愛証



「今日はありがとな、花子」


もうすぐ日付が変わる時間。
自宅のマンションの下で、ディーノは優しく微笑んだ。
特に日本に用事があったわけではないのに、数時間前にやってきたディーノ。しかも何の連絡もなしに。
彼がこういうことをする時は、これから大きな仕事をしなくちゃいけない時か、仕事で人を傷付けた時だ。


『泊まっていけばいいのに』


そうは言ったものの、ディーノの後ろにはロマーリオさんが運転する黒の外車が止まっていた。


「そうしたいのは山々なんだけどな」

『何かあるの?』

「明日同盟ファミリー主催のパーティーがあるんだ。それまでに溜まってる仕事終わらせねぇと」


ロマーリオがうるさいんだ、とディーノは後ろをチラリと見た。


『頼りにされてるのよ、ボス』

「からかうなよ」


笑いながら言うと少し拗ねた。
絶対に言わないけど、私は彼のこういう子供っぽいところが好きだったりする。


「本当はそのパーティーのパートナーに花子を連れて行きたかったんだけど、」

『…?』

「向こうが変な気遣ってその心配はないっつーから…」


ああ、そういうことか。
つまり明日のパーティーでは、他の女の人と…


『そう、頑張ってね』

「……花子は妬かないんだな」

『もう大人だからね』

「そっか」


でも、あまりに寂しそうに笑うから、


『信頼してるの。それにこんなことで妬いてたら、この先やっていけないわよ』

「……花子」


名前を呼ばれて、首に腕を回される。
自分の方へと引き寄せるやわらかい力。
ハニーブラウンの瞳がすぐそこにあった。
しばらく見つめ合った後、どちらともなく瞳を閉じて唇を重ねる。

今日、初めてのキスだ。

触れるだけのそれ。
唇を離してからも、ディーノは私を抱きしめる。
ふわりと、彼の匂いがした。
香水の香りとかではなく、シャンプーと洗剤。そして部下が吸ってるであろう微かな煙草の匂い。


「連れて帰ったらだめか?」


耳元でした甘えるような声。
私はディーノから離れて、彼の顔を見上げた。


『駄目。仕事があるんでしょ?』

「はは、厳しいな」

「おーいボス、別れが惜しいのは分かるがみんな待ってるぜ」

「わかってるよ!ったく」

『ほら、早く車乗って』


ディーノの身体をくるりと反転させて、背中を押す。


「押すなって。危ないだろ?」

『今は部下がいるから大丈夫よ』


このままだと夜が明けそうだ。
こっちとしては早く仕事もパーティーも済ませて会いに来てほしいのに。
この男は何も分かっていない。


『じゃあね』


やっとのことで車に乗せた。
車の窓を開けて、今度はディーノが私を見上げる。


「花子」

『ん?』

「Ti amo」

『…私も』


そう答えると車内にいた部下の人達が口笛を吹いてはやし立てた。
窓が閉まる。
ディーノのやめろよ!という声が窓越しでも分かった。

エンジンがかかる。前進する車。


──赤いバックライトが夜の闇に消えるのを、私は手を振って見送った。