キスで目隠し



春、私は三年生へと進級した。
先輩が卒業して新たに新入生が入る。教室が変わり、教科書が変わり、クラスメイトも半数が変わった。月が変わっただけで私の周りには様々な変化が訪れた。
そして、私自身も。

ブゥン、と携帯のバイブが鳴った。
今は放課後で、教室には私一人。通りすがった大迫先生に「早く帰れよー」と声をかけられてから、三十分くらい経っただろうか。震える携帯を開くと、メールが一通。

「……」

ぱたん、と携帯を閉じて席を立つ。鞄を取り、教室を出て廊下を小走りで通り抜ける。下駄箱で靴に履き替えて正門へ急ぐと、そこには背の高い後姿があった。傍によると気配に気づいたのか、こちらを振り返る。

「やあ。ゴメン、待たせた?」
「いえ、大丈夫です」

柔らかく微笑むのは先ほどのメールの送り主で、去年まで生徒会長だったいっこ上の先輩。品行方正で優しく、優秀な生徒の見本たるその人は、今年の四月に一流大学に進学した。
休日にデートで着てきたような、地味だけど清楚な格好で佇むその姿は、卒業して一ヶ月も経っていないのにまるで学校にそぐわない。

「会いたかった…」

ぎゅう、と人目も憚らずに抱き締められる。
この時間、正門にはほとんど人通りがないとはいえ、皆無ともいえない。あ、ほら。人が通った。
二年生か同級生か、その人は元生徒会長と私の姿を認めると驚いた顔をして無遠慮に眺め、去ってゆく。あの興味津々と言った顔からすると明日から噂になるかもしれない、とぼんやり考えた。

「玉緒先輩、もう行きましょう?」
「ん?ああ、そうだね」

私の髪に鼻先を押し付け、すん、と香りを確かめた後に身体を離した先輩は、私の肩を抱いて歩き出した。




先輩の卒業式の日、私は先輩に犯された。
皆が帰った後に生徒会室の前に来て欲しい、と言われたときにはなんとなく予想はついていたのに、私は先輩の要求に従った。
先輩と初めて知り合ってから、私はずっと彼に対して思わせぶりな態度をとってきた。デートに誘い、手を繋ぎ、不必要なほど触れる。それなのに決定的なことは何もせずにひたすら焦らす。先輩が受験勉強で図書館を使うのを知って、わざと男の子を誘って出掛けた。先輩の自尊心や劣等感を煽るだけ煽り、嫉妬させた。
初めはほんの好奇心だった。
生徒の見本である生徒会長は嫉妬などするのだろうか。するとしたら、どんな風に?怒りをぶつけてくるだろうか。柔らかく諭すか、束縛をするのか、諦めるのか。親しくなって話を聞くうちに、生徒会長という立場に対するジレンマや責任感はあれど、彼にはどこか自分や周りの対応に対して抗うことを諦めているようにも感じた。そんな彼が、執着して嫉妬する様はどんなに醜いのだろう。たったそれだけの興味で、彼を傷つけ続けた。

「大学は、どうですか?」
「うん、受ける講義も決めたし、今は少しずつ環境に慣れてきたよ」

実際、先輩の嫉妬はとても心地よかった。
初めの頃こそ控えめだったけれど、男の子と話をしている姿を見つける度、その目は薄暗く濁っていく様子がありありと見て取れた。笑顔を向けるだけで嬉しそうな顔をしてくれる先輩。それなのに、次の瞬間とても苦しそうな、憎しみのこもった表情で顔をそらす。その顔を見る度に幸せな気持ちに浸れた。もっと見たい。私しか知らない、彼の本性。
いつしか、私自身が彼に嵌ってしまっていた。

「今日、うちには誰もいないから」

そう言って通された先輩の部屋には、もう何度も訪れたことがある。
シンプルで物が少なくて、でも先輩の匂いで満たされた空間にいるだけでゾクゾクする。足を踏み入れた途端に抱き締められて、そのままベッドへ雪崩れ込んだ。
脱衣も疎かに獣のように背後から突かれる。
彼は言葉だけではなく、こうやって無理やり組み敷くことで不満を表す。終わった後は自身も酷く落ち込むのが分かっているが、まるで理性が働かなくなってしまうのだと言っていた。
初めての時もそうだった。詰って、犯して、罵るくせに、事が済むと頭を抱えて詫びるその姿が、私は大好きだった。
涙を流す瞼にキスを落とす。
あやすように頭を撫でると、すがり付いてくる子供のような男性。
彼には私が聖母のようにでも見えているのかもしれない。酷いことをする彼の全てを受け入れて、傍にいるのだから。

彼はもう一生、私から離れることは出来ないだろう。
めちゃくちゃに犯された身体が痛んだが、心は満たされていた。




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