小説 | ナノ


▼ 11



「とうとうだね、ダリア」


ハンジは馬に跨がり、隣にいる訓練兵時代からの友人に言った。
ダリアは返事をした後、真っ直ぐと前を見る。
女神の刻印が彫られた壁はもう目の前だ。


「君とこうして此処にいること、とても嬉しく思うよ」

『ハンジ、そういうのやめてって言ってるでしょ?』


睨むダリアにハンジは笑った。

仕方ないじゃないか。本心なんだ。
優秀者上位が発表された日。君はある疑問を私にぶつけた。
その時 私はそんな疑問を持つのは君くらいだと言った。だが、あれは嘘だ。
本当は心の中で誰もが気付いていることだった。でも特に不満がない平和ボケした連中にはそんなことどうでもいいことだ。
否、不満があったとしても自分可愛さに中々言えないのさ。王政を敵に回すようなことは誰もしたくないからね。

けれどダリア、君は他の奴とは違ったんだ。それだけでも出会った価値がある。限られた壁内であったとしてもね。


「もうすぐ開門する!準備をしろ!」


どこからともなく、そんな声が聞こえた。
周りの兵士達は気を引き締め、前だけを見つめる。


『ハンジ?』

「…何だい?」

『手綱が震えてるわ』


そう言われて気付く。ハンジは固く握っていた手綱を一度離した。
覚悟はしていた。調査兵団へ入団すると決めた時から。
巨人に立ち向かうことを自ら選んだ。巨人がどこから来て、何のために存在するのか、それを確かめるために。


『…ハンジ、私の父が調査兵団だったのは覚えてる?』

「ああ、もちろん」


目線は他の兵士と同じく、前を見つめているダリア。
彼女が調査兵団へ入団すりきっかけを作った人だ、とハンジは認識していた。
訓練兵だった彼女が、亡き父から手紙がきた と珍しく年相応にはしゃいでいたのを思い出す。


『父が死んだのは私が物心ついてすぐなの。だから顔は知らない』

「…顔''は''?」


一拍置いて、ダリアは続けた。


『私が覚えている唯一の父の姿は、腕一本だったわ』

「…………」


ハンジは顔を引きつらせた。
この状況でなければ同情したかもしれない。しかし、今まさに彼女の父を殺した相手と戦おうとしている時に言われては、反応に困る。
ダリアって実はサドなのかな?とハンジはあらぬことを考えた。


『母は暫らく部屋に篭りっきりだった。その間は祖母が私の世話をしてくれたの』

「…えーっと、ごめん、何で今その話?」

『だからね ハンジ、もし私が巨人に食われるようなことがあったら、』


例え 指一本でも持ち帰らないで。


その言葉は、ハンジの耳に確かに届いた。
理由は聞かなくても理解ができた。聞き返すことはしない。
ハンジは手綱を握る。


「私も一つお願いしていいかい?」

『ええ』

「もし私が巨人に食われたら、指一本くらいは持ち帰って弔ってほしい」

『もちろんよ』


ダリアの返事とほぼ同時、大きな鐘の音がした。
ついにきた。ハンジの身体が震える。さっきの震えとは別の、武者震い。
馬が走り出す寸前、もう一度ダリアを見た。彼女も同じようにこちらを見、口を開く。



『ハンジ、私は─────』


続く言葉は、馬の足音で消えた。




















「え?訓練兵時代のダリア?」


ハンジは用意された焼き菓子を口に入れながら、ペトラの質問を聞き返す。
ここはダリアの自室だ。彼女はこうして定期的に仲の良い女子を部屋へ招く。
肝心の彼女自身は急遽エルヴィンに呼び出されたらしく。
先に始めておいてね、という言葉に甘えて茶会をしながらダリアの帰りを待っていた。


