「おい」
彼の聞きなれたテノールが鼓膜に響く。僕はその声にゆっくりと振り向いて口元にはいつもの笑みをしっかりと貼り付けた。
「どうしたの?」
彼は僕を思いっきり睨みつけながら歩み寄って来る。彼の表情を伺えばとてつもなくイライラとしたような表情。この人間の取る判断、反応、対応、感情の移ろい。それは人間個人、それぞれで異なっている。その事実がどうしようもなく愛おしいんだ。
「・・・頼まれた資料」
彼はぶっきらぼうに書類を差し出して来る。その表情にはありありと嫌悪感が浮かんでいた。その表情に対して僕はどうしようもなくにやにやとした、正に下卑た表情に貼り替えて彼を見やる。彼はその僕の表情を見ると更に眉間に皺を寄せた。
「ありがとう。君が揃えてくれる資料は一番出来がいいんだよね、いつも感謝してるよ」
「さっさと他をあたってくれ」
「とか言いつついつも僕の仕事受けてくれるんだよねえ君は」
そう言ってやれば最後の一睨みとばかりにキッと僕を見据えサッと身を翻した。「ねえ」と呼んでやっても反応なし。ちょっとからかい過ぎたかな、なんて思いながら僕は椅子から立ち上がり部屋を出ようとする彼の手首を掴む。
「・・・離せ」
「嫌だね。もっと嫌がって、拒否して。それでいて僕から離れられないままで居て」
「、てっめ・・・」
僕から必死に逃れようと、顔を背けようとする彼を無理やり僕の腕の中に閉じ込めてみる。何というか、逃げたいのか逃げたくないのか。そんな反応じゃもっとして欲しいのかと思うじゃない、ってレベルの抵抗。これだから、人間は。人間は?
君は。
彼に見えないよう肩口に顔を埋めてにやり。
「好きだよ」
ああ、そんな表情。僕以外には見せないでよね。