「何をしても楽しくないんですよ」

真っ直ぐ前を、遠くを見つめながら言うコトバ。吐き出されるコトバ。その瞳には何が映っているのか、僕には図り知れないけれど。

「楽しくないんですか」

その先を促したくてそう言った。彼は何を言わんとしているのか、今の言葉だけでは僕には分からないから。

「何をしてても、見てても、嫌な気分になるんですよ」

促してみたけどそれでもよく分からなかった。

「今まで楽しいと思っていた事でも、馬鹿馬鹿しく思えてしまったり。くだらないと思ってしまったり。色んなものを、事を、言葉を、否定してしまう」

否定。彼はそんなに否定的な人だったろうか。そうではなかったと僕は記憶している筈なのだけど。僕の思い違いだったのだろうか。

「少し前まではこんな、こんなんじゃなかったと思うんだけどなあ」

やっぱり彼は否定的な人ではなかったらしい。それではどうしたというのか。あ、それが分からないから彼は困っているのか。

「最近の俺って大人気ないよね」
「そうですか」
「そんな気がする」

何が変わったんだろう。そう呟いて、彼は遠くを見つめていた視線を落としてしまった。

「大人気ないって言っても、大人じゃないですよね」

彼は僕を見る。何言ってるんだ、なんて言われそうな目線が少し責められているようで居心地が悪い。

「まあ、そうなんだけどさ」

僕が予想していたような事は言われず安心した。そのまま彼はまた下を向いてしまったけれど。

「何でも受け入れる自信、あったんだけどなあ。先入観持たずにいられる自信、あったんだけど。自分で思ってるより何でも消化出来てないんだろうな。俺も子どもって事か、年齢とかじゃなくてさ」
「やっぱり、大人っぽいですよね」
「なにそれ、どっちだよ」

彼はそう言って、それはもう大人っぽく笑った。擬音語を当て嵌めるならば、くすくす、といった感じで。

「楽しすぎると、その後ってつまらない日々が続くみたいなそんな事かなあ」
「楽しい事あったんですか」
「あったよあった。楽しすぎたね。それじゃあ楽しい事がなければいつも楽しいのかってそう言われると違うんだろうけどな」
「難しいですよ」
「本当、俺も頭痛くなりそう」

彼はまた笑って今度は上を、空を見上げた。風に靡く前髪を邪魔そうに手で抑えてみたりだとか、一々仕草が様になる人だ。実に羨ましい。

「ずっと馬鹿やって遊んでたいよね。そういう訳にいかなくて面倒なんだよ」
「僕たちも大人になっていくんですもんね」
「貴方はもう大人だろうに」
「それは、まあ」

ふふ、と目を細めて笑う彼がとても眩しい。僕なんかよりよっぽど大人に見える。

「でも、もう大人とか子どもとか置いといてさ。なんていうか、忙しくしてたいなあ。それこそ余計な事考える暇なんてないくらい忙しくしてればさ」
「そうですね、それはいいな」
「実際そうなったら暇が欲しくてしょうがなくなるんだぜ」

今度は、なんというか歳相応の笑顔だった。悪戯っ子のような笑い方だった。

「自分じゃどうにも出来ないとか、言いたくないよ。言いたくないけど、どうにもならない事ってあってさ、その度に自己嫌悪したりなんかして。キリないのにさ」

眼前に広がるなんというか、広大な夕日に目を細めながら彼は紡ぐ。眩しすぎて、彼がそんな表情でそれを言っているのかは最早分からなかった。

「だから俺はこんな所に居るんだよな」

彼はそう言って立ち上がり、足場ギリギリに踏み出す。そして、




そのまま黒い海に飛び込んだのだった。




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