「きす」

「そうだ」

「釣れたの?」

「そっちじゃねーよ!!」


束の間の穏やかな航海中。する事と言えば食材調達の釣りをするか暇を持て余すくらいしかない訳で、そうなるとどうしたって男だらけのこの船じゃあ猥談になるのが常であった。


「はいはいわかったよ。シャチでもキスしたことあるんだね」

「おめえバカにしてんだろ。俺だってキスのひとつやふたつあるわ!」

「まあ商売女だけどな」

「おいペンギン!バラすんじゃねえよ!」

「おっアジ釣れましたよ!晩ご飯!!」

「興味ナシか!!」


ピチピチと跳ねるアジの口から針を外しバケツに放ると元気に泳ぎだす。イキがいいな。叩きにしても美味しそうだなんて考えているとシャチが吠えていた。そのとおりシャチのキス事情など全くもって興味がない。キスは天ぷらがいいよね。


「キスなら天ぷらですね〜」

「だからそっちじゃねーつってんだろ!」

「もー、シャチは暇になるとすぐそういう話するんだから。思春期か!」

「うるせー!思春期みたいなもんだよ!」

「ペンギンさんを見習って!」

「え?俺も大好きだけど、猥談」

「あーあー聞こえない聞こえない」

「お前ペンギンに夢見すぎだぞ」

「うるせえ!ペンギンさんは硬派なの!虚構の世界で生きるの私は!!」

「虚構って認めてるじゃねえか」

「で、名前はしたことあるのか?」

「すげーさらっと聞いたなペンギン」

「え、いやそれは」

「…その顔はもしやしたことねえな?」

「いやいやいや…私だってね、一応二十代ですから?そんなことの一つや二つね、あってもおかしくなかったと思いますよ」

「曖昧だな」

「…いやほら、正直な話私超絶貧乏生活だったのでそういう好いた惚れたとかいうフラグ自体縁なかったんで」

「え、急に話重っ」

「俺もしかして地雷踏んだ?」

「もー!!いいじゃないですか!!清らかなんです!!私は!!ほっとけ!!」

「大声で言うことじゃねえから」

「シャチみたいに尻軽じゃないんだよ私は!」

「うるせー!」

ギャーギャーと言い合いをしているとカツカツとブーツが甲板を歩く音が聞こえる。足音で大体誰が来たかわかるため、あ、これうるさいって言われるなと次に起こる出来事が察知できた。


「たまには静かに出来ねえのか」

「サーセン。だってシャチがセクハラしてくるから」

「俺じゃなくね!?ペンギンじゃん!てかセクハラってなに?」

「俺は別に話振っただけだしー」

「なんなんだ一体」

「船長には毛頭関係ない話ですよ。相手にも困ってないだろうし」

「…なんなんだ」


怪訝そうな顔をしている船長。あーあイケメンはどんな表情したってイケメンだよ。どこの島でも口説かれてるからなこの人。引く手数多、キスする相手なんていちいち覚えてないだろう。


「シャチがキスしたことあんのかよお前ーっていう中学生みたいなこと聞いて回ってたんですよ」

「チュウガク…?とりあえずくだらねー話には違いねえな」

「ですです」

「だって気になるじゃないすか!こんなちんちくりんでも経験あるもんなのか!」

「ちょっと!ちんちくりんで何が悪いのさ!」

「ちんちくりんなのは否定しないんだな」

「…で?結局あんのかよ」

「なに興味示してんすか船長らしくない」

「たまにはノッてやってもいいかと思ってな」

「それでこそキャプテン!」

「なんなんですか!二度も言わないですよ!」

「要するに未経験らしい」

「ペンギンさんどストレート!!」

「へえ」


船長のニヤリと笑った顔が完全に悪人でしかなく(いや海賊な時点で悪人なんだけども)私はギクリと固まってしまった。ななななんだあの顔…!完全になにか企んでる…!!


「な、なんか危ない予感がする…!シャチどうしてくれんの!?」

「いや俺だってこんなキャプテンがノッてくると思ってなかったし」

「わわわわ私倉庫の整理しなきゃだった!!それではっ!!」

「…なあペンギンあいつああやって一人になるのが一番危険だって全然わかってねえよな」

「そういうところがあいつの面白いところだろ」


シャチとペンギンさんのそんな呟きなど露知らず、なんとかあの変な空気の甲板から逃れ備品倉庫に閉じこもるとどっと疲れが押し寄せてきた。船長来た途端なんだよあの空気!なんか貞操の危機を感じた気がする!!