「別に普通だったよ。今とあまり変わらない」

「へぇ、そうなんですか…」

「むしろ模範的な訓練兵だったと言える」

「ダリア分隊長はどうして調査兵団に入団したんでしょうか?」


静かに紅茶を飲んでいたニファもペトラの疑問に乗っかる。
兵団の中にはリヴァイ同様、ダリアに憧れる者も少なくない。実力も去る事ながら、彼女の持って生まれた優しさや誠実さは兵士の中では群を抜いている。
彼女達も恐らくその中の一人だ。
だから興味があるのだろう。ダリアがどのようにして今のダリアになったのか…

ハンジは紅茶に出来るだけ砂糖を淹れながら告げた。


「父親が調査兵団だったのさ。彼女が幼少の頃に亡くなった」

「じゃあその復讐のために?」

「…それはどうかな」


ペトラとニファは首を傾げる。
結局のところ、長い付き合いであるハンジでさえもダリアの心の内は分からないのだ。
けれど入団の決断を控えたダリアに届いた、父親からの手紙。それが大きな影響を与えたのは確かだった。
……ああ、そういえば、優等生の彼女が一度だけ教官に叱られていたことがあったっけ。
あれは入団を決める前日だった。


「私が訓練兵の時、宿舎裏で小火(ぼや)があったんだ」

「…小火、ですか?」

「まあ、宿舎の壁が少し焦げた程度さ」





ハンジが気付いた頃には、その場所には既に人集りが出来ていた。その人集りを分け入ると、教官がダリアに向かって怒鳴っていたのだ。
それだけでも信じられない光景だったのに、なんとダリアが小火を起こしたという。
そんなまさか。彼女は規律を乱すような人間では無かったはずだ。
そう思ったが、ダリアは教官の言葉を黙って受け止めていた。教官が理由を聞いてもただ『すいません』と言うだけだった。


「事によっては、お前の成績順位を繰り下げるぞ」


教官の発言に周りはざわつく。彼女が繰り下がれば、新たに10番以内に入る人間が出てくる。
しかし、本当にハンジの度肝を抜くのはその次のダリアの発言だった。


『構いません。私には必要のない順位です』


それはつまり、彼女は憲兵には入団しないことを表していた。これだけは教官も予想外だったようだ。
あの時の教官の顔を思い出すと今でも噴き出しそうになる。



結局 大事にならなかったことと、普段のダリアの生活態度が功をなし、お咎め無しとなった。
だがハンジは負に落ちなかったのだ。
何故ダリアがそんなことを?ただ彼女が単に目立ちたいだけの愉快犯になるわけがない。
ハンジは一番初めにダリアを発見した者に詳しく話を聞いた。


「あいつが炎に向かって敬礼してたんだ。何かを燃やしてたみたいだったけど」


彼は朝早く、顔を洗いに外の井戸へ向かう途中 それを目撃したという。宿舎に燃え移ると危ないと何回か声をかけたが、聞こえてないような素振りだったと。
その話を聞いたところで彼女への謎は深まるばかりだった。





しかし、今なら理解できる。
あれはあの頃の彼女が出来る限りの背反だったのだ。
見えない何かに彼女は抗っていた。それは分隊長になった今でも変わっていないように思う。
ただひたすらに、あの初陣の時のように真っ直ぐ前を見ている。その先にあるものが何か…やはりハンジにはわからないのだが。


「信じられない。ダリア分隊長が小火を起こしたなんて」

「ダリア分隊長のそういうところ、見たことないよね」

「そういうところ?」

「弱っているところというか…」


確かにダリアはいつでも気丈に振舞っている。部下の前でも、同期であるハンジの前でもそうだ。
落ち込んでいるところはあまり見たことが無いし、泣いてるところなんて、きっと一度もない。

でも、彼の前ではどうだろう。
ハンジの脳裏に人類最強の男が浮かぶ。


「……案外、特別な人間にしか見せない顔があるかもね」

「え!?ダリア分隊長にそんな人が!?」

「まさか兵長!?兵長なんですか!ハンジ分隊長!」


あ、まずった。これはダリアに怒られるかも。
そんな不安は届くはずもなく。
ハンジはダリアが戻るまで、詰め寄る二人に為す術がなかった。




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