おすわり
『あ〜、疲れた〜…もう嫌…あ、そうだ帰ろう…私は帰宅します』
「無駄口叩いてないで仕事をしろ」
公安局刑事課一系のオフィス。
ただでさえ常時人手不足だというのに、日付けが変わる頃には私と狡噛しかいないという状態。
まあそれぞれ個々の仕事が終わったから帰宅したというだけのことなのだが。
『誰が暴れたせいで始末書 書いてると思ってんのよ!』
「"好きに動いていい。責任は私がとる"って言ったのは誰だ?」
『私だね』
それもこれも刑事ものの某大捜査線を見たせいだ。一度あの台詞言ってみたかったんだもの。
でもそれにしても限度があると思うんだ、室井さん。どう思いますか室井さん。
ため息をついて椅子の背もたれにこれでもかという程 体重をかけて項垂れた。頭もそのまま天井を仰ぐ。
『明日が非番っていうのが唯一の救いだわ…』
宜野も常守ちゃんも私を見捨てて帰ってしまった。宜野に関しては「自業自得だ、馬鹿め」という捨て台詞まではいて出て行った。
あの野郎、今度眼鏡を指紋だらけにしてやる。
少し休憩、とそのままの体制で目を瞑った。
「…おい花子、」
『あー、はいはい。仕事でしょ仕事。ちょっと休ま、』
せて、と言おうとして止めた。気配を感じて目を開けると、狡噛の顔がすぐ近くにあった。
更に距離を詰めてくる狡噛の顔を、素早く手を出して押す。くそ、逆向きでも端正な顔だ。
一体何がこいつのスイッチを押したっていうの。
「…非番なんじゃないのか」
それか!……いや、それでこうなるか?
『一、ここはオフィスです。二、今は君が暴れた始末書を書かなければいけません。三、この体制はきつい』
「四、俺も明日は非番だ」
その返事に思わず押していた手の力が緩まった。それをこの猟犬が見逃すはずは無く。
くるりと椅子を回されて、狡噛がデスクに両手をつく。つまり私は椅子に座った状態でデスクと狡噛に囲まれたわけだ。
『ま、待って!』
「"待て"はもう十分してやっただろ」
まあなんて聞き分けのいいお犬様だ。
…確かに最近お互い仕事が忙しくてご無沙汰だったけれども。
何て言って宥めようと悩んでいると、狡噛の手が首筋を撫でた。その手つきにぞくりと全身に言いようのない痺れが走る。
手はそのまま上へあがり、頬へ、そして顎へと移動した。
こういう時だけ、普段からは考えられない程の優しい触れ方をする。
そのまま流れるように唇が重なった。
でも触れるだけで今の狡噛が満足するわけがない。
……うわ、舌、が、
『…っンぁ、ストッ、ストップ!』
口内に入り込もうとしたところで狡噛の身体を押した。
意外とあっさり離れたが、顔は不機嫌丸出しだ。
『…ほんとに、オフィスは駄目だって…』
「……早く終わらせろ」
まだそれくらいを考える理性は残っていたらしい。
だから誰のせいで仕事が増えたと…
「終わったら覚えとけ。監視官殿」
『…………』
"待て"をした後の犬って わけ目も降らず餌に食らいつくんだっけ…
そんな犬の姿を思い浮かべながら、私はパソコンに向かい合った。