小説 | ナノ


▼ 08




部屋を出ようとした瞬間、無理矢理 唇を奪われた。
咄嗟に手が出そうになったが、相手は権力を持つ貴族院。何とか抑え、抵抗する。


『…っ』


ローベルはダリアが着ていたブラウスを乱暴に引っ張った。ブチブチ、とボタンが数個飛び散る。


『や、やめてください!』


彼の両肩を押し、距離をとる。
はだけた胸元と息を整え、ダリアはローベルを見た。


『…いきなり何を…』

「のこのこ部屋へ一人でやってきて、何もせず帰るつもりか?」


その意味を、ダリアは十分理解していた。だがそうなったとしても何の訓練も受けていない中肉中背の貴族一人、どうとでもなる。
しかしそれは最悪の場合の強行手段だ。


『…ローベル公、私には荷が重過ぎます。私は既に兵団に身を捧げた。貴方に与えるものなど残っていません』

「私の権威を忘れたのか?大した成果も上げていない調査兵ごときが、この私に楯突くとは」


ローベルの言い様にぴくりと眉が動いたのが自分でも分かった。
…落ち着け。冷静に対処すれば逃げ切れる。
そう言い聞かせ、静かに息を吐いた。


『確かに目に見える成果を上げているわけではありません。ですが、今我々がしていることは必ず人類のためになります』

「人類のためだと?いつ壁内の人間が貴様らを求めた?税金を貪り、無駄死にをしているだけだろう!」

『…仲間の死は、決して無駄ではありません!』

「黙れ!!貴様らの自己満足で何人死のうが知ったことではないわ!」


部屋に響く声。ローベルから初めの落ち着いた雰囲気は消えていた。
ダリアが折れないことで相当イラついているらしい。ダリアはダリアで彼の言い分に怒りが湧き上がる。今 彼女の感情を塞き止めているのはローベルの''貴族院''という肩書きだけだ。


「いずれ巨人の腹に収まる命だ!ならばせめて私のためにその身体を使え!」

『ローベル公、いい加減にしてください!』

「ふん、貴様らより巨人の方が余程人類のためになってるんじゃないか?調査兵が巨人に食われれば、その分金が浮く。人件費削減だ」


その言葉を咀嚼するのには時間がかかった。
数秒、固まったダリアを見て抵抗をやめたと感じたローベルは乱暴に彼女の腕を掴む。


瞬間。

ダリアは反射的に腕を捻り、ローベルの足に自分のそれを掛ける。支えを失い、一瞬宙を浮いたローベルの身体はそのまま床へと叩きつけられた。
やってしまった、とも思わなかった。感情は確かに怒りを含んでいるのに、頭に血が上ったわけではない。


『…命を背負っていない身体は、こんなにも軽いのね』


自分でも驚くほど冷静にローベルを見下ろしていた。


『私達は家畜同然に暮らしてきた。何百年も…巨人によって壁の中に閉じ込められていたわ』


それは貴方達も同じでしょう、と唖然とするローベルの胸ぐらを掴む。
彼らは知らない。壁の外は広大だ。
壁内とは比べものにならない自由がそこにはある。
私達は知っている。否、知ってしまった。そして、その広大な自由を手に入れたいと願ってしまった。


『私はそれを手に入れるためになら何でもするわ。食われた仲間の意志は無駄にはしない。
もしこれが自由のためだと言うのなら、貴方も覚悟するのね。骨の髄まで、人類に捧げることになる。自由を手にするその日まで、私は貴方を離しやしないわ』


そうでなければ、私が貴方のような人間のためにすることなんて、何一つ無いのよ。


そう告げ、ダリアはローベルから手を離した。



















月が高く出た夜だった。
ベランダへ出、酒の入ったグラスを傾けるローベルは先程調査兵団から届いた手紙を読み口角を上げた。


「馬鹿な女だ。私に逆らうからこうなる」

「…いいご身分だな、貴族院というのは」

「!」


声がした方へ振り向こうとしたローベルだったが、長い刃に遮られ叶わなかった。
首元に光るそれは兵士か持ち得ないものだ。


「だ、誰だ!?」

「てめぇに名乗るよう名前は無ぇな」

「憲兵!憲兵はどうした!」

「俺はあの腑抜け共がまともに働いているところを見たことがないが…俺の相手になると思うなら呼べ」

「…………」

「正しい判断だ。思ったより馬鹿ではないらしい」


手元から落ちた手紙を踏み破る足を見、ローベルは恐る恐る口を開いた。


「…調査兵団か…貴様…何をしているのか分かっているんだろうな…!」

「ああ、分かってる。馬鹿がしたクソの処理だ」


当事者に言えば「そんな言い方はやめてよ」と怒るだろう。
だが、これが自分の性分であることは彼女も知っているはずだ。今夜こうなることも、恐らく彼女が危惧していたこと。


「うちの奴が世話になったな」

「ダリア=クラウスのことか?世話という程のことではない。飼い犬の甘噛みだ」

「…ほう」

「っ!」


月に雲がかかった。
刃をしまわれるとローベルは背後にいた人物と向かい合う。しかし、フードを被っている上 暗闇のせいで背丈しかわからない。


「教えてくれ。人類に心臓を捧げた俺の仲間は無駄死にか?」


一歩ずつ、影が近付く。それに合わせローベルも後ずさった。


「何、俺も兵団の崇高な理念なんざくだらねぇと思ってるクチだ。責めたりはしない。
今更 無駄死と言われようが、俺は気にしねぇよ。肥え太った豚がどう鳴こうが知ったことじゃねぇ」


人類に心臓を捧げよ、と皆が言う。
敬礼は、兵士なら躊躇なくする意思表示。
しかし本当に人類のために戦っているのは何人だろうか。少なくとも自分は、そんな大それたもののために戦っているわけではない。


「相手が悪かったな。あいつはお前の言う''無駄死にした奴ら''のために命賭けてるような女だ」


いつだったか、エルヴィンや自分のためなら死んでもいい、と彼女が言った。だがそれに限ったことではない。
何度咎めても、彼女の重きは他人だ。己のためでなく他人のために生き、戦い、そして恐らく死ぬでだろう。


「女を抱きたいなら他を当たれ。起訴も取り下げろ。巨人の餌になりたくなけりゃな」


男が返事を待つまでもなく、ローベルが口角を上げた。


「貴様らごときに、私が屈するとでも?見ていろ!貴様らは近いうちに壁外へ出れなくなる!私を馬鹿にした報いだ!」

「そうか。だったらお前が人類最後の巨人の餌だ」


ヒュッ

言うが早いか、男は剣をローベルの首元へ向ける。


「俺は今からお前を気絶させる。それから立体起動で壁外へ運んで終わりだ。ものの2分で終わる」

「っ、やってみるがいい!これを報告すれば他の貴族院が黙っちゃいないぞ!」

「…? おかしな事を言う奴だな」


月にかかった雲が流れる。
影になっていた男の姿が月明かりに照らされた。


「死人がどうして口を聞く?」


風でフードがなびく。
その隙間から覗く鋭い眼光は、見覚えがあった。
彼は間違いなく、人類最強とまで言われた逸材。


「貴様……リヴァイ!!」

「もう一度言う。起訴を取り下げろ。でなければ明日は壁の外だ」


それだけ言うと、リヴァイは去っていく。
ローベルはそのまま崩れ、ただただ床を見つめた。









翌日、起訴取り下げの旨を伝える令状が調査兵団宛に届いた。
エルヴィンはそれを見るなり、微かな笑みを浮かべてゴミ箱へ投げ入れたのだった。



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