※菊地原士郎が砂糖を溶かしたように甘くて過保護










菊地原士郎という人間はとても優しい人間である。

そう言うと、大半の人は理解不能という顔をして、ほんの僅かな人だけが苦笑いをこぼす。それから、もっともっと少ない、士郎の友達だけが理解する。

士郎は優しい。

●○○


士郎は優しい。
昔から、お前は注意力が足りない、なんて怒られる俺を、本人以上に用心深く、警戒心を持って面倒みていてくれた。手を繋いで、こけそうになる前には引っ張ってくれて、そんなつもりはないのに、気が付いたら集団からふらふらと離れているような俺を、離さないでいてくれるのは士郎だけだった。対人関係にしても、そう。悪口を言われてるなんて気付かない鈍感な俺を、傷付かないようにそっと引き離してくれていた。今でも思い出す。放課後の廊下、扉の向こうの教室。聞こえてくる雑談。「どじ」「のろま」俺のことは別に良い。「菊地原と離れた方が良い」友達だと思っていたのに。ショックだった。俺が足を引っ張ってることも、俺のせいで士郎がどうこう言われるのも。「なまえ、どうしたの」「士郎、」士郎の視線が教室の方を見やって、顔をしかめた。「くだらな……気にしなくて良いんじゃない」「でも、士郎が、」「なまえはそのままで良いと思うけど」「え」不機嫌そうに顔を背けた士郎だけど、その態度と違って、随分声色は優しくて。「士郎〜〜っ」「ちょっと、なに、やめて」「士郎、すき〜〜」
士郎はすぐ俺のことに気が付いてくれる。

「なまえ、どじだけど良い奴だよな。でも、まあ、菊地原と離れた方が絶対良いと思うぜ。だってアイツ────」

○●○


「いつまでもおんぶに抱っこでいられるわけじゃないし、お互いに、な?」

士郎は優しい。
マイペースやのんびりと言えば聞こえは良いけれど、有り体に言えばどんくさくてのろまな俺を、飽きずに面倒見てくれるのは士郎だけだ。
ぶつくさ文句は言うけれど、士郎がそうやって甘やかすせいで、俺はいつまでたっても成長できない甘ったれ。小さい頃のまんまだ。いつだってそうだった。

けれど、いくら俺がどんくさくてのんびりしていても、この歳になれば流石に危機感を覚える。決して最近歌川くんに、いつまでもおんぶに抱っこでいられるわけじゃないんだぞ、なんて言われたからではない。急に不安になったのだ。士郎がいなくなったら、俺は、大丈夫なんだろうか。
歌川くんが気まずそうに言った言葉が何度も頭の中でリフレイン。このままじゃ、いつか絶対重荷になる。そうしたら、自然と俺は士郎に嫌われて。嫌われて──、……士郎がいなくなったら、俺はどうするんだろう。

「ねえ、なに考えてるの?」

上を見上げると、胡桃色をしたガラス玉が二つあった。美味しそうだなあ、なんて考えていると、突然目を塞がれて、視界が暗闇に放り出された。驚いて「わっ、」と間抜けな声を出すと、遮られた視界がまた開ける。「また違うこと考えてたでしょ」突然の暗闇から再び射し込む光が眩しくて、目を細めた。

「なにも考えてないよ、しろう」
「……うそ、」

俺のことなのに、何故か断言する士郎のガラス玉が、ゆらゆら揺らめいた。座ってる俺をうしろから覗き込むように見下ろす士郎を、同じように見上げると、少し首が痛い。「だったら前向けばいいでしょ」そう伝えると、呆れたように頭を正面に戻された。士郎は優しいけれど、こういうところは少し雑。乱暴に向きを変えられた首が、嫌な音をたてた。

「いたい」

耳が良いのに、聞こえないふりをされた。「帰るよ」「うん」でもやっぱりかけられるその声は、態度と違って随分優しい、ように思う。すたすた歩いていく士郎の背中を追いかけて、……あ、こういうのも"おんぶに抱っこ"に入るんだろうか。いやいや、流石に俺、一人でも帰れるしなあ。

「俺本屋に寄りたい」
「本屋?」
「参考書買いに」
「は、」

参考書? 士郎が初めてその単語を聞いたかのような反応をして、俺は首を傾げた。「どうかした?」「何でそんなもの」「そんなものって……」学生だったら一冊二冊持っていてもおかしくないと思うんだけど、違うんだろうか。テストとか進学とか就職とか。高校受験は、士郎に教えられっぱなしで、結局買わなかったけれど。あ、資格の勉強をしてみるのも良いかも知れない。やっぱり今時はパソコン関係が良いのかな。えくせる?とか。

