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キスを、されてしまった。



「ムカつくんスよ」



そう言ったあいつの顔を見て、言い返そうとした言葉が喉につっかえた。



意味分かんない。何であんな顔するの。
おかしいじゃん。どう考えても被害者は私でしょ。
なのに、何で、



そんな悲しそうな顔してんのよ。






『分からない』

「そうよね。火神くんの身体ってどこから鍛えればいいのかしら」

『え?』

「え?」



うーん、と放課後 帰る準備をしていたら、何時の間にかリコが隣にいた。
何か今 全く関係ない言葉が聞こえた気がする。火神くんがなんだって?



「迷うわ〜!火神くんって潜在能力ありすぎて何処から伸ばせばいいのか…」

『さあ…』

「里穂、あんたはもうちょっとマネージャーらしくメンバーのこと考えなさい!」

『…ごめん』



いや分かってはいる。
だけど今はそれどころじゃないんだよリコさん。私 唇奪われたんだよ。好きでもない奴に。
そんでもってあいつ悲しそうな顔しやがったんだよ。失礼すぎないかな?
しかもその後 謝りもしないで何食わぬ顔で黒子くんと喋って普通に帰ってったんだよ。

残された私は感情の振り子が振り切れて逆に冷静だった。少なくともあそこでキレないくらいには。
どうすればいいか分からない。ようやく黒子くんとキスできたと思えばこれだ。
何なの本当。私の頭が悪いから分からないの?馬鹿だからいけないの?



『違うだろ』

「え、ちょっと…大丈夫?」

『大丈夫。……多分』

「勉強のしすぎでおかしくなったの?」



実は彼氏が男に好かれてて、しかもそいつにキスされた…なんて言えるわけないよね。
言ったところで信じてもらえそうにないし。



「里穂さん、帰りましょう」

「うわ!?」

『あ、黒子くん』



何時の間にか教室に入ってきていた黒子くんに、リコが声をあげた。
珍しいな。いつもなら私が黒子くんを迎えに行くことが多いのに。



「あんたは何でそんな普通なの?」

『え?何が?』

「…何でもない。とっとと帰った帰った」



ぐいぐいと背中を押されて教室を追い出された。
そんな何気ない仕草でも、落ち込んでるだけに何だかショックだ。





















「…………」

『…………』



気まずい。いや、気まずいと思ってるのは私だけか。
いつもなら無言で歩くなんて普通だ。私は黒子くんが隣にいるだけで幸せだし、というか、今も幸せといえば幸せなんだけど。
…それもこれも全部あいつのせいだ。



『そ、そういえばさ!黒子くんが教室まで迎えに来てくれるなんて珍しいよね!』



昨日見たドアップの黄瀬を脳内から追い出して、黒子くんを見た。
…うん、やっぱり黒子くんは素敵だ。



「…いけませんでしたか?」

『そんなわけないじゃん!すごく嬉しいよ!』

「なら良かったです。里穂さん、何だか落ち込んでいるように見えたので」

『え?』

「昨日から思っていました。勘違いならすみません」



バレていた。いつも通り振舞っていたつもりだったのに。



『…えっと…』



言ってしまえばいい。
黄瀬は黒子くんが好きなこと。昨日図書館で黄瀬にされたこと。
言ってしまえば、黒子くんは黄瀬とは…



「何があったんですか?」



ボクに言えないことですか?という黒子くんが優しい声が、じわりと心に染み込む。

駄目だ、言えない。もし言ってしまったら、黒子くんはどう思うだろう。
きっと私に幻滅する。私は黒子くん以外とキスしてしまったんだ。
黄瀬も、黒子くんにとっては大切な友達だったはずだ。そんな黒子くんの気持ちを踏みにじるようなことは出来ない。
それに、今ここで言ってしまうのは、何だか黄瀬に悪い気がした。黄瀬を裏切るみたいな、そんな感じがする。
実際は恋敵なんだから裏切りも何もないのに。私はどうしてしまったんだろう。



『…ほ、ほら、もうすぐテストでしょ?なんか憂鬱になっちゃって!部活が始まったら放課後二人きりになれないし!…あ!もちろんバスケしてる黒子くんもかっこいいんだけど!』



ノーブレスで言い切ると、黒子くんが少し微笑んだ。その顔にどきりと胸が高鳴る。
思わず見惚れてしまった。



「里穂さん」



薄い、綺麗な唇が私を呼ぶ。
目が離せない。

…どうしよう、なんか、…
いや、駄目だ。だってここ外だし、住宅街でひと気は無いけど、でも、



『黒子、くん』

「言ってください」



何を、と聞く前に黒子くんの顔が近付いた。近い、近すぎて、

焦れったい、なんて。



『…その、』



どうすればいいか分からなくて、黒子くんの制服の袖を掴んだ。
恥ずかしくて目を伏せる。小さく笑う声が聞こえた。



「…キスして欲しい?」



言い当てられて目を合わせる。
細められたスカイブルーの瞳に捕らわれた。



『……うん』



頷くと優しい大きな手が後頭部に回った。求められるように引き寄せる引力に心臓が破裂しそうだ。

触れるだけのキスの後、微笑む黒子くんに感じた罪悪感を、私は気づかないふりをした。





(初めての、隠し事)


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