「借りは冬返せ」


凛々しい先輩の言葉は泣きじゃくる俺の声を越えて耳に響く。勝てなかったことが悔しくて、自分の力不足が不甲斐なくて、先輩たちに申し訳なくて。様々な感情が溢れて涙が止まらなかった。力が入らないダサい両足と担がれた力強い笠松先輩の肩が対照的で、どこまでもこの人に敵わないと嗚咽しながら思った。


そこからの記憶はぼんやりとしていて、気がつくと一人海常の体育館に居た。どうやってここまで辿りついたのか全くもって記憶になく、人間の帰巣本能とはすごいものだななんて斜め上なことを考えた。


ひとつだけ、はっきり覚えているのは、ロッカールームから聞こえた笠松先輩の慟哭。彼だけじゃない、3年にとっての最後の夏が終わったという事実。無機質な体育館の天井を見上げて噛み締めた奥歯がぎりりと音を立てた。


「やっぱり、ここに居た」


がらんとした体育館に聞きなれた声がぽつんと聞こえて。
ゆるりと振り向くとそこには、今一番会いたくて、今一番会いたくない人の姿があった。


「…笠松先輩なら、いないっスよ」

「うん。知ってる。」

「、俺より、笠松先輩んとこ行ってください」

「き、」

「今は!…名前さんに、顔向けできないっス、すみません」


そばに居てほしくてでもほっといてほしくて。全て曝け出したくて、でも格好悪すぎて見せたくない。相反する感情が天秤みたいに比重を変える。でも、インターハイ優勝という誓いを破っておいて彼女に縋り付くのは、俺の中のなけなしのプライドが許さなくて。彼女に背を向けて帰るように促した。


背負っていたエナメルバッグをどさりと落として篭った熱で暖められた体育館の床に座り込むと、ひたひたと近づいてくる足音。ぴたりと合わさるように、背中に温もりを感じて、びくりと肩が跳ねる。


「今、ゆっくんのとこになんか行ったら、私が怒られちゃう。」

「…」

「私はずっとゆっくんを見てきたから、こういうときどう動いたらいいのか解ってるつもり。今は私の出番じゃない。」


トンと肩甲骨辺りに彼女の頭が触れる。笠松先輩について語る語気は酷く穏やかで。きっと俺の知らない、二人にしか解らない世界があるのだと思ったら、こんな状況でも少し妬けた。
触れていた重みが離れて、キセリョくん、と名前が呼ばれる。俯いたまま、目は開けて次の言葉を待つ。


「ここに居てもいい?」


俯いた俺を覗き込むように肩口から覗いた彼女の顔は、今まで見た誰よりも優しく見えた。少し困ったような、八の字の眉毛に薄い茶色の瞳を見たら、それが最後。視界が滲むのが解った。


大丈夫?とか元気出してとか、そんな陳腐な慰めは欲しくなくて。彼女がくれたシンプルなその言葉は、すとんと俺の真ん中に落ちてきた。そばに居てほしい。ただただ、寄り添ってほしい。他の誰でもない、彼女に。


「っ、勝ち、たかったっス…、みんなで、!」

「うん」

「俺が、俺の力がっ、足りなくて、せんぱい、みんな頑張ってた、のにっ」

「うん」


俺よりもずっとずっと小さい彼女の膝に縋って、なにもかも吐き出した。さっきのなけなしのプライドもいつの間にか消えていた。涙も、嗚咽も、さっきの比じゃなくて。でも今だけ、今だけだから。今日が終わったら、またいつもみたいに笑うから。冬の為に、なにもかも惜しまないから。優しく髪を梳く小さな手に、今だけ甘えさせて。



一度きりの夏
(今この瞬間の彼女だけは、俺のものでいて)

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インハイ敗退後の捏造。

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