連敗
「ハル、始業式 来なかったね」
『もしかして忘れてたりしないよね?おばさん、今家にいないんでしょ?』
高校生になって二回目の春。
短いようで長かった始業式を終えて、私は小学校からの友人である橘真琴と帰路を歩く。
暖かい風に混ざって少しだけ海の匂いがした。
「…可能性はあるかも」
『あーあ、真琴はいいな!また遙と同じクラスで!』
「あはは、花子は本当にハルが好きだなー」
『当たり前でしょ。小学生の時からずっと好きなんだから。真琴、変な虫が付かないように見張っててよね!』
「見張ってなくても大丈夫だと思うけど。相変わらず水以外に興味なさそうだし」
ならいいけど。と言いそうになってため息が出た。その"水好き"に私がどれだけ悩まされていることか。
遙は水以外は面倒くさがりだ。水が関係してないと動いてくれない。あ、あと鯖。
『年々、遙のスルースキルが上がってる気がする。この頃は告白しても"うるさい"の一点張りだもん』
「何連敗中だっけ?」
『……0勝32敗』
「…照れてるだけじゃない?」
『そのフォロー聞き飽きた!』
困ったように笑う真琴。
昔から変わらない優しさに更に涙が出そうになった。
私って本当情けない。高二にもなって好きな人一人 落とせないなんて。
「ちょっと引いてみれば?押してもダメなら引いてみろって言うし…ね?」
*
ピンポーン
『…来ちゃった』
せっかくアドバイスしてくれた真琴に悪いと思いながらも、もう一度遙の家のインターホンを押した。
『押してもダメなら、か』
だってね真琴、一度引いたら、遙はきっと追い掛けて来てはくれない。
そうなったら、戻れなくなりそうで恐いの。多分、遙の中での私はまだまだ小っぽけなものだろう。
…なんてね。
返事がないので、裏の勝手口の方へ回る。予想通り鍵はかかっていなかった。
『お邪魔しまーす。遙ー?』
廊下を抜けて右手にある風呂場に入る。
脱いだ後の服を見て、やっぱりここだと思った。
磨りガラスの戸を開けると、同時に湯船から遙が頭を上げた。
『また水風呂入ってたの?風邪ひくよ?』
「…ひかない。勝手に入ってくるなよ」
『真琴なら怒らないくせに。だったら勝手口の鍵、閉めておいてよね』
「…………」
湯船から出て頭を振るう遙にバスタオルを渡した。
見慣れた競泳用の水着に複雑な気持ちになる。
遙は競泳をやめた。昔からフリーしか泳がないとは言っていたが、恐らく"あの日"から更にそれに固執するようになったと思う。
でも遙から泳ぐことを取ったらきっと死んでしまう。遙は水無しでは生きていけないのだ。
だからこうして夏が来るまでは水風呂に入ることが多い。心配する私と真琴はまるで無視だ。
適当に拭いてそのまま台所に向かう遙を追う。
あー、もう、ちゃんと拭かなきゃ本当に風邪ひくってば。
「何の用?」
『今日始業式だよ。知ってた?』
「休むって連絡した」
『あ、そうなんだ』
それだけか?と言いたげにこちらを見てくるので『会いたかったから』
と付け加える。
「うるさい」とまた言われてしまった。真琴、これは絶対照れ隠しじゃないよ。
『また鯖ー?』
「誰も食えとは言ってない」
水着のままのエプロン姿にはツッコミ疲れた。
ジュージューと鯖が焼かれるのを見つめる。そんなことを言いつつ、きちんと二匹分焼いてくれる遙が好きだ。
「これ食ったら帰れよ」
『えー、お母さんもお父さんも仕事で遅くなるんだって。夜までいていいでしょ?』
「…勝手にしろ」
『晩ご飯一緒に作ろうよ!』
「花子は下手だから嫌だ」
『大丈夫だって!』
昔 遙が言ってた、"早くただの人になりたい"と。
私は泳いでいる遙が好きだ。でも例え、今押入れの段ボールに入ってるトロフィーが無くても、私は遙を好きになったと思う。
速いから好きなんじゃない。泳いでいる遙がただ綺麗で。だからまたあんな遙が見れたらって。
こんな我が儘、口が裂けても言えないけれど。
『ただの人になっても、私は遙が好きだよ』
「…聞いてない」
33敗目。
明日にでも、記録更新を真琴に教えてあげよう。