▼ 09
エレンは一度頭の中を整理した。
考えろ。何故こんな状況になってしまったのか。
場所は特別班本拠地、中庭。
目の前には心配そうに自分を見るダリア。その少し離れた所には人類最強のリヴァイがものすごい眼光でこちらを睨んでいた。
『エレン、大丈夫?怪我は?』
「いえ、大丈夫です…」
数十分前、屋外で鍛錬していたエレンの元にやってきたのはエルヴィンから言伝を頼まれたダリアだった。
用事を済ませ、リヴァイと一緒に古城から出て来た彼女はしばらくエレンの様子を見ていた。
何だか集中出来ないな…とエレンが思っていた矢先、ダリアが『私が相手になろうか?』と名乗り出たのだ。
「言伝はどうした」
『急ぎの用じゃないんだし構わないわよ』
「で、でも…もし怪我させたりしたら俺…」
『心配してくれてるの?』
ダリアは笑みを浮かべてエレンに近付いた。
リヴァイの隣にいる時は気にならなかったが、もちろん自分よりは小さな身体だ。
『さすがに巨人役をやるわけにはいかないから……対人格闘訓練、やったことあるでしょ?』
「…まあ」
『大丈夫。もし怪我しても捻挫程度よ。手当ては任せて』
もしかして、俺が負ける前提なのか?
エレンはダリアの余裕に眉を寄せる。
立体起動装置を使っての勝負なら負けるが、腕力では負ける気はしなかった。それがいくら歴戦を戦いぬいた分隊長であっても、自分より小柄な女が相手である。
それにダリアはミカサのように筋肉があるように見えない。どちらかと言えば細身だ。
エレンはリヴァイを見た。
勝手にしろ、とでも言いたげな目だ。
「本当に…怪我をしても知りませんよ」
『ふふ、言うじゃない。じゃあそっちが先攻で』
エレンは脚を踏み込み、ダリアに向かって真っ直ぐに駆けた。
『あんなに綺麗にぶっ飛ぶと思わなかったわ』
そして冒頭に至る。
エレン自身も驚いた。気付いた時には既に身体が宙に浮いていたのだ。
『ごめんね。ギリギリで止めようと思ってたんだけど…思いの外近くに来たものだから…』
「ははは…、っ!」
苦笑いすれば腹に激痛が走る。
ダリアの回し蹴りが完璧に決まった証。
「みっともねえ。なあ、エレンよ」
『リヴァイは黙ってて』
「………」
瞬殺だった。
エレンにとっては何よりそれがショックだ。曲がりなりにも訓練兵時代、5位の実力があるというのに。
しかも対人格闘は得意な方だと自負している。
それなのに。
『対人格闘は苦手な人がいてもおかしくないのよ。元ゴロツキさんは十八番でしょうけど』
「こいつの場合、巨人相手でも変わらんだろう」
「…俺、こう見えて訓練は5位で卒業しました…」
『あら、私も5位だったわ。一緒ね』
それなのに。
実践を積んできた兵士との差は、こうも。
「俺、こんなで大丈夫なんですか?」
『え?』
「いくら巨人化の力があっても…生身がこれじゃ…」
「壁外に出れば即死だろうな」
『…リヴァイ』
「だが覚えておけ エレン。人類の希望とやらはお前の泥臭ぇ背中にかかってるらしい。お前にしか出来ないことがあるからだ。
お前が弱けりゃ、犠牲は増える。目の前にいるそいつも死ぬぞ。お前が弱いせいでな」
エレンは はっとしてダリアを見る。
いつしか、彼女が言っていた。「貴方のためなら命を捧げる」と。
『ちょっとリヴァイ、勝手に殺さないでよ。彼を護って、私も生きてみせるわ』
「お前はそんな器用じゃねぇだろうが」
『…失礼ね。ねぇエレン?』
話を振られたエレンは「あ、いや、その…」と歯切れの悪い反応しか出来なかった。
それよりも今は激しい自己嫌悪で頭がいっぱいだった。
「こんなところで弱気になられちゃ話にならねぇんだよ。大体生身のお前にそこまで期待はしてねぇ。思い上がるな ガキが」
リヴァイの言い分はもっともだと、エレンは「すいません」と声を振り絞り答えた。
今はそれだけで精一杯だ。情けない。
なんて情けないんだ、俺は。
『あー、つまりリヴァイは、気負いせず鍛錬に励めって言いたいの。ねぇリヴァイ?』
「ダリア、お前は甘やかすなと何度言えば分かる」
『フォローって言ってくれる?』
「…ありがとうございます、ダリアさん」
正直かなりの意訳のように感じたが、それでも今のエレンにとっては救いだった。
『それに私だって対人格闘を本格的に学んだのは入団してからなの』
「え?」
調査兵団に入団してから?
憲兵ならともかく、巨人相手に戦う調査兵団に入団して、何故 対人格闘を?
エレンの疑問を感じとったようで、ダリアは彼の頭を撫でて言った。
『この先、巨人だけが相手とは限らないのよ』
「ダリア」
『分かってる。そろそろ行かなきゃ』
ダリアはもう一度エレンを謝ってから、馬小屋へ向かった。
残されたエレンはリヴァイに目を向ける。
「今のはどういう…」
「さあな」
「ダリアさんって、何で憲兵に志願しなかったんでしょうか?」
「…知るか。気になるなら自分で聞け」
精々 蹴られねぇように気をつけるんだな。
リヴァイの言葉に、エレンはただただ肩を落とした。