なんとなく煮えきれない感じは拭えないが、ペンギンさんからの依頼ならば仕方ない。これはきっと暗に船長に聞けという指示だろうと勝手に解釈してサイフォンのコーヒーを二つのカップに移す。なんだろ、私また聞いちゃいけないこと聞いたのかな。

二つのカップとソーサーが触れ合うカチャカチャという音が廊下に響く。船の揺れで零さないようにお盆をしっかり持って抜き足差し足で歩いていると、ぬっと現れた大きな人影。大きさからして新顔のジャンバールさんしか居ないな。


「ジャンバールさん。今コーヒー持って行こうと思ったんですが」

「ああ頂こう。船長は部屋に居るから持って行くといい」


大きな手が繊細な手付きでカップの取っ手を摘んでゆく。あまりの対比にジャンバールさん用の大きなカップを次の島で調達するべきだなと心に決めた。残った空のソーサーはそのままに、コーヒーが冷めてしまわないよう船長室へと零さない程度の速度で急いだ。


「船長」

「…名前か」

「はい。コーヒーお持ちしましたがいかがですか」

「入れ。」


片手にお盆を乗せて重い扉を開くと何やら新聞と睨めっこをしている船長が居た。相変わらずこの部屋は本がそこかしこに積んであるな。
最近気付いたことだが、船長は案外部屋の片付けが苦手のようだ。いつ訪ねても至る所に分厚い本や文献資料の類が積み重なっているし、なにかの走り書きやら広げられたままの辞書やらで机は大体埋め尽くされている。最初こそどけていいですか?これ閉じていいですか?といちいち確認していたが、最近ではどかしますよとも言わず適当にスペースを作って船長の前にカップを置くことにしている。(だって聞いても鬱陶しいと言わんばかりの顔をされるんだもん)今日も例に漏れずザクザクと物を横に捌けてカップを置いたが、船長は新聞を見ているだけで何も言わない。慣れって場合によっては大事だよなと思う。


「新聞ですか」

「ああ…こっからの海はだいぶ荒れそうだ」

「その割には船長は嬉しそうですね」

「安全な船旅なんざつまんねーだけだろ」

「普通安全に越したことはないですけど。あ、そうだ船長」

「あ?」

「麦わらのルフィさんははなんで天竜人を殴っちゃったんですか?」


音を立てずにコーヒーに口をつける船長に先ほどの疑問を投げかける。こんな凶悪な顔してるのに所作に気品があるのはなんでなんだ。実はお育ちがいいとか?まあ医者だしあり得るか。ソーサーにカップをカチャリと置いて、DEATHと刻まれた指を組みこちらに視線を寄越す船長。なにか物言いたげなそれに私の方も背筋が伸びる。真面目な話になるのかな。


「俺はお前の言う異世界の存在を信じてもいいかと思い始めた」

「……いきなりですね、えと、信じてくれてありがとうございます、?」

「お前の状態全てを説明するのに辻褄が合わないからしょうがなくだ。それくらいお前の脆弱さは異常だ」

「す、すみません…」

「それにお前が今まで平和な世界で生きてきたことは見ていればわかる。」

「…」

「平和を知らない奴と戦争を知らない奴の価値感はまるで違う」


船長の寒色の瞳の奥が一層冷たく深い色を示したのが解った。船長が今何に想いを馳せその言葉を口にしたのか私には解らないが、私と船長の間に確かに一線が引かれたのくらいは理解した。嫌な予感がする。


「…俺がお前にどこまでも着いて来いと言ったのは覚えているか」

「はい。はっきりと。」


深い色の瞳に囚われる。船長が口にしたのは、唯一私を船員と認めてくれたときの一言。忘れたくても忘れられない、今の私を支える大事な言葉。


「あの言葉は撤回する」

「、え…」

「お前が元の世界に帰るつもりがあるなら、言うべきじゃなかった」

「ちょ、せん」

「あの島での出来事も帰るなら聞く必要はないだろう。以上だ。」

「船長!」

「”ROOM”」


一瞬のうちに私は船長室の外へ放り出されていた。盛大に尻餅をついたせいでお尻が割れそうだ。いやそもそも割れてた。こんなときに何考えてんだ。ほんとにアホか私は。


「すげー音したぞ!って名前!?」


私の恥ずかしい尻餅の音を聞きつけてドスドスとこちらに向かってくるのはモフモフしたうちの航海士。ああ、こんなときに困るな。鈍感帝王なシャチだったらよかったのに。ふざけてお笑いにでもして、こんなせり上がってくる目の奥の熱さも誤魔化したのに。ペンギンさんも目敏いから困るけど。


「名前…?どうしたんだ?涙の匂いがする」


ほら、やっぱり困る。ベポは鼻が利くんだもん。


「…あはは、ごめん、ベポちょっとだけ」



突き放される
(少し硬い肉球が頭を優しく撫でてくれて余計に涙が出た)

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