小説 | ナノ


▼ 06


『………えっ?』


ダリアはエルヴィンから告げられた言葉に思わず声を漏らした。
彼の執務室に呼ばれ、今後の壁外調査について紅茶を飲みながら話すのはそう珍しくもない。しかし今日は勝手が違うようだ、とダリアはカップをソーサーに戻した。

ある貴族が、ウォールシーナ北区の別荘へ向かうのに同行してほしいと言うのだ。


『貴族の護衛は憲兵の仕事でしょう。私の管轄外だわ』


本来ダリア達 調査兵団の目的は、壁外の調査及び巨人の殲滅である。内地の問題は憲兵や駐屯兵の仕事だ。
それが何故突然 自分が護衛として駆り出されなければならないのか。声を出されずともその考えをエルヴィンは感じとった。


「ああ、勿論"そのこと"を分かってあちらも提案している」

『…まあ、一日や二日なら別に構わないけれど』

「そうもいかないだろうな」


それはつまり。
エルヴィンとダリアは目を合わせる。


『…どうして私なの?』

「先日のパーティで君とよく話していた男がいただろう。バルド=ローベル公爵だ」


ダリアは記憶を巡らせて思い出す。
あの日は貴族と商会の男数人と話したが、顔すら覚えていない。ダリアが覚えていることがあるとすれば、パーティよりもその後のリヴァイの飲み直しに朝まで付き合わされたことくらいだった。もっとも、そちらの方が居心地が良かったのは言うまでもないが。


「彼が是非君に、と。もし要求に答えるならそれ相応の見返りを約束される」

『例えば?』

「君の実力なら憲兵の幹部は間違いないだろう。それなりの地位と金品だ。そして我々も恐らく同様に」


そこまで聞いて、ダリアはソファの背にもたれた。深い息を吐く。


『私がそれに応えると思う?』

「君次第だ」

『憲兵へ行けって?』

「俺はダリアの希望を聞いてるんだが」


ダリアとエルヴィンは気心の知れた仲だ。ダリアはエルヴィンに絶大な信頼を寄せているし、エルヴィンもまた彼女を優れた兵士として信頼している。それは公務を抜きにしても同じだった。
たまに出るエルヴィンの"俺"という一人称がダリアは好きだ。それが何より気を許している証拠だと思う。例え他の言葉に偽りがあろうと、その一人称が本心だと思わせてくれるのだ。


『簡単なことよ、エルヴィン。貴方が必要だと思うなら命令すればいい。それが私の答えだわ』


それが仲間のためならば、ダリアは喜んで憲兵にでもどこにでも行くだろう。それが最善の選択ならば、黙って従うのみ。
エルヴィンは自分がどれだけ信頼を置かれているか自覚している。団長として、その信頼を利用し人類存続に貢献してきた。
そして考える。果たして彼女を引き渡したとして、人類は生き残れるのか?彼女に似合う対価は得られるのか?
答えはすぐに出た。否、考える前から答えは出ている。



「ダリア、君に似合う利益があるならとっくに命じているさ。調査兵団にとって君の戦力は失うにはまだ惜しい」

『なら答えはノーよ』


間髪入れずにダリアが答えた。


『エルヴィンがそう言ってくれる限り、私は壁外へ出るわ。隠居するにはまだ早いの』


偽りの安寧の中で生きるには犠牲が多過ぎた。
ダリアはもう知ってしまった。巨人がどのように人間を食い、内地の人間がどのように過ごしているか。
護るために強くなると決めた。
心臓は遠に彼らに捧げている。


『仲間を裏切ることは私には出来ない』


いつからだろうか。未来のためでなく、過去に縛られて戦うようになったのは。
ダリアと一緒に訓練を受けた内の何人が今生きている?その中でも調査兵は何人生きている?
久しく会っていない彼は?ルームメイトだった彼女は?

全て、記憶だけの存在になった。


『彼らのために生きたいの。そのためなら心臓だってなんだってくれてやる』


例え手足が無くなっても。それが彼らへの報いならば。



『……私を、手の内から捨てないで』


ダリアにとって、それは死ぬことより恐ろしい。戦えなくなることが恐い。
声が震えた。それを悟られないよう、カップを手に取る。


「そんなことするものか。今度こそリヴァイに殺されてしまうよ」


苦笑するエルヴィンにダリアは少し安心した。
数年前ならともかく、今のリヴァイはそんなことをするわけがない。


「ローベルが返事は直接本人から、と言って聞かない。悪いが近いうち時間を開けてくれないか」

『もちろんよ。ローベル公の良い時間に合わせるわ』


紅茶を飲み終えたダリアは席を立つ。
美味しかった、ありがとう。と礼を告げ、ドアに手をかけた。


「ダリア」


エルヴィンに名を呼ばれ手を止める。


「ローベルは貴族院の中でもあまり良い噂は聞かない。君のことだから心配はないと思うが…」

『任せてエルヴィン。こういうのは得意なの。知ってるでしょう』

「…ああ、十分 注意してくれ」


ダリアは頷き、静かにドアを閉めた。




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