「…まあ私の貞操なんぞ船長は興味ある訳ないか!がはは!!」

「でっけー独り言だな」

「ううえええええい!?」


手に握っていた芽の出たジャガイモは驚きのあまり放物線を描いて船長の元に飛んでいった。パシッと小気味のいい音がして手に収まるジャガイモ。ああ、まるで私の心臓のようだ。


「か、かぎ、」

「俺に鍵なんて通用するか」

「…ソーデシタ」


ジャガイモをポイっと捨てるとこちらに歩み寄ってくる船長はなんとも楽しそうな悪どい笑みを称えている。なんなの!なにがそんな楽しいのさ!


「ななななんなんすか!船長なんか変ですよ!」

「そうか?至って普通だが」

「普通じゃない!普通の船長はそんな楽しそうじゃない!!」

「お前の中の俺はどんだけ辛気臭えんだ」


辛気臭いってそんな!!…思ってるけど!!
抵抗も虚しく壁に追い詰められ、所謂壁ドンという状況に陥ってしまった。なにこれ怖すぎでしょ!私の頭何個分か上から見下ろしてくる船長。い、イケメンが降ってくる…!


「ちょ、顔近っ!まじで冗談キツイっすよ船長!?」

「誰も冗談なんて言ってねえだろ」

「言ってない!だからおかしい!明らかに!なんで船長が私の唇奪う気満々なんすか!」

「誰にも奪われたことない物を奪いたいってのが海賊の性だろ」

「仕事とプライベートごっちゃにすんのやめてくださいよ!大体私のファーストキッスなんて船長みたいな百戦錬磨が満足するような上質な代物じゃないですよ!粗品でしかない!」

「お前どんだけ自分を蔑む気だ」


とにかくこの船長の謎の欲求を抑えるべくあらん限り言葉を紡ぐも、一向にこの体制からは開放はしてもらえない。ちらりと視線を寄越せば呆れた表情の船長が目に入って。そんな顔すら顔面偏差値が高すぎる。これ以上至近距離に居たら爆発四散する自信があるよ私は。顔が熱い、熱すぎる。とにかく離れてほしい。ほんとに死んじゃうから!こんなね、急に振り切ったイケメンとキス寸前みたいな意味不明はフラグ立てられてもいろいろ無理だから!必死で顔を両手で隠すも、隠し切れない耳を見て船長が面白そうに茹蛸だなと呟く。なんなんだよ!その無邪気な感じは!!ああもうどうしてこんなことに!!全部シャチのせいだ!!


「…名前」

「死ぬ」

「…悪かった。冗談が過ぎた」


バツの悪そうな声が聞こえたと同時に頭にボスンとした衝撃がきてようやく船長の大きな掌が降ってきたことに気付いた。やはりタチの悪い冗談だったかと安堵して指の隙間からそっと船長を伺うと最初と同じ悪どい笑みの船長が居て、え、


「よう、やっと顔上げたな」

「だ、騙しましたね!??」

「俺は何も言ってねえ。勝手に顔上げたのはお前だろ」

「極悪非道!!ぎえ、」


両の手を片手で楽々束ねられ痛くない程度に、けれど私には解けない強さで拘束される。一応私だって女な訳で、ファーストキスくらいは好きになった相手と両想いでするんだろう、くらいは夢見てた訳で、まさかこんなからかわれるよう形で奪われるなんて思ってもなかった訳で。だんだんと近付いてくる灰色の瞳から目が離せない間、そんな走馬灯のような思いが頭を駆け巡る。ほ、本気でキスされる!そう思って目をぎゅっと瞑ると待っていたのはさらりと前髪を避けられる感触と額に感じる柔らかさ。


「ひ、!?」

「…そんな怯えられてできるかよ」

「お、でこ、」

「今日はこれで勘弁しといてやる」


呆然としながら見上げると、船長は拘束していた私の両手を開放してニヤリと笑った。未だ額に残る柔らかな感触に一気に思考が駆け巡る。それはもう、男の人でもこんなに唇って柔らかいんだとか触れられた場所がこんなに熱を持つんだとか結構生々しい感想から、最初こそなんでこんな目に!と思ったものの全然嫌じゃなかったこととか、頭の中は完全にしっちゃかめっちゃかだった。


「お前からして欲しいって望むようになったらここにしてやるよ」

「っ!?」


余裕綽々といった表情でとんとん、と指で自身の薄い唇を叩く船長を私は火照る顔で見つめることしか出来ない。だってその言葉はまるで確定事項の予言のようだ。近い未来に私がそう望むようになるだろうことを知っているような。


「…せ、船長のセクハラ!」

「そんな言葉この世界にはねえ」


あなたの望みが叶ったら
(…もう少し望んでるだなんて絶対言えない!船長のばーかばーか!)


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