午後8時半。月末の残業からやっと開放されたのは、もうとっぷりと夜の帳が下りた8時過ぎ。これ程近場に家を借りていた自分に感謝する日もなかなかない。むくんで棒のようになった脚に鞭打って3階まで上がり、真正面にある自室のドアに視線を向けると取っ手にはなにやら四角い袋が掛かっていた。


「ケーキ…?てか保冷材もりもり…」


犯人の見当はついている為、警戒するでもなく小洒落たビニールの中身を確認する。その中には大量の保冷材とそれに埋もれた銀色の保冷カバーが入っていて。持ってみると結構な重量感。たぶんほとんどが保冷材だとは思うけど。外側の保冷材が少し柔らかくなっていることから、30分ほどはここに掛かっていたことが推測される。冷え具合から中身が無事そうなのを確認して、とりあえず冷蔵庫に入れねばと早急に鍵を開けた。


むあっと熱気の篭った室内に顔を顰めながら、履いていたパンプスを脱ぎ散らかして急いで窓を開ける。するとひんやりとした夜風が舞い込んでカーテンがドレスのようにふわりと広がった。涼しさに少しだけ安堵したら道すがらに荷物を落としながらテーブルに件の袋を広げた。外側を守っていた保冷材を全部取り出し、保冷カバーの中を空けると更に出てくる保冷剤。どんだけ厳重なんだと思いながらも、今日が月末だと知っている彼の配慮なのだろうと納得する。やっと見えた本体は、真四角の白い箱。やっぱりケーキだったと笑みが零れた。箱を取り出すとヒラリと飛び出したのは一枚メモ。

名前へ

卒制納期短縮。ごめんなさい。
缶詰でしばらく会えないわ…

玲央


達筆な文字で書かれたそれは、間違いなく予想した人物からのものだった。大方寝泊り用の荷物を取りに来たときに掛けていってくれたのだろう。保冷剤でひんやりとしたその紙をなくさないように冷蔵庫のお気に入りのマグネットで留めて、四角い箱を静かに開けた。


「モンブランだ」


優しいベージュのマロンペーストが糸状に回しかけられた上には、照りの綺麗なマロングラッセ。センスよく配置されたチョコの網掛け細工が繊細で、さすが玲央のチョイスだなと思った。疲労困憊した身体は実に正直で、ケーキを視界に入れた瞬間から胃が活発に騒ぎ出した。なんて現金な…と思いつつもやはり食欲には勝てない。せめて手洗いだけでもと理性を働かせ手早く台所で手洗いうがいを済ませた。水気をタオルでふき取って食器棚から手ごろなフォークを取り出したら柔らかなクリームにフォークを差し込む。ふかりとした感触と切っ先に感じるさりっとした感触は、きっとスポンジとクリームに混ぜられたマロンの欠片。銀紙のクシャリとした音を合図にフォークを持ち上げ口に運んだ。


「…おいっし…」


じんわりとろけた生クリームとマロンペースト。しっとりとしたスポンジから少しお酒の薫りがするのもまた乙。そして口に残るマロングラッセの欠片がとても良い食感だ。仕事の疲れもなにもかも吹っ飛ばす力がこのモンブランには込められている。とっても幸せで自然と顔が綻んでしまう。でも、


「…玲央」


口からポロリと零れた名はケーキの送り主。きっとバイト(確かカフェで働いてるって言ってた)をこなした上でこのケーキ片手に帰宅し、制作の準備をして修羅場に向かったのだろう。そう考えると、相手が大学生ながら本当に頭が下がる。仕事くらいでこんな疲れきっている自分には到底成し得ないことを、実渕玲央という人は平気でやってのけるのだ。だからこそ、嬉しいこの気持ちと同時にどうしても心配になってしまう。


「無理しないでね…」


誰がいるでもない一人の空間、食べかけのモンブランに向かって掛ける言葉ではないのは解っているけれど、いつだって気を遣って他人の為に尽くす彼を思ってつい呟いてしまった。



彼のように甘い
(どんなに美味しいものも、彼が居ないと物足りないのはなんで?)

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ヒロインさんのみですみません…
れおねえはお休み。

書いててめちゃくちゃモンブラン食べたくなった。


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