▼ 07
「先日のドレスアップも良かったが、そちらも凛として美しい」
部屋へ入るなりそう告げた貴族を、ダリアが思い出すことはなかった。
パーティで会ったとは聞いていたがここまで思い出せないとは。
ダリアは心の中でため息をつき、笑顔で礼を言った。
バルド=ローベル公爵。ウォール教と繋がりのある貴族院だ。
商会との仲も深く、貴重な物資を秘密裏に取り引きしているとも聞く。
貴族院は調査兵団廃止を推進している者も多い。あまり刺激せず上手く動かなければならない。
『…早速、本題なのですが…』
ダリアは普段より柔らかい声で断る旨を伝えた。そして今回のことはとても光栄なことだとも付け加える。
話終えたダリアはローベルの返事を待った。暫らくの沈黙の後、彼が口を開く。
「…そうか。それなら仕方が無い」
拍子抜けだった。誠意を込め話した気ではいたが、とても納得してもらえると思っていなかったからだ。
もしかすると、自分以外にも目ぼしい人物がいるのかもしれない。だとしたらこちらも気が楽だ。
ダリアはぬるくなった紅茶を一口飲み、他愛ない会話をして席を立つ。
『本当にありがとうございました。紅茶、とても美味しかった』
「もう行ってしまうのかね。壁外へ出るのは当分先だと聞いていたが」
『壁外調査以外にも仕事はあるんですよ』
「これは失礼した」
ドアに手を掛ける。背後でローベルの気配がしたが、気にせずドアノブを捻った。
「ダリア分隊長」
『──?』
振り返るのとほぼ同時。
ローベルはダリアの肩に手をかけた。
*
分隊長であるダリアが貴族から起訴された───。
そのことが調査兵団内に広まったのはそれからわずか二日後。
証人として呼ばれた団長であるエルヴィンは、令状を受け取ると、ダリアと責任者兼証人であるリヴァイを部屋へ呼んだ。
「あちらの言い分としてはこうだ。''鼓舞しようと肩に触れたら蹴飛ばされ、更に屈辱的な暴言を吐かれた''と」
リヴァイは壁にもたれ、エルヴィンから状況を黙って聞く。
貴族がダリアを引き抜こうとしているという話を知った時から、こうなる予感はしていた。
貴族が都合の悪い人間を排除しようとする…何ら不思議ではない。いつものことだ。
…ただ、今回はその標的がダリアだということがリヴァイの中に静かな怒りを生んでいた。
「ローベルの言い分に間違いは無いか?」
『…ええ。ごめんなさい。私 こんなつもりじゃ「エルヴィン」
リヴァイが彼女の言葉を遮り、続けた。
「そんな聞き方でこの馬鹿が口を割ると思うか?」
「…そうだな…悪かった。
ダリア、俺は君ほど立場を弁えている人間が貴族院に何の理由も無しに手を出すと思えない」
『………』
「審議所では質疑応答がある。そこでローベルを黙らせるには我々が事実を知ることは必須だ」
「犯されでもしたか?」
「…リヴァイ」
エルヴィンは言葉を選ばないリヴァイを黙らせ、ダリアを見た。
ダリアは首を横に振る。
『そうなる前に抵抗したわ。少しやり過ぎてしまったけれど』
「暴言というのは?」
『あちらが私を馬鹿にするような発言をしてきたから言い返したの…ごめんなさい、私も冷静じゃなかったわ』
「…ローベルは膝をついて謝れば訴えを取り下げると言っている」
ダリアが手を出すなど、よっぽどのことを言われたのだとエルヴィンは思った。
貴族院からの風当たりが強いのは前々からのことではあるが、それでも彼女の怒りの琴線に触れてはいなかった。しかし今回は違う。
「だがこちらとて為す術がないわけじゃない…ローベルの違法な物資の横流しを利用すれば…」
『駄目。こんなくだらないことに皆を付き合わせられない』
ぐ、と拳を握った微かな彼女の動きをリヴァイは見逃さなかった。
『大丈夫。謝れば取り下げてくれるんでしょう?ならそうするわ。怪我をさせたのは私が悪いもの』
笑って言うと、エルヴィンはそれ以上話すことは無かった。
ダリアとリヴァイは部屋を出ると、自室へ向かう廊下を歩いた。
しばらく無言だったが、ダリアは少し気まずさを覚え口を開いた。
『リヴァイ、面倒なことに巻き込んじゃってごめんなさい』
「謝るなら次からはもっと上手くやるんだな。喋れねぇように喉を狙え」
『死んじゃうわよ』
笑うダリア。リヴァイは足を止める。
不思議に思ったダリアが同じように止まり振り返った。
「何があった」
『…エルヴィンの部屋で話したでしょ?』
「お前が言いたくなきゃ言わなくていい。ローベルとか言う豚野郎に直接聞くだけだ」
『待って!』
その場を去ろうとしたリヴァイの腕を掴む。
彼なら本当にしかねない。大事になってしまったら調査兵団の皆に更に迷惑がかかる。
『どうしてそんなに気にするのよ。私が謝ればそれでいいじゃない』
「てめぇがそうやって意地になって言わねぇからだ」
『意地になんて…』
「ダリア」
新兵なら震え上がるだろう目付きでこちらを睨むリヴァイ。無言の圧力を感じる。
相当怒っているようだ。でも誰に?私に?それとも───
「お前が内地のクズ共に土下座しようが犯されようが勝手だ。止めやしねぇ。が、周りには何と説明する。起訴されてることは既に兵団内に知れてる。そいつらに自分はクズ以下だと言うのか?」
『それは…』
「お前を慕ってる部下はそりゃあショックだろうよ。巨人を何匹も削いできた奴が、貴族一人にこの様だ」
言い返せない。しかし、ならばどうしろと言うのか。
分隊長と言っても、できることは限られている。調査兵団を護るために、自分の尻拭いは自分でしなければ…
「周りには黙っててやる。俺はお前がそこまで人間出来ちゃいないのを知ってるからな」
『………』
「簡単な話だろう。クズに土下座するか、俺に茶を出すか…どちらがマシかだ」
リヴァイは言い出したらよっぽどのことがない限り折れない。
ダリアは分からないように息を吐き、彼を自分の部屋へと誘った。