レモンチョコレイト



ふとした瞬間に見せる彼女の鋭い眼差し。
その瞳に見つめられると僕は動けなくなってしまうんだ。

「会長、書類落ちてます」
「え?!あ、ご、ごめん!」

職員室に向かう途中の廊下で。
執行部員の声で強い呪縛から目が覚めると、バサバサと足元に散らばる書類が目に入った。
ああ、大切な書類なのに、しわになってしまった。
しゃがんで拾い集めて再び顔を上げると、さっき目が合った一つ下の後輩がすぐそばに来ていた。

「大丈夫ですか?」
「あ、うん」

すっとしゃがみ込んで書類を集めてくれたみなこさんは、くすくすと笑いながら僕が持っていた書類の束に紙を乗せた。

「先輩でもぼーっとすること、あるんですね」

何が楽しいのか、ずっと笑っている彼女。
だけどその笑い声は鈴を転がしたように可愛らしくて、笑われてるのに全く不快にはならなかった。
彼女と目が合ったから動けなかったんだなんて、口が裂けても言えないな。
吸い込まれそうな黒い瞳は、『目は口ほどにものを言う』という諺を体感させてくれた。
何かを訴えている瞳は、内容は分からないながらもつい彼女の意に従ってしまうような力を秘めている、気がする。

「ははっ…情けないとこ、見せちゃったかな」
「いいえ、なんか、可愛いです」

ふわり、と先ほどとは違う笑顔。
ドキッとした。
可愛いだなんて、男が言われて嬉しい言葉じゃないのに。急に心臓が締め付けられたように苦しくなって、ドキドキとうるさい。
とっさに緩みそうになった口元を押さえようとして、両手が塞がっていることに気がついた。

「会長、早く書類持っていかないと」
「あ、ああ。拾うの手伝ってくれて、ありがとう」
「いえ。お仕事頑張って下さいね」

小さく手を振って廊下を歩いていく彼女を見送る。一度も振り返ることもしないで、凛と歩いてゆく後ろ姿は本当に美しかった。



バタバタと廊下を走っていく金髪の頭。
書類を職員室に届けた後、二、三点先生からの指示を貰い廊下に出ると、桜井兄弟の弟の方、桜井琉夏が猛スピードで走っていった。
ああ、もう彼は本当に世話が焼ける。

「あ、あの子…」

あとから廊下に出て来た執行部員が、桜井琉夏が走っていった方向と逆の方向を見つめて声を上げる。
つられてそちらの方向を見ると、先ほど書類を拾うのを手伝ってくれた後輩の女の子がパタパタと走ってきた。ふわりと浮くスカートと、そこから覗く白いしなやかな脚に目を奪われてしまいそうになったが、慌てて顔を反らした。
って、そうじゃなくて。

「こら、廊下は走らない」

僕の姿を認めたみなこさんが、吃驚して足を止めた。
びし、と背筋を伸ばし、気をつけの状態で僕を見上げる瞳。
…おかしい。
僕が注意しているのに、何故か怯んでしまった。

「ご、ごめんなさい」
「いや…。桜井琉夏くんを、追っていたの?」
「あ!そうなんです!琉夏くんどっちに行きました?」

きょろきょろとあたりを見渡しながら尋ねる彼女。
桜井兄弟とみなこさんが幼馴染だということは知っているが、優等生である彼女が職員室前の廊下を走ってしまうほど取り乱す何かがあったのだろうか。

「彼なら向こうに行ったよ」
「ああ…もう姿見えない。もう!」

追うのは諦めたのか、僕が指差した方向を呆れた顔で見た後にこちらを向いた。

「すみません、玉緒先輩」
「彼、何かしたの?」
「あっ聞いてくれます?琉夏くんとコウくん、二人の為に沢山作ったパンケーキを琉夏くんったら一人で全部食べちゃったんです!いくら好きだからって、一気に食べちゃうことないのに」
「へ、あ、パンケーキ…?」

怒っている彼女には悪いけど、イマイチピンとこない。
そもそも桜井琉夏が一人で平らげてしまうほどパンケーキ好きかどうかより、桜井琥一がパンケーキなんて食べるかどうかが気になる。
あまり甘いものが好きそうなイメージはないのだけど、もしかしたら見かけによらず甘いものが好きなのかもしれない。それならば彼女が怒るのも分かるが。

「…先輩?」
「あ、ごめん。それはひどいね」
「そうなんです。味わって欲しかったし、折角初めてコウくんより綺麗に作れたのに…」

しゅん、と怒っていた顔から悲しそうな顔に変わる。
ああそうか。
彼女は桜井琥一にパンケーキを食べて欲しかったんじゃなくて、上手く作れたのを見て欲しかったのか。
きっと、桜井琉夏にもそう言ったのだろう。だから、嫉妬した彼が一人で全部食べてしまったのかもしれない。

「…元気、出して。また作って持っていってあげるといいよ」

俯いている彼女の頭をそっと撫でる。
撫でられて気持ちいいのか、少し彼女が笑ってくれた。サラサラでつやつやの彼女の髪は撫でている僕も気持ちがいい。
頬ずりしてみたいとか思っているのだけど、さすがにそこまでは出来ない。
やったら僕はただの変態だ。

「ありがとうございます、玉緒先輩」
「いや、」
「あ、よかったらこれどうぞ。はい、先輩も」
「え、私にも?あ、ありがとう」

僕と、僕の横で茫然としていた執行部員の手のひらに彼女が置いたのは、包みにくるまれたキャンディー。
僕のは黄色、執行部員のは水色だった。
これは、レモン味かな。
勝手なイメージだけど、レモン味ってその、は、初キスの味、とか言うんだよね。彼女がそのつもりでくれたのではないってことは分かっているけども、ついつい意識してしまう。

「パンケーキのお礼って、琉夏くんがいっぱいくれたんです」
「あ、ああ…ありがとう…」

分かってた。
ちゃんと分かってたよ、彼女がそういうつもりでくれたんじゃないってことぐらい。そもそもレモン味ってだけでそんな想像してしまうなんてどうかしているじゃないか。
…一体誰に言い訳しているんだろうな、僕。
勝手に期待して勝手にへこんだ僕に気が付いているのかいないのか、ぐい、と彼女が僕の制服の袖を引っ張った。

「レモン味って、特別な味ですよね」
「…え?!」

引かれるまま身を屈めると、耳元でそう呟かれた。
一瞬何を言われているのか分からなかったが、彼女の手が離れた途端にふわりとシトラスの香りがした。

包みを開き、キャンディーを口に含む。
なんて甘くて酸っぱいのだろう。




110104

xxx

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