本日は晴天なり。カラッとした陽射しを浴びて風に靡く洗濯物は心なしか喜んでいるように見える。


社会人になってからの休日と言えば、それは休暇ではなく溜まった洗濯物や平日のごはんの仕込み等、社会人生活を円滑に進めるための準備日と言っても過言ではない。
単身上京した身からすれば、会社に同僚はいるものの土日に遊ぶほどの深い付き合いの友人は数人だし、その友人らも恋人がいればそっちが優先になるのは年齢的に至極当然のことで。

そうなれば、結局土日の晴れている日は洗濯物を片付け、月曜からのお弁当と夕飯の買い出しと仕込み、そして部屋の掃除で終わっていくのだ。なんて健全な休日。良妻賢母。少し整理整頓が苦手なことを差し引いてもこんなキチンとやっている麗若き乙女に彼氏がいないなんて世の男共の見る目のなさったらないわ全く。(断じて負け惜しみとかじゃないからね)


「あ、」


そんな愚痴はさて置き、そろそろ買い出しにでも行こうかとベランダから部屋に戻ろうとすると隣の家から漂う甘く香ばしい香り。3ヶ月程前に越してきたお隣さんはお菓子作りが趣味なのか、ひと月に数回こうやって甘いお菓子の香りを放つことがある。平日は会社、土日はほぼ引きこもりの私は未だお隣さんに会う機会に恵まれず、一体どんな可愛らしいお嬢さんが住んでいるのかとただただ妄想を膨らませる一方だった。(ちなみに可愛らしいメモ書きと共に引っ越しの挨拶で頂いたお洒落なお菓子もめちゃくちゃ美味しかった。完璧かよ…)


「鍵、鍵…」


ボーナスで買ったちょっといいキーケースから鍵を取り出そうとしたところで、ガチャリと隣りの扉が開く。音のする方へ顔を上げると出てきたのはとても背の高い男性。この部屋は、あのお菓子作りが趣味の可憐なお嬢さん(妄想)の部屋のはず…ということは、まさか、彼氏!?
鍵を差し込んだまま後ろ姿をガン見していると振り返ったのは、なんともまあ睫毛の長い美しい男性で。イケメンなんて軽薄な言葉で納まらない美人。さすが可憐なお嬢さんは彼氏もレベルが違うわ。そんな下世話なことを考えながら数秒見惚れていると、その視線に気付いてか美人さんがニコリと微笑んだ。はっ!見過ぎた!!


「あら、やっと会えた」

「!?」

「すみません、中々直接ご挨拶出来なくて。お菓子、扉に掛けさせて頂いたんですけど、お気付きになりました?」

「へ、あ、!はい、あのお洒落なお菓子!すごく美味しくて、こちらこそすみません、何度か伺ったんですがタイミング悪くて…」

「いえ、いろいろ立て込んでたものでこちらこそ申し訳ないです。お菓子、気に入って頂けて良かったです。」


更にニコリと微笑んだその笑顔は何カラットなのかという輝きで。いやほんともうすみません、私眉毛しか書いてないし、辛うじて外着だけどほとんど部屋着みたいなもんだし、なんかもう泣きたいです。そんな状態なので笑顔が引きつってるのは大目に見て頂きたい。まじで。それにしてもお隣さん同棲だったのか、気づかなかった。


「すみません申し遅れました。私、実渕玲央と申します。」

「あ、ご丁寧にすみません。名字名前です。」

「あら可愛らしいお名前。名前さんとお呼びしても?」

「へ!ど、どうぞどうぞご自由に!」

「私この辺のことまだ全然わからなくて。これからいろいろご相談してもいいかしら?」

「わ、私で良ければなんなりと…!」

「うふふ、よかった。」


少し口調に違和感は抱いたが、非常に感じも良く上品な人だ。こんな綺麗な人とお近づきになっていいものかと一瞬躊躇したが、ただのお隣さんだしいろいろ教えてほしいなんて社交辞令でも言うだろう。何を勘違いしているんだ自意識過剰めと自分を叱咤して引きつった笑顔を作り直す。大体人の彼氏だし!こんな美人が私を相手にするはずがなかろう馬鹿め。


「あの、是非彼女さんにも宜しくお伝えくださいね」

「…彼女?」

「え?」


二人、ドアの前できょとんと見つめ合う。えーと、なんだこれ。なにかすれ違いが起きてしまった、のか?彼女って?という実渕さんの様子から察するに、可憐なお嬢さんは彼女ではないということか?彼女じゃない?彼女じゃないのに同棲?ってことは友達?


「えっと、実渕さんは今お家でお菓子を作ってる彼女さんの彼氏さんで、その彼女さんと同棲されてる、という認識でいたんですけども、お友達だったんでしょうか…?」

「、ぶっ!!」


こんがらかった頭でなんとか自分の中の認識を伝えると、なぜか吹き出して笑い出す実渕さん。なに!?なんで笑われてるの!?


「く、ご、ごめんなさい、私ったらはしたない」

「い、いえ」

「はあ、可笑しい。どう説明したらいいかしらね」


笑すぎて滲んだ目尻の涙を綺麗な長い指先でなぞって、話出した口調は完全に所謂オネエ言葉というもので。さっきの違和感はこれか。


「お菓子を焼いてたのは私で、今は丁度生クリームを買い忘れてたのに気付いて出てきたんです。」

「は、」

「なので私以外は誰も住んでないし、彼女も彼氏も今はいないの。これで現状説明、事足りてます?」


至極面白そうに笑う実渕さん。完全に私の早とちり且つ妄想だったオチですどうもありがとうございました。初対面で完全にしくじったじゃんこれ。ほんと、もう、自分のこの思い込みの激しさどうにかしたい辛い。あー、ドア冷たくて気持ちいい。火照った体に丁度いいわこれ。ドアにぴたりと張り付いているとまたそれが面白かったのかお上品な笑いが聞こえてくる。


「…なんか早とちりしてすみませんでした」

「いえ、面白い方がお隣さんでよかったです。」

「はは、私は今全て消し去りたい気分ですけど」

「ふふふ。何はともあれ、これからよろしくお願いしますね。」

「あ、はい。」



あの香りはスコーン
(このあと一緒にスーパーに行きました。)

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ついに手を出しました。

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