「氷室くんってさあ、性格悪いって言われない?」
「いや?今まで一度もないけどなあ。名字はありそうだね。」
「…じゃあ私が言ってあげるね。氷室くんて性格悪い。」
笑顔で繰り広げられるどす黒い言葉の応酬を止める者は誰一人としてこの場にはいなかった。だって何しろこの腹黒泣きぼくろくんと二人っきりなんだもの。くそ、なんでこいつと二人っきりで日誌を書かなきゃならないんだ。
「そんな邪険にしないでよ、傷つくなあ」
「…全く傷ついてなんかないくせにしらじらしい」
「あはは、やっぱりバレてた?」
爽やかな笑顔で人の神経を逆撫でする言葉を敢えて選んで言うような奴を、性格が悪いと言わずなんと言うのだろうか。ゲス?あ、その言葉があったか。
この氷室辰也というクラスメイト、巷では眉目秀麗の帰国子女尚且つバスケットボールは超スター級ということで転校早々女子の間で絶大なる人気を博している人物な訳だが、私から言わせてもらえばみんな騙されていると言っても過言ではない。だって現実はこんなに腹黒い男なんだから。イライラしすぎて書かなきゃならない項目もなかなか埋まらない始末。てかなんでここに居んの。いつも速攻で体育館に向かってるくせに。
「てかいいから部活行きなよ」
「でも俺も日直だしね。名字一人に任せる訳にいかないでしょ」
「…の割りにはなんもしてないじゃん」
「うん。邪魔するのが目的だからね」
「いい加減にしないとシャーペンで刺すからな」
「怖いなあ、冗談だよ。ほらもう邪魔しないからさ」
あと一息でシャーペンが力をかけすぎて折れそうだった。ほんっとなんでこいつがあんなにモテるのかわからない。確かに他の女の子には流石帰国子女とでもいう言うように優しくレディファーストであるが、一皮剥けばこれだ。この人を小馬鹿にした態度!素知らぬ顔で正面に座って鼻歌を歌いながら早く書いてなんて言ってくるのだ。誰のせいでこんなに時間かかってると思ってんの。しかも無駄に上手い鼻歌がより腹立つ。
「…名字はさ、なんで俺がこういう人間だってわかったの?」
「なにそれ。なんもわかんないよ。ただ気に食わないなって思っただけ」
「ふふ、直球だなあ」
氷室くんの心底嬉しそうな顔を見て私はため息を吐く。その顔は、普段の高校生離れした大人びた表情とは比べ物にならないくらい幼いもの。私が歯に絹着せない物言いをするときに限って彼はこの表情をする。毎度思うけど、ドMなのか…?引くわ。そんな失礼なことを考えて眉間に皺を寄せるしかなかった。
「名字今絶対失礼なこと思ってたでしょ」
「…ソンナコトナイヨ」
「片言デスヨ?」
「ソンナコトナイアルヨ」
「劉を思い出すあ」
くだらないやり取りとしながら最後の項目にチェックマークを付けて、日誌はさあ終了。結果氷室くんがやってくれたのは、その無駄に高い身長を利用しての黒板消し作業のみだった。ほんとになんのためにここに居たんだよ。
「あとは職員室に出すだけだから。」
「職員室まで一緒に行くよ」
「いいから。ほんとに。大会、近いんでしょ?」
まあ、私には関係ないけど。
そう付け足して、日誌と荷物を持って教室を出ようとすると後ろから伸びてきた氷室くんの長い腕でピシャリと扉を閉められる。またも眉間に皺を寄せて振り返るとなんとも心許無い笑顔を貼り付けている氷室くんがいて、不機嫌だった気持ちがなんだか狂う。なんなの、その作り損ねた笑顔は。
「そうやって、いつも名字は飾りじゃない気遣いをしてくれるね」
「…気遣いなんかした覚えないよ」
「それだけ自然体ってことじゃないのかな」
「…よくわからん」
「俺は、名字のそういうところにいつも救われてる」
「氷室くん…?」
「I have a crush on you.」
「は?」
短文だがネイティブすぎて全く聞き取れない程流暢な英語でなにかを言った後、ゆるりと彼の本当の笑顔が垣間見えた。いつもの胡散臭い貼り付けたような笑顔じゃないやつ。向けられる視線もなぜかとても優しく愛しいものを見るような目で、調子が狂う。顔が、熱い。なんなの一体、いつもの腹黒さはどこに行ったのさ。珍しく褒めるし、しかもなんて言ったのか全然わからない。無言で見つめ合うこと数十秒。無限にも思えたこの数十秒が終わりを告げたのは、彼がいつもの人を小馬鹿にしたような表情に戻ってから。
「はは、わからなかった?」
「、わかるはず、ないじゃん」
「名字は英語まるでダメだもんね」
「…わかってて英語で言う辺り性質悪い」
「それだけ、臆病になるってこと。」
「へ?」
「それだけ本気ってことだよ。」
「…意味わからん」
至近距離にある氷室くんの綺麗すぎる顔にバクバクする心臓を抑えながら、目線を逸らす。ふ、と笑って頭を撫でられて、ほんともういい加減にしろと思った。意味わかんないし嫌いなはずなのにドキドキするとか信じらんないし無邪気なところは可愛いのにとか思っちゃうし完璧にキャパオーバーだ。
そんな私を置き去りに、教室を出て余裕の笑みでひらひらと手を振る氷室くん。反対の手には日誌。いつの間に奪われたんだ。氷室辰也、本当になんて性質の悪い男だろうか。じとりと体育館へ向かうその背中を真っ赤な顔で睨むことしか私には出来なかった。
暗号化された告白
(君に夢中だよ、なんて。名字には難しかったかな)
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室ちん。あざとい室ちん。腹黒室ちん。
あいつに狙われたらたぶん誰も逃げられない。