」
「そう?」


臨也から視線を外した姓は、不機嫌な表情でテーブルを見つめた。
そして、大体… と呟く。


「ん?」
「臨也の考えてる事だって理解出来ない事くらいたくさんある」


こっちだってそれなりに…分かりたくて色々考えてるのに。と、何かしらをぶつける。
だったら言ってみなよ。と言い返してくる余裕な態度が、わたしの中の何かをくすぐる。


「それなりにって何?俺の予想を超える事でも言ってくれるわけ?」
「…そういう時もあるし、ない時もある」


じゃあ今は分かる?今まで色々と考えてたなら…


「俺が今しようとしてる事…分かるだろ?」
「え…」


元気付けようとしてくれていたのだと、その瞬間にやっと気付いた。
これは、わたしがわたし自身で思っていた事、ただひとつ。
…最初からそこしかなかったという事。


「……」


近付いていた表情、少し角度の違う景色。覗かれた時には遅くて、その重なった感触はそれが初めてのものだった。
散々な言い方をしても、ただの高校生でも、黙らせる方法や喜ばせる手段なんてものを既に知っていて、それをすぐ…実行に移せる人。


「…っ」


解りきっているこれを恋や愛と表現しなくていい。ものすごく簡単でいい。
帰る場所なのだと、今はそれだけで十分だ。



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