卒業制作の仮提出を終えたのが午前3時半を過ぎた頃。朝までには絶対帰ると宣言したとおりに、ぴんと張った朝方の空気の中大学を出発した。

大学から家までは歩いて約30分程度。元々電車代を浮かせる為に歩きで通っていたのもあり、電車が動いていないこの時間でも全く問題はなかった。

新聞配達のバイク音だけが木霊見する朝方の町並みを黙々と歩く。酷使され続けた頭はだんだんとぼんやりしてくるが、帰巣本能というものはすごいもので頭が理解するより先に足が家へと向かっているようだった。

通いなれた路地を曲がり見えてきた茶色い三階建てマンション。エントランスを抜けて階段を上がり、真正面に見えるのは見慣れたドア。気がつくと私は自分の家ではなくその真正面の家のインターフォンを押していた。


そこからは、記憶が途切れてしまって覚えていない。


「……、…!?」


長い長い夢を見ていたような気がする。ふと目を開ける見慣れた天井が視界いっぱいに広がる。家に帰ってきたのかと肺いっぱいに空気を吸い込む、と、なんだか変なことに気づく。まず匂いが違う。そのまま目だけで周りを見回すと、天井や間取りは一緒でも家具が違う。いよいよ混乱してきた。え、この部屋って、まさか!


「あ、玲央起きた?気分はどう?」

「ちょ、名前、ここ、」

「うん。私の部屋。ベッドまで運べなくてこめんね」


脳内処理が完了すると、そこは何度も訪れたことのある見慣れたリビングダイニングだと気付く。壁掛け時計が示す時間は午前7時半。体を覆っているのは手触りの良い大判の毛布で、きっと彼女が掛けてくれものだろう。自分の居る場所をやっと理解して全て夢じゃないことを確信する。インターフォンを押したのも、慌ててドアを開けてくれたパジャマの彼女も、抱きしめた彼女の小ささも。起き上がれないまま両手で顔を覆って声にならない呻きを上げる。


「ごめんなさい、迷惑掛けちゃったわ…」


これだけの迷惑を掛けておいて尚、目を見て謝れない自分の意気地のなさにため息しか出ない。ああもう、全然美しくない。


「…早すぎだとは思ったけど、迷惑では、なかったよ。」


名前の少しひんやりとした小さな手のひらが両手に重ねられる。びっくりして両手を外して名前を見ると行き場を失った手をもじもじさせ照れたような顔で視線を逸らされる。そんな反応されると、まさか、なんて期待してしまうんだけど。


「迷惑じゃなかったの?」

「…そう言ってるでしょ」

「どうして?」

「どうしても何も、玲央だし、」

「私なら迷惑掛けてもいいの?」

「もう、だから玲央のことなら迷惑なんかじゃないんだって」

「なんで私なら迷惑じゃないの?」

「!?」

「名前、教えて?」


じりじりと詰め寄ると顔を真っ赤にしながら後退していく名前。結局はソファに阻まれまるで肉食獣に追い詰められた草食動物のよう。


「私がもし同じことを名前にされても、私も迷惑だなんて絶対思わないわ。一番に私を頼ってくれたことが嬉しいくらい」

「れ、」

「ねえ名前。あなたの気持ちと私の気持ち、同じだと思っていいのかしら」


見開かれた円らな黒い瞳に自分が映っている高揚感。両手でそっと包んだ頬はふわりとして温かく柔らかい。耐え切れなかったのかそろりと逸らされた視線が宙を彷徨って、一点を見とめると先ほどとは違う緊迫感が彼女の瞳に宿った。


「あああ会社!!!」

「えっ!?もうそんな時間!?」


時刻は8時を回っていて先ほどの甘い雰囲気などなかったかのように二人して大慌てで準備に追われる。あれは?持った!等とまるで朝の親子のようなやり取りを繰り広げ、ばたばたと鞄の準備をして廊下を走っていく彼女を後ろから眺める。せっかくいいところだったのに、まあ私のせいね。


「玲央!」

「はい?」

「帰ったら、ちゃんと伝えるから、」

「…うん」

「誤魔化したりしないから、待ってて」

「…はい。」


カチコチと固まったようにパンプスを履く後ろ姿に、つい笑みが零れる。
後ろからでも見える耳の先が赤くて、触れたいと思ったけど寸でのところで我慢した。


「あ、あと玲央顔色あんまり良くないから、蜂蜜レモン作っといた。温め直して飲んで。」

「ありがとう、頂くわ」

「…いってきます」

「いってらっしゃい」


蜂蜜色の朝日
(甘い、甘い、笑顔に溶けてしまいそう)

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