1-3 どさ、と大きな鞄を床に下ろす。 朽ち捨てられたような建物の中は閑散としており、些細なゴミを壁際に避けただけの床は白く埃が積もっていた。それが荷物を下ろした際に舞い上がり、まともに浴びてしまう。ゴホゴホと噎せながら窓を開ける。 着替えや生活用品よりも先に、箒や塵取りをもって来るべきだったと後悔しても遅い。 West Beachに住むと決めて家を出たというのに、琉夏の心は既に折れそうだった。 とにかく床の掃除から始めようと腕巻くりをしたはいいが、どこからどう手をつけていいものやら。 そもそも箒で掃いたところで、埃が舞い上がるだけじゃないだろうか。 水洗いでいいだろうか。 昔見たアニメを思い出す。真っ白に積もった埃は叩けば叩くだけ出てくる。それならばいっそ床を水浸しにして、ブラシでガシガシと擦った方が早いだろう。雨漏りのシミも気になるし、ザバッと洗い流してからワックスかなんかかければ綺麗になりそうだ。 などと考えながら、琉夏はコンクリートの床を蹴った。 「おう、掃除は上からやれよ」 「へーい」 額にタオルを巻いて玄関を開けた琥一が、バケツや掃除道具を担いで室内へと入ってきた。 様子を見に来ただけの琥一を巻き込んで掃除をすると決めた途端、琉夏は彼に色々と道具を調達するように頼んだ。何のためのバイクか分かるよな、と半ば強引に背中を押したが、意外とすんなり琥一は応じた。 箒に塵取り、バケツ、雑巾、その他もろもろ。 コレを担いで単車を転がす姿を想像すると笑えて仕方がないが、ここはちゃんと我慢する。機嫌を損ねられたら厄介だ。 今日一日でどこまで終わらせることかできるか分からなかったが、どうせ期限などない。とりあえず寝る場所だけでも確保できればいい。 手分けして掃除を進め、日が落ちる頃には埃はほとんど取り払われていた。 海を見ながらコーヒーを飲む。 一仕事終えた後の一杯は、別にアルコールでなくても美味しいものなんだと始めて知った。 「あー、疲れた…」 「床掃除で一日終わっちまったな…。こりゃ見れるようになるのは大分先だなオイ」 家具も食料も娯楽グッズもほとんどない。 最低限の衣類とお金、ささやかな日用品を引っつかんで出てきた。アメリカ映画ナイズされ過ぎて、青春映画みたいだと思った数時間前の自分の頭を殴りつけてやりたい。 潮風に風化した建物はところどころ傷んでおり、窓を開けようとシャッターを上げたらぼき、とありえない音を立ててシャッターが外れてしまった。 朽ちた店に入る泥棒はいないだろうが、鍵が壊れている窓には新たに付けた方がいいだろう。 壊れたままの雨樋や、雨漏りしている天井、ぎしぎしと煩い階段も、徐々に直していかねばならない。やることは沢山ある。 「コウ、今日はここで寝んの?」 「いや…荷物ねえし、制服も家だしな。今日は帰るわ」 「そっか。じゃあ来るとき食料よろしく、オニーチャン」 「うるっせ」 玄関を出てバイクに跨り、ゴーグルを付ける。 メットかぶれよとせっつく琉夏に、髪がくずれんだろ、とボヤキながらもイスの下から黒いヘルメットを取り出して被った。 暗がりの道をテールランプが尾を引いて去って行く。 琉夏はそれを見送ると、室内へと入らずに海沿いを歩き出した。 琥一が自分もここに住むと言い出すだろうことは、大体見当が付いていた。 掃除を素直に手伝ったのも、そのせいだろう。 一見弟離れできない兄みたいだが、そうではない。いや、ある意味似たようなものかも知れない。琥一はきっと、琉夏を監視するために一緒に住むと言い出したんだろう。危なっかしい弟を野放しにはできないと思ったに違いない。 「…ま、今更信用してくれなんて言えないか」 くつくつと自嘲気味に笑う。 どちらにせよ一人で暮らしていくには色々と大変そうだということが分かったので、琥一の申し出は有難くもあった。もれなくバイクも付いてくるし、特に困ることはない。 ただ、琥一が付いてきたことで、家を出た意味の半分を失ってしまった。 「さて、明日からまた騒がしくなるぞ、っと」 踵を返して海に背を向ける。 まだ居場所にはなりえないがきっと好きになるだろう。錆付いた音を響かせながら開く扉を開け、琉夏は新しい住処に足を踏み入れた。 ←back 101003 next→ long |