女ヶ島の岬に停泊して一週間が過ぎた頃、麦わらさんが目を覚ました。
予想した通りというか、やはりお兄さんを目の前で亡くしたショックからか錯乱状態に陥った麦わらさんは現在私たちの船を飛び出し大自然の中暴れまわっている真っ最中だ。


「ハンコック様に連絡しときました。」

「お前ほんとに海賊女帝と友達になったんだな…」

「友達って易々と言っていいのかは甚だ疑問だけどね…」


通話を切ると黒髪で睫毛の長い子電伝虫が眠りにつく。
あの宮殿へお呼ばれした一件により晴れて公式にハンコック様の『女友達』になった私は、この少しハンコック様に姿形が似ている専用子電伝虫を下賜されたのであった。(出航したあとも力が必要なときは掛けて来いというとても有り難い言葉付きでだ)
まるで戦えもしない雑用の私が、七武海の海賊女帝ともあろう人物と友達と呼び合う仲になるとは、全く人生とはわからないものだ。


「それはそうとシャチ」

「おう。」

「あそこすごい水飛沫が上がってるけどなんだろうか」

「ほんとだ。ここ海王類の巣窟だしな、縄張り争いじゃねえか」

「なるほどね……ねえ、白髪のおじいさんが見えるのは気のせいかな」

「俺にも見えるなあ…」

「…海王類コテンパンにしてるよおじいさん…」

「ちょっと理解が追いついてねえ…」


そんな私とシャチの不毛な実況も他所に、服を絞りながら上陸してきたそのおじいさんの顔を見てシャチとペンギンさんが固ったあと驚きの声を上げた。ちょ、え、なにそんなすごい人なの!?確かにめちゃくちゃイケおじだけども!!


「おおキミたちか。シャボンディ諸島で会ったな。」

「"冥王"レイリー!!?」

「いやいや…船が嵐で沈められてしまってねェ。泳ぐハメになってしまった。思うほど体が動かんものだな年を取った」


名前を聞いてハッとする。唯一この偉大なる航路を制した伝説の海賊団の副船長。そんな伝説級の人物がなぜこんなところに?しかもこの海王類の巣窟を泳いで、そもそもなんでこの島に居るのが解ったんだと、私たちは色々な意味で度肝を抜かれる羽目になった。
服を絞りながら上陸してきた冥王と呼ばれるその人は、はたと目が合うととても驚いた顔をした。



「キミは、」

「……え、私ですか?」

「ああ、キミの名前は?」

「あ、えと名前です。ハートの海賊団の庶務してます。」

なんで私!?しげしげと上から下から確かめるようなその視線が居心地悪くてたじろいでしまった。な、なんなんだ。私なんか変なことしたかな。


「…名前君、キミはどこの出身かね?」

「え、」

「冥王。こいつに何か用か」

「ああキミか。いや、昔の知り合いに似ていたものだから。…もうとっくにこの世界には居ないがね。」

「この世界に、居ない、って」

「…」

「…ふむ。少し話そうか。ルフィ君はその後にしよう。」


ゆるく微笑んだ冥王さんは濡れそぼったマントを肩に掛けヒタヒタと人気のない岩場へ進んでいく。あの話の切り出し方や私の出身について聞いたことからも、彼はきっと何かを知っているのだろう。私の居た世界の何かを。私がついていくより先に船長が冥王さんについて歩き出す。…二人とも歩くの速いな!


「…知っているのか、あっちの世界を」

「その口ぶりだと予想は当たったようだな。名前君」

「、はい」

「キミはジパングの出身だね。」

「、!は、い」

「昔キミと同じジパングから来た女性を船に乗せたことがあるんだ。」

「!?」

「おい。」



船長は冥王さんに一声を掛けるとポケットからあの手記を投げ渡した。…ていうかいつも持ち歩いてるのかなあれ。そんな気に入ったのかな船長。流れとは関係ないことを考えながら、冥王さんに渡った古びた日記帳を見やる。表紙を確認すると、冥王さんは少し驚いた後にっこりと笑った。


「はは、ずいぶんと懐かしい物を持っているな」

「…執筆者は海賊王のクルーか。」

「ジパングについて熱心に調べていた船員が居てね。これは彼が肌身離さず持っていたものだ。見覚えがあるから間違いない。」

「あの、その女の人は、」

「ああ、彼女とは1年程一緒に旅をしたよ。そのあとうちの船員と一緒にあっちに帰ったんだ。偶然だったがね。」

「一緒に?」

「所謂恋仲というやつになってな。バカだったが彼女のことを本気で愛していた。海賊団を裏切ってすまないと泣きながら謝っていたが、誰一人彼を責めなかったよ。寧ろ彼女と一緒に行かなきゃお前はダメだと説得したくらいだ。」