「また違うこと考えてる」
「ん?」
「……勉強とか、らしくないでしょ。熱でも出すんじゃないの?」
「でもいつも士郎に教えてもらうのも悪いし。ボーダーもあるのに」
「別に」

別に、なんだろうか。別にそれぐらい問題ない、だろうか。それとも、別にどっちでも良い、の方かな。そこまで興味ない、の別にだったりして。

「まだ早いかもしれないけど、将来とか考えると、俺も資格とか、」
「誰かに何か言われた?」
「…………なにも?」

一人考えてたことを言おうとして、士郎が声を尖らせた。ちらっと隣を見ると、目線は前を向いたまま、少し長い髪を耳にかけながら歩いていた。優しい声が少し強くなって、自然と言葉を飲み込む。それから、不自然にならないようにゆるりと笑うと、士郎はようやくこちらを見た。俺の胸の辺りを見下ろして、さっき耳にかけたばかりの髪を、今度は乱雑に下ろした。右についてる寝癖が、ぴょこんと可愛らしく跳ねた。「──らしくもなく、うそつくんだ」

「え?」
「生意気」

難しい顔をしたかと思えば、鋭いチョップを落とされて、悶絶した。前よりも涙目の「いたい」耳が良いのに、やっぱり聞こえないふりをされた。

「なまえは脳みそ小さいんだから急に詰め込むとパンクするに決まってる」
「えっ」
「今さらぼくに気を使ってるのも気持ち悪いし」
「うっ」

容赦のない言葉に、視線が徐々に下にさがっていく。正直頭が良い訳でもない俺は、日々の授業ですら精一杯だ。進学校にいることすら奇跡に近い。それこそ、士郎がいなかったら無理な話なわけで。

「士郎は嫌にならないのか? ずっとこんな、」
「ならないよ」
「、……」
「何その呆けた顔」
「や、即答すぎてびっくりした……」

馬鹿みたいな顔してるよ、と悪態をついた士郎は、それでようやく、少し優しい声に戻った。

「なまえ、」
「なに?」
「こっち」

ゆっくり手を引かれて、狭い路地裏に入り込む。ひと1人が通れるような抜け道は、暗くてじめじめして、

「士郎、どうし……っ」

唇と唇が重なりあって、声が喉の奥に消えた。突然のわりには優しくて穏やかで、ほだされるように眼を閉じると、士郎のシャンプーの匂いがしてどきどきした。こんな俺でも、士郎の特別なんだと、ちゃんと自覚できるような感覚になって、まるでこの瞬間に、全ての幸せが凝縮されているよう気分になる。たからこそ、離れたあとの数分は、とても気まずくて感じてしまうもので。

「……ちょ、ちょっと士郎! ここ外!」
「知ってるよ。ぼくがそんなヘマするわけないでしょ」
「……士郎が耳良いのは知ってるけど、なんでそこまで自信満々でいられるの」
「さあね」

士郎が首を傾げると、さらりと流れる髪から、また良い香りがした。思い出して顔が赤くなる前に、慌てて距離をとって頭をぶんぶん振った。

「で、ぼくに嫌われるかもって不安はどっかいった?」
「は、はあ?! なに、なにそれ!別に、ちょっと士郎も生意気なんじゃない?!」
「うるさいんだけど」
「知らない!」

士郎の自意識過剰な発言に、吹き出さずにはいられなかった。動揺。なまじ外れてないだけ、少し恥ずかしい。もう唇を重ねたこの場にいること事態が照れ臭くて、さっさと路地裏から逃げ出そうとすると、するりと手を捕まれた。

「それで、誰かに何か言われたわけじゃないんだよね」
「そうだよ」

歌川くんは俺の心配をしてくれたわけだし。それを変に受け止めてしまう癖は、本当に駄目ところ。昔のトラウマかな。なんて、士郎に聞こえないように小さく呟いて、ため息と共に反省した。「歌川、?」手が離されて、今度こそ元の道に戻る。路地裏から見える表通りの道は、とても明るく見えて、足を踏み入れると眩しいぐらいの光が差す。

「あれ、士郎? どうしたの? 早くおいでよ」
「なまえ、でも僕は……」

うしろで歩みを止めていた士郎は、まだ路地裏に留まっていて。建物の影で暗くなっているそこを、上手く伺うことができなかった。

「……それでも、僕が、一番なまえのことを考えてるよ」

なんて、今更なことを、士郎は言った。

「知ってるよ。それは俺が、一番分かってる」

「……そう、」

士郎は俺にとても優しいんだから。

○○●


「だってアイツ、なまえに何もさせようとしないんだぜ。あれじゃあなまえが駄目になる」


菊地原士郎は
離さない

君をダメな奴にしてごめんね




■ほんの一握りの罪悪感
(そして身近な人だけが理解する)




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