ゆるやかな手錠



少し前を歩く小さな手を握る。
手をとられた彼女はビックリして振り返ったが、すぐにふわりと笑った。そのままきゅっと握り返してくれる。可愛い、可愛い、僕の後輩。



初めて会ったのは君が一年生で、僕は二年生。定例会議に向かう途中、まったく前が見えない状態で書類を運びながらよたよたと歩いていたので、急いでいるにもかかわらず手を貸してしまった。驚きながらも僕に笑顔を向けてくれた君は、今でも鮮やかに思い出せるほど美しかった。

「なんだ、お前の知り合いか」
下駄箱前でクラスメイトの設楽と話していたときのこと。
ふわふわと笑顔で僕に声を掛けてくれた君は、僕の友達とも知り合いで、なんだか僕よりも親しそうだった。どうして二人が知り合いなのか、気になったけども聞くことはしない。平静を装ってその場をあとにしたが、結局一日そのことばかりを考えていた。

携帯の番号を交換してから、ちょくちょく彼女からお出かけのお誘いが来るようになった。何故僕を誘ってくれるのか、僕と一緒で楽しいのか不安もあったけど、いつも笑顔で僕の話を聞いてくれる彼女を見ていたら、そんな不安は吹き飛んでしまう。でも、それも一瞬のこと。また月曜日が始まると、彼女は僕の傍を離れてしまうんだ。

どこにいても彼女の姿がすぐに認識できるようになってしまった。
校庭、屋上、偶然に商店街で。
声を掛けようかと迷ってしまうのは、彼女の周りにはいつも人がいるから。男にも女にも人気のある彼女は、同じように人に囲まれている僕とは何故か対照的に見えた。彼女の周りは好意で、僕の周りには義務で。
それでも彼女は僕を見つけると必ず笑顔で走り寄ってくれる。彼女の唇が僕の名を呼ぶたびに、幸せを感じていた。



「紺野先輩、今週末の日曜日って暇ですか?」

生徒会の仕事を終えて帰ろうかと廊下を歩いていたら、声を掛けられた。先生の用事で残っていたという彼女は、ニコニコと僕に話しかける。

「日曜?…うん、暇だよ」
「あの、よかったら、プラネタリウム見に行きませんか?」
「僕と?」
「はい!」
「…うん、行こうか」

了承するとやった、と嬉しそうに手を叩く彼女はとても可愛い。ふわふわ揺れる髪も、ひらひら踊るスカートも、彼女を可愛く演出する。君が動いて、微笑んで、声を発するたびに僕は君に惹かれてゆくんだ。
そのまま一緒に帰ろうと、校門をくぐる。
手をそっと繋ぐ。
いつからだろうか、それが普通になったのは。じわりと幸せが胸に広がっていく。しかし、それもすぐに終わってしまうだろう。彼女と手を繋げるのは僕だけじゃない。彼女がデートに誘う相手も、一緒に帰るのも、こうして話が出来るのも、僕だけの特権じゃないんだ。
ぎゅ、と彼女の手を強く握る。
僕の行動を不審に思って足を止めた彼女の顔を見た途端、我に返った。

「あっ、ごめん、痛かった…?!」
「え、いえ大丈夫です。それより先輩」

すっと体を寄せる彼女に胸が高鳴る。ふわりと漂うのはシャンプーだろうか、石鹸のいい香りがまだ残っていた。黒目がちの大きな瞳がじっと僕を見つめる。なるほど、小鹿のような仕草だと思う。警戒しているようにも、餌を強請っているようにも見えるその瞳に吸い込まれそうになった男は、一体何人いるのだろう。
ぱちぱちと目を瞬いた彼女の口元が、美しく歪んだように見えた。

「な、なに?」
「疲れてますよね、目の下にうっすら隈が出来てます」

そっと空いている手で目元を撫でようとする彼女。眼鏡の縁で妨げられたので、少し下、頬を指先がするりと撫でた。

「…日曜日、止めときます?」
「いや、…行くよ」
「でも…」
「大丈夫。君と一緒にいれば疲れなんて…って、何を言っているんだろうね、僕は」

はっと我に返ってあわてて誤魔化す。彼女と一緒にいるときの自分は、どこかおかしい。そしてそんな僕でさえも、彼女は全て容認してくれるんだ。にっこりと笑って手招きをする。手の動きに合わせて背を屈めると、何を思ったのか彼女は僕の頬に唇を触れさせた。

「き、君…っ?!」
「あの、こんなので元気になるか、分からないですけどっ!…私と一緒にいて元気になってくれるなら、いつでも傍にいます、から」

頬を紅く染めて言う彼女は、僕の気持ちを理解していないのだろうか。今すぐ唇を奪って茂みに連れ込んでしまいたい衝動を必死に抑える。辛うじてありがとうと伝えると、彼女はいえ、と俯いた。

「…作戦変えてこ」
「ん?」
「いえ、なんでもないです。日曜日楽しみにしていますね!」

彼女がデートに誘う相手も、一緒に帰るのも、こうして話が出来るのも、僕だけの特権じゃない。それでも今この瞬間の彼女は、僕だけのものだ。嗚呼、なんて幸せなのだろう。
既に無邪気に笑う彼女の術中に嵌っていたなんて、僕には知る由もなかった。




100820

xxx

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