「素敵なロマンスですね…」

「今はどうしているか知る術はないがね。…とてもいい子だったよ。真っ直ぐで芯が強くて。彼女もキミと同じ綺麗な黒髪でね。本人は鼻が低いことを気にしていたがそれもまたチャーミングだった。本当にキミにそっくりだったよ。」

「チャーミング、ねえ…」

「ちょっと船長黙ってください。まあでも東洋人ってみんな似た顔立ちですからね、他人の空似かもしれません。なんてお名前だったんですか?」

「そうか。ああ、名前は確か、ヤエと言ったかな。」

「えっ」


ドクンと胸がざわめき出す。聞き間違えでなければ、ヤエと、この人はそう言った。


「……、!あのっちょ、ちょっとだけ待っててもらえますか!?ちょっとだけっ」

「おい名前、」

「すぐ戻ります!!」


船長の制止の声も振り切り心臓のリズムに合わせて地面を蹴る。足が絡まりそうになりながらも速度は落とさなかった。みんなが何事かと見てくるけどそんなの構ってられないくらい、今確かめたいことがある。自分の部屋の机の上にあるそれを引っ掴んで元来た道を走り出した。


「はあ、はあ、め、冥王さん!!お待たせ、しました!あの、この、この人、ですかっ、その、ヤエさんって!」


簡素な写真立ての中で微笑む女性と、バカみたいな笑顔の男、そして二人に挟まれるようにして満面の笑みを浮かべる幼い少女。家がなくなって、バカ親父が失踪しても捨てる気になんてなれなかったそれ。


「……ああ!ヤエだ。間違いない。二人とも懐かしいなあ…」


くしゃりと笑ったその目じりに深い皺が寄る。懐かしそうに差し出した写真立てを撫でる指先が優しくて泣きそうになった。幼い私とバカ親父のそばに立つ、優しい笑顔の母。もう朧げで記憶に残っているのはその笑顔と腕のぬくもりだけだけど。


「私、お母さんと同じ道、辿ってたんですね」


目の奥が熱くてじんとした。ぐっとそれらを飲み込んで冥王さんを見るとその瞳はとても優しく私を見つめていた。まるでそれは、私の向こうに見える母と父の姿を懐かしむようだった。


「…母は、私が小さい頃に亡くなりました。母が死んでからの父は本当にどうしようもなくて…この前借金を残して失踪しました。それからすぐ私はこっちに飛ばされてきてしまって」

「…うちの船員がすまない。ずいぶんと苦労したね」

「いいんです。だって考えたら、父と母のおかげで私は今ここに居れるのかもしれません。お母さんが、私を船長の所に導いてくれたのかも」

「フフフ…だそうだよ、トラファルガー・ロー」

「…いつ聞いてもおめでたい思考だな。」

「船長!だから、」

「ポジティブと言え、だろ。何度も聞いた。」

「さすが船長!わかってるじゃないですか!」


嬉しくなって船長の腕にしがみつくと見事なデコピンを食らった。いってえ!!冥王さんはそんな私たちを終始笑顔で眺めていた。
そろそろルフィ君のところに行かなくては、と腰を上げた所で、忘れていた本題を思い出す。ああ!肝心なことを忘れてた!!耳を澄ますと麦わらさんが暴れ回る音もすっかり止んでいた。


「ヤエの最期を、娘のキミから聞けてよかった。」

「…母も喜びます、きっと。」

「名前君、キミはこっちに残るんだろう?」

「はい。そのつもりです。」

「この世界は辛く厳しいことも多い。でも彼が居るならきっと大丈夫だろう。」


不敵な笑みで船長に目配せを送る冥王さん。船長はその目線を受け流してフンと鼻を鳴らした。まるで当然だろうと言わんばかりの姿がおかしかった。


「ふふ!私もそう思います。あ、あの冥王さん」

「レイリーでいいよ」

「レ、レイリーさん。もしまた会えたら、今度はもっとお母さんの話、聞かせてくれますか?ついでに父の話も」

「…ああ。もちろんだとも。」

「ありがとうございます!」

「ああ。名前くん、ヤエの分までキミの幸せを祈っているよ。」

「…はいっ!」



思い出に浸る
(出航の準備をするぞ)
(えっ、はやっ!!)

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